目次
はじめに――断末魔の教育現場
1 教育現場で起きていること
2 何が何でもデジタル化
3 かけ算「九九」が言えない小学生の続出
4 「繰り上がりのあるたし算」「繰り下がりのある引き算」がわからない子ども
5 おもしろくない学びの極致――3・4年生の社会科
6 おもしろくない学びは理科も同じ
7 国語嫌いが増えている
8 中学校に行く前に英語嫌いに
9 学級づくり
10 小一ギャップ
11 中一ギャップ
12 戦後教育の初心に帰る
前書きなど
はじめに――断末魔の教育現場
今、日本の教育は瀕死の状態です。断末魔の中にあります。小学校・中学校の公教育の現場は異常な事態になっています。
原因ははっきりしています。国の教育政策の失敗です。もっと言えば、2006年の第一次安倍政権以降の教育行政が戦後70年にわたって培われてきた「学校教育」を破壊してしまったからです。これから本書で述べていくように、教育現場を崩壊させた原因が分かっているのにそれを是正することができないのは、あちこちから膿が吹き出していて、もはや何から手を付けていいのか誰にもわからない状態になっているからです。
学校の教員も、保護者も、日々、悪しき教育政策に晒され、慣らされ、もはや「お上」を批判することは無論のこと、その行き当たりばったりの朝令暮改の指導に疑問を持つことすらなく、上から下りてくる教育政策を受け入れることしかできなくなっているということです。
その結果、子どもがまず第一の被害者となり、次いで現場の教員たちと親が被害者となっています。
●夏休みあけの不登校と自殺
たとえば、夏休みあけの登校日(北海道以外は9月1日)に不登校になる子どもが年々増えているという報道がありました。テレビ番組では識者が「休み中、家でのんびりしていたので生活のリズムが狂ってきているんですね」とか「それを修正しなければいけないですね」などと言っていました。
冗談ではありません。「年々」不登校が増えているのですから、「年々」学校がおかしくなっているということでしょう。子どもたちが「学校に行きたくない」「行けない」と言っているのに、それを「家庭のせい」「子どものせい」にする。学校に行けなくなるまで子どもたちが追い込まれているのに、マスコミも識者もまだ気付かないふりをしている――。
夏休みあけに自殺する子どもたちが年々増えているという報道もありました。
これについては「今の子どもは、生命を粗末にする」という識者のコメントがありました。しかし、まず考えるべきは、学校生活だと私は思います。子どもの生活でいかに学校の占める割合が大きいか。そしてその中で、どれほど苦しんでいるのか。子どもたちは、死ぬほど、学校に行きたくないのです。
●いじめの増加と「居場所づくり」
不登校や自殺の原因ともなる「いじめ」の数も年々増えています。教育委員会は「いじめの数が増えているのは、学校現場にいじめの意味の理解が広まったので、それが数字に表れたため」とよく言います。よくもそんな屁理屈を言えたものです。教育委員会の押し付けてくる管理教育こそが子どもたちを追い込み、いじめを誘発しているのですから。
年々増えるいじめに対して教育委員会は、「いじめで苦しんでいる子どもに対策を」ということで、「子どもの居場所づくりが必要」などと言い出しています。何もしないよりはましかもしれませんが、そもそも「なぜ子どもがいじめで苦しんでいるのか」という根本のところを見ないまま「対策」を立てても根本的な解決には至りません。悪しき教育政策に基づく教育委員会の学校への細かな「指導」によって子どもたちは管理され、追い込まれ、いじめが起こりやすくなっているのです。その教育委員会が「居場所づくり」を進めるという矛盾。そして、そこに「配置」される人材が「元校長」という現実。子どもの居場所が元校長の居場所――天下り先となっているのです。
●教員の退職となり手不足
さらに、年々、定年前に辞める教員が増え、教員になりたいという若者が減っています。おそらく、日本中で学級定数に対する教員数が確保されていないはずです。教員が産休や病休に入っても、かつてのように代わりに入る教員がいないのです。
このような教育行政の不備や矛盾、管理のしめつけは、子どもたちの学校生活に多大な影響を与えます。たとえば、不登校や自殺に加えて「学級崩壊」が起こります。子ども同士の人間関係も教員との信頼関係も崩れ、授業も学級活動も成り立たなくなるのです。そうなると、ドミノ倒しのようにさまざまなことが起こります。たとえば一部の保護者が学級が崩壊したのは担任のせいだと言い出します。なかには凄まじい担任攻撃を執拗に行う保護者もいます。限度を超えたそれは「犯罪」と言ってよいほどですが、それが犯罪となることはまずありません。
保護者から攻撃された教員の心は折れます。そして多くの人が、黙って病気になって、黙って辞めていきます。みな自分が悪いのだと思っているからです。
しかし、違います。教員も、あえて言いますが保護者も、悪くないのです。悪いのは、批判されるべきなのは教育政策・教育行政なのです。……