紹介
日中戦争終期のころから太平洋戦争の時代、そして、終戦直後を少年少女として生きた人々が、戦時下の暮し・終戦直後の暮しの体験を、それぞれに綴った。少年少女であった人たちは、暮らしの中の戦争の姿を、誇張も虚飾もなく、直截に述べていて、はからずも、近代史・現代詩の貴重な歴史書・証言の書となっている。空襲・疎開・勤労動員・長崎原爆の被爆の姿ー被服が裂けて垂れ堕ちていると見えたが実は皮膚がはがれていたー・疎開先での引率教師の暴力と隠匿ー生徒がもらった食料を隠匿して酒に替えた暴力教師がいたー・満州引き揚げ者の苦難、敗戦を国民に告げた「玉音放送」は、理解できなかった。そして、戦後の学制改革の中での小学生・中学生・高校生。
苦しいなかで、10歳前後の年齢で、弟・妹を背負って空襲から非難し、食料の獲得に奮闘し、それでいて、明るさを失わなかった子どもたち、悲惨な戦争を経て、新憲法のもとに生活の再建に取り組み始めた日本人の一つの原点を示している。
さらに、座談会では、千葉県我孫子市に生まれ育ったお年寄り三人を囲んで、暮らしの場での戦争の姿を浮き彫りにした。
〇総ページ 260頁 A5判
〇著者の多くは、現在の我孫子市民
目次
刊行にあたって
座談会 我孫子の戦中・終戦直後
体験記 東京初空襲~初のB29東京本格空襲~松本へ疎開
戦中戦後の東京・館山の少年
東京下町でので戦中戦後
国民学校六年間の戦中戦後、戦後の苦学
姉たちが見たヤンバルの戦世(イクサユー)
敗戦の朝リュック一つで
空襲、学校、のもんはん、強制収容所
私の戦中戦後忘れ残りの記
はやり歌で顧みる戦中・戦後
八月一五日、川遊びから帰って
貧しくても生き生きー茨城・利根川辺の子どもたちー
米軍ミリタリーポリス同乗勤務顛末記
大戦と私の学業ー寺に生まれてー
一九三二年生まれの戦争・敗戦の思い出ー神奈川で、そして和歌山からー
少年Aの戦中・戦後
土浦で見た予科練生の親との別れ
長崎原爆の体験記
「少国民」から「小学生」に
私の戦中 昭和二〇年五月三一日まで
集団疎開顛末記
戦時下の旧制中学校生活
一九三〇年生まれの愛媛での戦中・戦後
「銃後の守り?」-戦争にとられなかった父ー
敗戦直後の学生生活
伯母の戦争ー満州で息子三人死去、夫はシベリア抑留、娘と戦後を生きるー
新潟市の国民学校での戦中、終戦直後の中学入学
資料 戦中の新聞
『体験記 私たちの戦中・終戦直後史』編纂を経てー編集委員それぞれの思い