目次
はじめに
第1章 対話に先駆けて
待ち望まれる「対話」という言葉
ワキとしての対話
対話は綺麗事か
対話の同義性と方法論
社会構成主義の方法論
第2章 対話とは何か
対話の辞書的意味
対話の歴史的用例
対談と対話
話し合いと対話
「立つ」ということ
対立と対話
対話座りの「車座」
辞書的意味のまとめ
会話ではない
暴力、武力行使ではない
第3章 対話という言葉と対話の使われ方
対話の分類
対話形式
メタファー
メタファーとしてのジャズ
対話の特徴
双方向である
会話の日常での使われ方
対話の日常での使われ方
対話の実現不可能性
矛盾、緊張
カポエラと矛盾
第4章 コミュニケーションと対話
コミュニケーションモデルとしての対話
単方向性は常に悪か
問題解決型モデル
コミュニケーション能力
ディベートからダイアローグへ
ディベートとしての外交
教育としてのディベート
相対主義と対話
多様性を確保するために
差異と向き合う
メタレベルのコミュニケーション記述
第5章 対話の語用論
社会構成主義
対話のメタ目的
ヴィゴツキーの対話
ヴィゴツキーの内言と外言とソシュール
チョムスキーと内言、外言
言語学とバフチンの対話
語用論と対話
ポライトネス
スピーチ行為
協調の原理
会話分析
第6章 対話のアイデンティティ
コミュニケーション論と対話
民主主義と対話
ハバーマスの理想的スピーチ状況
自文化内対話
対話とアイデンティティ
心理学の対話
対話における自己
自己を著す
自撮りのアイデンティティ
自撮りという行為
さらに自撮りについて
異文化コミュニケーションと対話
対話モデルと方法論
パフォーマンス・オートエスノグラフィー
異文化コミュニケーション研究の対話論
第7章 対話論者の対話
対話論者の対話論
バフチン
ボーム、ブーバー、フレイレ
ボーム
・対話の意味
・ボームの対話以前
・対話の目的
・対話の手続き
ブーバー
・対話の定義
・対話の分類
・対話の実現(不)可能性
フレイレ
・フレイレの対話
・対話の定義
非対称性を賛美する
第8章 政治対話 中国
外交理論の中の対話
対話の歴史
対話の名称
対話に期待する
二〇一三年初頭のアルジェリア人質事件
対話の矛盾性
対話の自省性
中国との対話
領土問題と対話
国境を介しての対話
必要性と期待感
対話のドアが閉められた
施政方針演説
南シナ海での緊張
中台首脳会談
第9章 政治対話 北朝鮮ほか
武力と対話 対「イスラム国」
イスラム教との対話
武力の(不)介在による対話の三活用と変容する役割
対話と圧力
北朝鮮
韓国の反応
中国の反応
対話表現のずれ
対話を拒否する
再び「対話と圧力」
「対話と圧力」の矛盾
拉致問題調査報告の公表延期
北朝鮮の挑発
韓国
日韓財務対話
民間レベルでの対話
G7における対話路線
北朝鮮、G7と対話
安倍首相の施政方針演説
丁寧な対話
真の対話外交とは
第10章 経済、医療、教育対話
市場との対話
市場との対話の意味
市場の応答
株主との対話
コミュニケーション能力としての対話
対話を拒否する、拒否しない
対立と対話
米中サイバー閣僚級対話
対話の表記
医療コミュニケーション
高齢化社会と対話
オープンダイアローグを支えるもの
オープンダイアローグの発祥の地
オープンダイアローグとは
オープンとは
類書の刊行
その他の医療コミュニケーション
オープンダイアローグとの比較
人生相談としての医療
科学コミュニケーション
教育における対話
・教養とは
・リベラルアーツと対話
・対話としての哲学
・子どものための哲学
・体罰と対話
アスリートの対話
・身体との対話
・スポーツマネジメントの対話
裁判員制度
宗教間対話
第11章 今後の対話のために
アメリカとの対話
・被爆者との対話
・アメリカ大統領選
・潜在的な問題と対話
人工知能(AI)の対話
・AIの台頭
・AIの歴史
・コンピューターへの指示
・コンピューターが苦手とするもの
・AIにおける対話の意味
・さらなるAIの対話
・心を持つロボット
・欠陥ということ
・AIの対話
終わらない対話――あとがきにかえて
索引
前書きなど
はじめに
研究の中心的なテーマとして対話を取り上げるに至った経緯は偶然以外の何ものでもなかったのだが、筆者が専門とする(異文化)コミュニケーション研究をはじめ、人文・社会科学が経験したパラダイムシフトの影響を強く受けていることは確かである。実証主義から解釈主義そして社会構成主義への移行、ならびに社会文化アプローチに裏付けられたヴィゴツキー、バフチンといった研究者の考え方に触れる機会を得たのが直接の契機となっている。
研究界のこうした対話的転回は日常生活とは何らの関係もないだろうと想像される方もいようが、実はこれが大いなる勘違いで、私たちの日常生活は対話で溢れていることに即座に気づかされた。きっかけとなったのは、政府要人が頻繁に口にする「対話のドア」発言である。政治家が外交場面で使う「対話のドア」とは一体何か、そして対話のドアで使われる対話の意味は何か。政治家の声や日々の報道に登場する対話の使用法、意味、ニュアンス、トーンなどを調べるうちに、政治外交に留まらず、幅広い文脈に対話や対話概念が登場する事実を目の当たりにした。
発話の使用法、意味、ニュアンス、トーンなどを探る過程は、バフチンが多声性概念を探り当てた、ドストエフスキーが描く登場人物らの声の(不)共鳴に耳を傾ける方法に重なり合っている。対話の意味を読み解くことをし続けるうちに、本格的に、真剣に対話についての議論を展開させていくことを決意し、理論的背景を調べはじめた。
このように本書での問いは極めて素朴なものから出発しており、対話とはどのような概念であるのか、日常生活の中やニュースが報道されるような文脈において、対話はどのような使途、機能、意味、ニュアンス、トーンを有するのかである。「対話」という言葉そのものの意味論であり、語用論でもある。
(…後略…)