目次
序 新しい資源論への期待(石井素介:明治大学名誉教授)
第I部 資源の見方
第1章 「人々の資源論」前史〈日本の資源政策と「総合」〉(佐藤仁:東京大学)
第2章 森が資源となるいくつかのみち〈中国の歴史という事例から〉(平野悠一郎:森林総合研究所)
第3章 人々が資源になるとき〈タイ北部における「参加型開発」の地域性と歴史性〉(野村彩子:東京大学)
第II部 資源の争われ方
第4章 銅のそばに暮らす人々〈コッパーベルトに見る「資源の呪い」〉(石曽根道子:東京大学)
第5章 森は誰のものか〈インドネシアの森林資源管理をめぐる政治過程〉(安部竜一郎:立教大学)
第6章 くり返される水争い〈タイ北部に見る環境変動の実態と認識の乖離〉(山口健介:東京大学)
第7章 国家に見捨てられた資源〈日本石炭産業に見る「資源」と「地域」の特徴性〉(バイオッキ育子:東京大学)
第III部 資源のつながり方
第8章 資源開発に流れる私たちのお金〈ビルマの2007年9月事件と「制裁」〉(松本悟:メコン・ウォッチ)
第9章 森に「網」が打たれる〈技術と制度がたぐり寄せる屋久島の天然資源〉(王智弘:東京大学)
第10章 資源開発と合意形成〈人々がつながる資源管理へ〉(栗田英幸:愛媛大学)
あとがき 本書の成り立ち(佐藤仁:東京大学)
前書きなど
あとがき 本書の成り立ち
(…前略…)
もともと「資源」に着目したのは、私が調査フィールドにしていたタイの森林・土地問題を分析する際に、開発と環境を別々に扱うのではなく何らかの視点に基づいて統一的につかむ方法はないものかと模索していたときである。本来は自然の一部として有機的につながっている森や土地を、林学や土壌学などの看板の下に別々に論じているのでは一体的な政策論にはならないと考えていた。そこで悩んだのは「統一的な視座」とは何か、という問題である。そんなときにヒントになったのは、筆者が住みこみ調査をしていたタイ中西部のカレンの人々の生業であった。彼らの焼畑移動耕作は、10年以上の休耕期間を「肥料」にして、森と畑がゆっくりと入れ替わるシステムであり、農地と林地は一体をなしている。ところが近代の土地行政は、森と畑とを明確に区別し、それぞれに別々の所有権制度を押しつけてきた。学問や行政の区分けを前提とせず、そこに生活する人々の視点を中心に置くことの価値を再認識したのはそのときである。
本書は、この視角をさらに発展させて、一般の人々が資源とどう向き合ってきたのかを日本を含めた世界各地の現場から考察したものである。構成を手短に概観しておこう。第I部「資源の見方」では、資源という存在が決して所与とすべき固定的なものではなく、ダイナミックで地域性と時代性に規定されている文脈依存的な概念であることを明らかにする。まず、第1章(佐藤)は、日本資源論の系譜を振り返った総論的な章で、とりわけ日本の資源政策における「総合」の役割に着目したものである。第2章(平野)は、中国の森林を事例に長い歴史の中で森林が価値を帯びる側面が多様に展開し、相互作用をくり返してきたことを示す。第3章(野村)は、タイ北部を事例に辺境の人々を資源として見出してきた歴史と問題点を、参加型開発という概念との絡みで論じてみた。
第II部「資源の争われ方」は、第I部における資源の動的な定義を受けて、資源が多様なアクターによって争われる様を具体的な事例の中で解きほぐす。資源をめぐる争いが起こるのは、まさに資源が多義的であることの例示といえよう。第4章(石曽根)は、アフリカのザンビアにおける銅開発を事例に、なぜ銅ビジネスが活況を呈しているにもかかわらず、それに従事している人々の生活が豊かにならないのかを問い、資源をめぐる政治経済学を展開する。第5章(安部)は、インドネシアの森林を事例に、少数民族や政治家といった多様なアクターが森林の生み出す超過利潤を手中に収めるべく争う様を現地調査に即して論じた。第6章(山口)は北タイにおける水争いを事例に、雨量などの自然科学的なデータと人々の認識を突き合せながら、両者の乖離を説明することで「現場の人々」だけに資源管理を任せることの限界を示唆する。第7章(バイオッキ)は日本の石炭産業の栄枯盛衰に着目し、石炭産業の停滞が石油の登場によって「自然に」もたらされたわけではないことを論じると同時に、資源と地域社会との関係を展望する。
第III部「資源のつながり方」では、資源そのものが孤立しているわけではなくほかの資源と有機的に連結していること、そして、それを取り巻く人々も多様な仕方でつながりを形成している事実に光を当て、人々の資源論を展望する。第8章(松本)は、海外における不適切な資源開発が、実は私たち日本人の税金によって支えられている実態を明らかにし、「人々」に私たち自身を含めて考える必要性を訴える。第9章(王)は、屋久島を事例に森と海という別個の資源が生活者によって一体的に扱われている事例を掘り起こし、他方で離島という政治的な条件が島の資源利用を規定してきた歴史を現場に即して論じる。最後の第10章(栗田)は、フィリピンの大規模開発を事例に、強制移住を強いられる人々が諸外国のNGOなどと連携を組みながら「声」を発する過程に着目し、国境や階層を越えた人々の連帯可能性を展望する。
(…後略…)