さんの書評2024/09/231いいね!

利他が宿るとき。

利他的な在り方を考えるとき、その主体や行為に目を向けがちだけど利他は受け取ることができて初めて起動するもの。加えてそれは「あとからやってくる」。常に自分を超えたものとして存在している。じゃあどうすれば…となるけれど、この無力感に立つことが大事なのだと思う。 今私がここにいることは、あたりまえのことではない。地面が支えてくれるから、私はそこに立つことができる。無数の偶然が重なり合った縁起の中で私は生じている。己のどうしもようない無力さに目を向けることは、常に受け取り手であった自分に「気づく」ことであり、そこに利他が宿るのだと思う。 この行いがその人のためになるかどうかはわからない。むしろ、自分のためにしているのかもしれない。そのようにわきまえることは、少なくとも「○○してあげた」という奢りから私を解放してくれる。そして、何もできないからこその「祈り」へと導いてくれる予感がする。心の中に大事に留めおきたい。

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