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気候変動、環境汚染に対応するには個人のエシカルな努力では到底足りない。

気候変動、環境汚染に対応するには個人のエシカルな努力では到底足りない。脱資本主義、脱経済至上主義、自分のため、家族との時間がない長時間(8時間)労働者を変えないと、人の終わりは見えている。 気候変動の問題を子供たちが取り組むのを賞賛するだけでは、大人の責任放棄。 責任を子供たちに押し付けず、子供たちよりも責任が重いはずの壮年世代、高齢世代は率先して取り組まねばならないという意見に、心底そう思う。 他国の意識と日本の意識レベルの違いとか、数値で挙げられているところの数字を見ると、えてして日本はのんびりしていて、気候変動に対する切迫感の違いを感じる。 多方面にわたる問題提起は非常に勉強になる。 エコバックや電気自動車、生ごみコンポストでした気持ちになっているけれど、個人で取り組むところは本当にわずか。国や地方公共団体が率先して取り組めば、改善の規模は大きい。 狩猟採集民族は4時間の労働であとはのんびり。 農耕社会になってから長時間労働になったという。 このまま、大量生産大量消費するために、長時間労働を行い、家族と共に過ごしたり趣味に浸ったりする時間がないままに追い立てられて生きるのか。 後世になれば、戦後の今を生きる私たちはどのように定義されるのだろう。 自分たちのことを自分たち自身で何もできなくなり、巨大企業の利益を生むために飼いならされているのに気が付かずに、地球環境を壊滅的なまでに汚染した時代と言われるのだろう。 本気で取り組むのならば、誕生から死ぬところまで、途方もないプロジェクトになる。 そうして、環境負荷があまりかからない小さくまとまった循環型社会のなかでは、2022年の今のままの生活はできないし、このまま人だけが移ればきっと何もできない烏合の衆となる。 江戸から明治、戦後と意識の変化、環境の変化があったように、何かの区切りで、激変するのだろうか。 既に見ないようにしているだけで、皆、これではいけないとはわかってる。 だけど、踏み切れない理由がたくさんある。 ターニングポイントが、統合されていった世界を、今度は個々バラバラに分断するような、第三次世界大戦でないことを切に願う。 もしくは、それぐらいの、他国からエネルギーが入らない、物資が入らない、何もかもが自分たちで手に入れたりしなければどうしようもない、という状況にならないと、筆者が描くような社会の方向へは舵をきれないのではないだろうか。 そう思うと、暗澹たる気持ちになる。 願わくば、わたしたちが地球に幸せに生きる生命であるというあたりまえのところから、変化が起こりますように。 いろいろ思うところを刺激する問題提起の本です。

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