さんの書評2016/08/181いいね!

建築とはなんだろう

■ニューラルネットワーク 近くのものと遠くのものが 神経(シナプス)のように繋がる関係性。 構造的、建築的な情報の繋げ方やまとめ方ではなく、 ゆるやかな、曖昧性を含ませたまとまり。 イマドキ、今の時代にあった考え方であり 建築、ランドスケープデザインを考える上でも、 こういう繋がりが取り入れられていることに驚いた。 一方でとても自然に理解できたのはインターネットという ニューラルネットワークが生活や考え方に根付いてしまっているからこそ。 池や湖と建築を考えるプロジェクトでは、 このシナプス性が顕著に見られて分かりやすかった。 ■空間や時間のあいまいさ 自分の、 建築というものそのものの概念が崩れ落ちる衝撃。 でもやっぱりすんなりと受け入れられるのは 「建築を環境ととらえる」というこの言葉があったからこそで、 どの作品(と言っていいのか?)も 植物、動物、人、河、空気、空、風、光、時間、流れ(スピード)など 私たちをとりまく「環境」を その時々の条件や、こうありたいという願望の元に その場所がその場所でこれからも在り続ける未来がちゃんと在りながらも 今とは確実に違う新しい・・・環境としての空間がどれも提示されている。 スケッチや写真を見ただけで そこがとても気持ちの良い場所だということが容易に想像できる。 空気が通っていて、そこにいる生き物が呼吸している様子が分かる。 スケッチに入らない、その周りの環境、 家なら、そのお隣の家だったり、向かいの道路だったり。 そういう描かけない外側がシームレスに想像できるのは 「ゆるやかな、あいまいな」「外側なのか、内側なのか」なるべく分からなく 徹底的に考え抜かれた美学というか、自然学というか そういう一徹貫かれている考えがあるからこそだろう。 ■住まいのすまいかた 実際には「森と別荘のある家」のように21階建てなのに階段しかない家に住むことを想像すると 老後は・・・とか考えてしまうけれど。 一方で、わくわくするのは そういう「生きる」だとか「住まう」だとかの不自由さは嫌いじゃないからだろう。 洗濯機の無い生活は洗濯に1時間はかかってしまい 不自由なのかもしれないけれど 浴槽に水を張ってかき回してみたり 裸足になって浴槽に自分も入って ぎゅっぎゅと服を踏んでみたり。 その足の裏の感触だったり、水の冷たさだったりが 何か今の自分の生きるのリズムを作ってくれている気もする。 家を借りるときに大事なのは 日当たりと、住んでいることがすんなり想像できるということだけで あとは家に合わせてくらしてゆく。 家を環境ととらえてみると この住まい方もしっくりくるし、 いずれマイノリティでなくなるのかもしれないなぁ。 そんな事を思った。

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