目次
謝 辞 3
第一章 出発点 17
第二章 現実感覚 37
第三章 ある意味での妻 81
第四章 不穏なアメリカ人 127
第五章 玉ねぎ入りのサンドイッチ 147
第六章 あなたの奥さんをちょっと拝借 181
第七章 砂漠のはずれ 215
第八章 ランチの前のマルティーニ 261
第九章 恋人に代わる女 281
第十章 負けた者は何も貰わない 325
第十一章 赤の脅威 365
エピローグ 最後の言葉 429
訳者あとがき 447
索引 1
前書きなど
謝 辞
これはグレアム・グリーンのもう一つの伝記ではない。どちらかと言えば、二〇世紀のもっとも重要な作家の一人の作品における事実と虚構に探りを入れたものである。レイディー・キャサリン・ウォールストンに宛てたグリーンの手紙からの引用の多くは本書で初めて公にされたものである。グリーンの文学的財産権は「拘束力」をもって保護されているが、父親の遺著管理者としてのフランシス・グリーン氏が、グリーンがキャサリン・ウォールストンに一九四六年の冬に初めて出会った時から一九五一年の九月に『情事の終わり』が出版されるまで、グリーンの生涯でもっとも波瀾に富んだ期間を批評的に調査する手助けとしてグリーン自身の言葉を用いることを許してくれたことに、私は法外な感謝を感じている。
レイディー・ウォールストンをグリーンのもっとも強力な芸術の創造性の多くのものの背後に隠れ、源泉にしている内密的かつ逆説的な秘策に分け入ろうとする試みにとっては、グリーンの手紙から引用ができるかどうかは決定的なことである。それなくしては、愛の詩は言うに及ばず、特に書き方がグリーンの特色を帯びているときは、強い感情が入れ込まれている手紙の情緒をパラフレイズし、あるいは要約することは不可能である。
グリーンの曲解された学生時代の詩集である『おしゃべりする四月』の存在は、グリーンをして終生、詩を公刊することを後込みさせた。キャサリン・ウォールストンに向けたグリーンの愛の詩(手紙に書かれたものが多い)は、芸術的、情緒的成熟度の点でそれぞれがきわめて異なるレヴェルのものを示している。事実、それらは、彼の手紙の複雑な語りよりも彼個人の私的な真実をより信頼の置ける形で示している場合が多い。これについても、私は,キャサリンに宛てたグリーンのひじょうに珍しい私的な詩集『二年後に』からの引用を許してくれたフランシス・グリーン氏に多くを負っている。そこには「イル・パーチェ」(平和)という詩全体を入れている。これは、二人が一九四八年の二月にイタリアに旅した後に書かれたものである。また一九五一年二月六日にインドシナからパリに向かう飛行機の中でキャサリンに捧げられた「四年後に」という未公開の愛のエレジーも引用されている。
私はグレアム・グリーンの作品で以下のものを参照した――『ブライトン・ロック』、『情事の終わり』、『事件の核心』、『恐怖省』、『静かなアメリカ人』、『第三の男』、『これまた伝記』、『逃亡の道』、『失われた幼年時代』、『愛想のよい恋人』、私家版の詩集『素早く振り返って』。そして『二年後に』からの詩編はグレアムがキャサリン・ウォールストンに与えた手書きの元の原稿から取った。これは、アメリカのジョージタウン大学に保存されている。マイクル・コルダの『魅惑された人たちの生涯――家族のロマンス』からの引用はアレン・レインの版から取った。アーニー・オマレーの『他人の傷について』からの引用もした。また、シリル・コノリーの『不安な墓地』はペンギン版から引用した。
ジョージタウン大学のグリーン=キャサリン・コレクションに納められている『情事の終わり』の原稿や一二〇〇通ばかりの手紙や詩を利用し研究する手助けを与えてくださったことで、ローインガー図書館の特別コレクションのスタッフ全体に感謝を捧げたい――とくに、原稿司書のニコラス・B・シーツは、一九九九年の夏期に五階の読書室に私や私の研究グループが入ることを心よく許してくれた。またコンピューターに関する知識が豊富なジョージ・バリンジャーは手紙を清書するのに大いに手助けになってくれた。リン・コンウエイは各々の手紙やフォールダーの要求のために新たに請求書式を求めるようなことはしなかった。また、スコット・テイラーは私が要求したコピー請求を忠実に行ってくれるとともに、私のことを「キャッシュ教授」と呼びかけてくれた。私はどこの大学の教授でもないのに、そのときは嬉しい気持ちがした。
脚注の替わりに、私は各手紙の日付や発信の場所を述べることを選んだ、二、三の例を除いて。というのは、場所名は二人の国際的なロマンスの重要な項目だからである。有り難いことに、グリーン=キャサリンの情事はAT&Tの国際電話カードの時代の前だったので二人の通話記録が残っていた。
私はまた、グリーンの文書を保持している他の図書館の素晴らしいスタッフにも感謝したい。これらの図書館の与えてくれた助力には限りない価値があった。ボストン・コレッジのジョン・J・バーンズ図書館では、ロバート・オニール博士は寛大にも私が要求した文書のすべてをほんのわずかの例外を除いて見せてくれた。彼の援助スタッフ、とくにジョン・アテベリーやジョン・ラッセルは、きわめて有能であった。オースティンのテキサス大学のハリー・ランサム人文学研究センターはまた、イーヴリン・ウォーの私的書類と同様にグリーンの私的書類のコレクションを保持していて、これらは広く調査されている。クリス・ファリントンがテキサス大学のグリーンの書類のもっとも手助けになる保護者の一人であることをグリーンは証明するだろう。
本書における他の主たる源泉は、私のオリジナルのインタヴューである。次の方々の協力と寛大さがなかったならば、本書は書くことができなかっただろう。とくに、ヴィヴィアン・グリーン、グレアム・グリーン未亡人に、彼女の人生の苦痛に満ちた時機に連れ戻すような多くの質問を前にして彼女が示した率直さに感謝したい。また、グリーンの娘のキャロライン(ルーシー)・ブルジェは、ジグソーの幾つかの欠落箇所を埋めてくれて、一九四〇年代のグリーンの家族生活に新鮮な展望を与えてくれた。イヴォンヌ・クロエッタはグリーンとの三一年に及ぶ生活について、わずかのインヴューしかしなかったけれど、彼女は模範的な語り手であった。グラム(彼女はグリーンの名前をこのように発音していた)のすべてを覆すような、また二面性を持つ本性の問題が出てくると、彼女は単に笑って気まずさを紛らせてくれた。そしてレイディー・ロングフォードはインタヴューの場でも戦後のロンドンの文学的社交界について炯眼を備えた専門家であり続けた。
マイクル・メイヤーは真の友情を示す肩の凝らない率直さをもって、一九五〇年代のグリーンについて語ってくれた。レイディー・セリナ・ヘイスティングズは、彼女の素晴らしいウォーの伝記における多くの同じような盛衰を通して価値ある情報のみならず、励ましの源泉となってくれた。ウォーという主題に関して、私はウォーの文学的遺言執行者たるオーベロン・ウォーに大きな感謝を捧げたい。彼はウォーの小説、日記、手紙などからの引用の許可を与えてくれた。グリーン=ウォーの友情は一九四九年代の後半までは作り出されなかったし、ウォーの片めがねは、グリーン=ウォールストン情事の発展を見守る魅力的な側面観を提供している。
感謝されなければならない他の人たちの中に、グリーンのカトリシズムのパラドックスの厳しい、かつ聡明な分析をしてくれたピアーズ・ポール・リードがいる。