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ボーナスポイント
写真ポイント 30pt x 23
初来館ポイント 15pt x 4
初体験ポイント 5pt x 1
認知症の人が繰り返す話を聞くのは、慣れない人にとっては苦痛ですが、なぜその話をするのか?を考えると、ちゃんと理由があるのです。でも、介護現場ではそんな余裕もなく、きちんと話し相手になることができずにいます。それぞれの人が持っている歴史を聞くチャンスがたくさんあるのに、それができないのがもどかしいと思う六車さんの気持ちが伝わってきます。 認知症でなくても、老人は現在の記憶はけっこう曖昧です。でも、昔のことは不思議なほどよく覚えています。子どもの頃に食べていたもの、どんな遊びをしていたのか、親の仕事のこと、断片的であっても懐かしく思い出すことがたくさんあります。そして、大人になってから誰にも言えなかったことも、きっとあります。遠くからお嫁に来て心細かったこと。田舎の言葉をバカにされたこと。戦争で辛い目に遭ったこと。などなど・・・ 介護する側の都合ではなく、介護される方の尊厳を守るという意味でも、彼らの話を聞き、記録していく「介護民俗学」は、これからの時代に必要なものです。そして、急いで着手しなければいけません。その人がどう生きて来たのかを後世に残すための時間は、もう余り残っていないのですから。
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戦地という極限状況でも、ほんのわずかな時間でも、祖国での自由な時間を思い出したり、物語に心を躍らせたりすることで、かろうじて平常心を保てたのです。そして、がんばろうという気持ちも湧いてきたというのです。 ある兵士は敵軍(日本軍)がすぐそばを通過していく中、塹壕の中で覚悟を決めて兵隊文庫を読んでいたのだそうです。そうすることで恐怖を忘れ、時間が経つのを忘れ、彼は生還したという話にはビックリしました。 兵士を人間として扱うからこそ、兵隊文庫という考え方が生まれたアメリカと、無駄死にを何とも思わなかった日本では、戦争の勝敗は当然のことなのだと思います。 あの「グレート・ギャツビー」が兵隊文庫で再評価されてベストセラーになったということを、この本で初めて知りました。兵隊文庫から読書する楽しみを知ったアメリカ人たちが、それまでより多くの本を読むようになったというのも、凄いことだと思います。 そして、兵士たちが国に帰ってから、職業訓練のために学校へ戻ることを支援する制度を作ったというところも素晴らしいと思います。
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自分が日常で何の気なしにやってしまっていることが、環境にとって良いことなのか悪いことなのか、この本を読みながらいろいろと考えさえられました。思い出してみると、子どもの頃、わたしの家には冷蔵庫はあったけれど、洗濯機もエアコンもありませんでした。夜遅くまで営業している商店や飲食店などなくて、宅配便もなくて、だからエネルギー消費量は今よりずっと少なかったのは間違いありません。 わたしたちは便利さと引換えに環境を破壊してきました。いまだに大きなビルを建てることが良いことだと信じている愚かな人達もいます。だからこそ、わたしたちひとりひとりが選択していかなければいけないのです。無駄な開発や、弱者から搾取するような企業を排除する行動に出れば、おのずと世の中は変わっていきます。「売れないものは作らない」それが市場原理ですから。 それってホントにエコなの?という疑問を常に持ち続けること、それしか地球環境を守る方法はないと思うのです。
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かなり動けるようになった時点で、サックス氏は膝が余り曲がらなくて歩きにくいと医師に相談しました。すると、水泳がいいんじゃないかと勧められます。彼は医師に紹介されたプールへ行きました。どうやって泳ごうかとプールの監視員に声を掛けたら、いきなりプールに突き落とされました。 「何をするんだ!」と監視員の青年を追いかけて必死に泳いでいるうちに「あっ、泳げる」と気がついたんです。そして、プールから上がると普通に歩くことができるようになっていたのです。これは相談をした医師が仕掛けたことだったのです。 医学的には治っていても、精神的に何かがひっかかっているために症状が治らないということは、患者の話を聞いただけでは理解しがたいことです。サックス氏は自分の体験を、その後の治療に役立てたのでしょう。 「いつも患者の言葉に耳を傾けなければならない」この大事なことを、彼は自分の左足の怪我から学んだのです。 患者としての苦悩と、医師としての気づきが、とても素直に書かれていて実に面白い本でした。
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人との出会いって不思議だなと思います。どこかで出会って、それで終わりかと思っていたら、どこかで再開して。運命の再開かと思ったら、そうでもなかったり。たった一度の出会いなのに、忘れられない人になってしまったり。 この短編集の中で一番気に入ったのは「カブとセロリの塩昆布サラダ」でした。 デパ地下で「カブとセロリの塩昆布サラダ」を買ったのに、うちに帰って食べてみたら入っていたのがカブではなくて大根だったのです。これ、どうなってるの?と思った主人公はデパートの売場に問い合わせの電話を入れたところ、そんなはずはないと否定されてしまったのです。ところが数時間経って、申し訳ございませんという電話が入ったところからドラマが展開していきます。あの店員さんとは二度と会うことはないだろうけど、一生忘れられない人になったのは間違いありません。 こういう一期一会の出会いって不思議ですねぇ。わたしもこれまでに大勢の人と出会って、二度と会うことはないけれど、不思議に忘れられない人っていますもの。 「むすびめ」は小学校の時の思い出を大人になってから回想しているんですけど、子どもの時には気がつかなかった事実が明らかになってというあたり、自分にもあるあるな話なのでとても面白かったです。あの時にはどう説明していいのか分からなかったということが、いつまでも胸の奥の方に残っているってこと。確かにありますもの。
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『しごとって そんなにえらいの? つよいの? こわいの? そんなにだいじなの?』 在宅勤務だからしずかにしてねっていうママ。 朝はやくから夜おそくまで働いているからパパといっしょにいられるのはおやすみの日だけなのに、その日まででしごとででかけることもあるパパ。 しごとって何のためにしているの?よくわかんない。
序文のこの言葉に心を奪われた。 『コンビニで弁当を買う、 スーパーでパックに入った惣菜を買う、 電子レンジで温めて食べる。 忙しいから、仕方のないことかもしれない。 自分には時間がない。 本当のところは、そう思い込まされている。 社会は、人々を懸命に働かせて 時間を奪い、エサを与える。 体が壊れて、医者と薬の世話になることも含めて すべてがうまく循環している。』 おいしい食事を作るのに、難しい技なんかいらないんだよ。シンプルに茹でたり、焼いたりして、塩をちょっと振るだけでおいしいものがたくさんあるんだってことを知るところから、料理は始まるんだよって、教えてくれるこの本を、みんなに読んでもらいたいです。
なるほどねぇ、みんなのおかげで住むところも、仕事も世話してもらって、剣の修行もしていたんだねぇ。みんなの愛があったから、あだ討ちができたんだねぇ。みんなつらい過去があったからこそ、若者を親身になって助けてくれたんだね。 という話だと思っていたら、それだけじゃなかったんだねぇ。最後に明かされた秘密には泣かされちゃいましたよ。ありがとう、木挽町のみなさん。
「文学的あるいは芸術的偉大さを渇望しながら才能を欠いている人の陥りやすい傾向のひとつは、他人の創造性に干渉することである。(本文より)」 まるで現代の日本のことを指しているようなこの文章に、思わずため息をついてしまいました。 何か新しいことをしようとすると、どこからかかかってくる圧力の根源はこういうところなのでしょうね。自分たちに理解できないことはやらせないという理屈が、世の中を窮屈にしてしまっているのです。 でも、落ち込んでいる場合ではありません。こんな状況から脱出するには何が必要なのでしょうか?他人が何と言おうが、自分で考え、自分で行動すること、そこからしか新しいものは生まれないと信じるしかないのだと気付かせてくれた、この本に感謝です。 そして、学歴にも、職歴にも、社会的常識にも捕らわれずに自由に生きることを選択したホッファーという人の偉大さに驚くばかりです。