さんの書評2025/04/25

この推測が当たっているかどうかという問いに対する考古学の答えは、ノーである。それ

この推測が当たっているかどうかという問いに対する考古学の答えは、ノーである。それは、つぎのような点から否定できる。 まず、この推測の前提には、天皇陵古墳に眠っているはずの古代の天皇の遺骨に、その民族や「人種」にかかわる何らかの証拠が残っているだろう、という思いこみがあるかもしれない。しかし、第二章で紹介した未盗掘古墳の雪野山や勝負砂でさえ、遺体は溶けさってまったく残っていないか、青銅イオンの影響で断片がわずかに形をとどめているにすぎなかった。天皇陵古墳も条件は同じだ。ましてや、この章で見てきた三つの巨大古墳のように、掘り荒らされていたり、早くから人が入りこんだりしていることが多いことを考えると、天皇陵古墳に古代の天皇の遺骸が残ている望みは、ほとんどないといっていいだろう。 よしんば、分析に耐える遺骸が見つかったとしても、骨だけでは、民族などの人間集団の同定は不可能だ。一般に渡来系といわれるのは、比較的長身で頭蓋が長いなどの特徴を持った「新モンゴロイド」に属する人びとだが、こうした特徴の人骨は、弥生時代の九州を中心にたくさん知られており、天皇陵古墳の時代よりも一〇〇〇年近く前のころから、ふつうにみられる形質である。 大陸や朝鮮半島からやってきたこのような形質と、縄文時代以前からあった形質とが長いあいだに混じりあって、今日のわれわれ日本列島人の身体的な特性のもとになったと考えられている。混交の度合い、個体差、そのときどきの環境要因などが複雑に作用しているなかで、列島のある時代の特定の個人がどのような民族や人間集団に属しているかを骨から決めるなどということはナンセンスだ。 まず、未盗掘古墳から考えてみよう。これまで繰り返して述べてきたように、未盗掘古墳とは、物と物、物と遺構との関係が完全に保たれた状態の古墳のことをいう。この状態を手つかずのまま、調査の技術がより進歩しているだろう未来の考古学に託すべきだ、というのは、たしかにひとつの見識かもしれない。 この見識は、国だけでなく、地方自治体の調査組織や大学など、およそ発掘を仕事としている機関のあいだで、近年ますます共有されるようになってきている。そうだとすれば、あえていまそれに手をつけるためには、未来まで待つ値打ちを超えて、明日からの考古学や社会に役立つ相当の価値を、そこから引き出してこなければならないということになる。未盗掘古墳を発掘する論理とは、そういうことだ。 未盗掘古墳の発掘とは、理化学の研究にたとえると、理想的な状態のもとでおこなわれる貴重な実験であり、その成果もさることながら、考古学の知識や技術を高めるためのまたとない機会といえる。知識や技術がさらに発展した未来の考古学に未盗掘古墳をできるだけ残そう、という論理についてはさきに述べたが、逆にいえば、そうした知識や技術を発展させる最高の機会が、未盗掘古墳だともいえるのである。

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