前書きなど
私は、主人とは違って日本人の行く小学校に通い、「自分は日本人だ」と思っていました。日本語もクラスのみんなと話していて、とくに違和感はありませんでした。しかし、いまから考えると、やはりみんなとは少し違う、という思いがあったようです。クラスでとくに仲の良かった友達ふたりは台湾人でした。クラスは五〇人ほどで、そのなかで台湾人は三人だけ。この三人がとても仲良しだったのです。きっと「自分は日本人とは少し違うようだ」と肌で感じるようになったのだと思います。
私が小学校で勉強したのは、『花咲かじじい』や『桃太郎』などの日本の物語でした。一年生のあるとき、先生が子供たちに「何かお話をしなさい」と言いました。台湾人の子が台湾でいちばん有名な『虎ババア』の物語を一年生のたどたどしい日本語で話しはじめると、先生は「そんな話よりも日本のお話のほうがいい」と言うのです。
こういうことからも、「台湾と日本はどこか違うのだなあ」とぼんやりと思っていたのですが、なにしろ私の両親や父方の祖父は親日的な気持ちをもっていましたし、私もそうでしたから、台湾人としての強い意識とか、日本に対する強い反感とか、そういうものはありませんでした。(本書 第1章より 盧千惠筆)
世論調査で、「私は台湾人です」というアイデンティティが六五パーセントにも上り、「現状維持」つまり中国とは併合したくないというものが八五パーセントを占める状態は、台湾人共同体が形成されつつある指標であります。他方「台頭する中国」は、いつまでも続くものではありえません。私が心配するのは、機会到来の折に台湾人がmade in Taiwanの国家建設の意志を、強く持つか否かです。それを強化しなければなりません。機会の女神は後ろ髪を持たないといわれているからです。
台湾がmade in China の中華民国あるいは中国とは何の関係もない、台湾住民多数の意志に従って新しく生まれたmade in Taiwanの国連加盟国となること、そして事実上(de facto)の国家から法理上(de jure)の国家になることを目指してがんばっていきたいと思っています。そこにこそ台湾の生き残る道があります。(本書 第8章より 許世楷筆)
台湾人の物語の中に、やっと恐ろしい巨人国から逃げ出した阿乃と阿雲が、木の葉のような小さな船で、さらに荒波を乗り切って美しい島にたどりつく、というお話があります。それと同じように、台湾人は新しい国にたどりつくまでには、荒波のさかまく烏水溝(台湾海峡)を乗り越えて行かなければならないのです。
(本書 あとがきより 盧千惠筆)