紹介
企画やリサーチ、コンサルティングなどの領域でも活躍する建築家へのインタビュー集。
設計業務へ結び付けやすいという実利的な面だけではなく、よりよい設計ができるような環境を整えること、そして多様化する社会にプロジェクトを対応させ、歴史文化やコミュニティに貢献する事業を生み出すなど、建築家が“設計周辺”に職能を広げることへの可能性を探り、また必要となる「多様な専門領域」をもつための「組織の工夫」も同時に尋ねた一冊です。
以下の8組が登場。山道拓人・千葉元生・西川日満里/ツバメアーキテクツ、古澤大輔・籾山真人/リライト、豊田啓介・蔡 佳萱・酒井康介/noiz、齋藤精一/Rhizomatiks Architecture、蘆田暢人/蘆田暢人建築設計事務所、落合正行/日本大学理工学部まちづくり工学科 落合研究室、中村真広/ツクルバ、岡部修三/upsetters architects
目次
はじめに 建築の跳躍を目指すトライアル 古澤大輔
巻頭鼎談 士業と思想の二つの世界の横断を試みる〝上流工程〟での活動
古澤大輔[リライト]×岡部修三[upsetters architects]×千葉元生[ツバメアーキテクツ]
1 空間をつくる「Design」とプロジェクトをつくる「Lab」の二部門構成でソーシャルテクトニクスを体現する
山道拓人・千葉元生・西川日満里[ツバメアーキテクツ]
2 ハード(建築)とソフト(仕掛け)を融合させた〝場所づくり〟を実践
古澤大輔・籾山真人[リライト]
3 コンピューテーショナル・デザインを武器に、デザインと戦略を提供する
豊田啓介・蔡 佳萱・酒井康介[noiz]
4 アートの手段を用いながら建築や都市のフレームワークを構築する
齋藤精一[Rhizomatiks Architecture]
5 エネルギー関連のデザインリサーチから建築企画の上流を目指す
蘆田暢人[蘆田暢人建築設計事務所]
6 研究室でリサーチやコンサルティングを担い、良い設計与件をつくっていく
落合正行[日本大学理工学部まちづくり工学科 落合研究室]
7 自社プロジェクトで都市・建築へのエールを送る
中村真広[ツクルバ]
8 デザインと戦略、建築家として新しいフィールドとかたちを求めて
岡部修三[upsetters architects]
前書きなど
はじめに 建築の跳躍を目指すトライアル 古澤大輔
建築は、社会的な状況と密接な関係をもつものであることは言うまでもないだろう。社会のなかで何かしらの目的を達成するために建築はつくられるがゆえ、まずもってして社会的な役割を建築は担っている。一方で、そもそも建築とはさまざまな部位部材たちが組み合わさって立体を形づくる物理的な存在でもあるし、その建築の形態が発する意味は、美的あるいは文化的尺度によっても審判される。つまり建築は、少なくとも物理的な側面、目的的な側面、そして意味的な側面が組み合わさった複合体であり、建築を設計するということは、これらを統合することに他ならない。しかし、最近のメディアの動向を見ると、建築の目的性に関する議論が集中していて、建築的形態が発する意味の可能性などの議論は後退してしまっている。僕なんかはそれを結構不満に思ってたりもしている。
どうしてこういう状況になっているのか。いくつか原因はあるだろうが、端的に言って僕は、ポストモダンの時代への誤解が大きいと思っている。僕が学生時代に建築を学んだ頃にはポストモダンはすでに終わったものとして扱われ、ろくな評価をされていなかった。しかし歴史的には、一九六〇年代に初めて史上に位置づけられる日本独自の建築論としてメタボリズムが誕生して以降、七〇年代の近代建築への同時多発的な批判運動の勃興を経て、八〇年代のいわゆるポストモダンと呼称される時代まで、先ほど挙げた建築の物理性・意味性・目的性が、どういう文化的、歴史的な有用性をもつのか、議論がひたすら行われていた。つまり、ポストモダンの時代まで、文化的にものすごく豊かに建築の議論が展開されていたのである。ただ不幸なことに、そののちに日本の社会に到来したのは社会の成熟ではなくバブル経済だった。そして、バブルの崩壊とともに、建築的な議論が未成熟のまま突如終わってしまい、建築的形態のもつ意味性に関心が増大した時代であるポストモダンが殊更にやり玉に挙げられ、それまでの議論でさえも無意味だったというレッテルが貼られてしまった。さらにバブル崩壊後には、不良債権化した倉庫や工場といったものをリノベーションによって再生させ、市場を流動化させようとする九〇年代後半の動きや、不動産証券化の影響が待ち受けていた。そして、二〇〇一年から始まったJ-REITの市場創設以降、不動産がファンド化することによってクライアントが不特定多数となり、建築家が価値を享受させなければいけない対象が不明瞭になってしまった。なおかつ、都市部においてオフィスビルの床面積が余るという二〇〇三年問題もあった。その影響で、リノベーション・コンバージョン事業が盛んになり、建築家が企画段階から関与するなど、建築家のアクティビストとしての側面が社会的に取り沙汰されるようになってきたのである。こうした背景のなかで、本書は、このような建築家の「職能の拡張」といった、共時的な文脈の上に位置づけられるものだろう。
建築家、つまり「アーキテクト」という言葉を聞いたとき、僕は世紀単位のスパンで先代たちの通時的な仕事をイメージしてしまう。僕がつくった建築をコルビュジエが見たら何て言うだろうか。あるいは一〇〇年後の人たちが見たらどんな反応をするだろうか。そんなことを想像しながら、モードを共時的な側面に切り替えてクライアントプレゼンに向かう。しかし建築は、言うまでもなく奥が深い。地球の重力と人間のスケール、そして太陽の光は紀元前から不変だから、その職能は大きく言えばウィトルウィウスの時代とパラレルだ。でもビジネスにおいては、常にスキームが共時的な変動をするから、先達とパラレルな関係を実感することはなかなか難しい。たった十数年でポケベル時代のビジネスモデルをAI時代にパラレルに転用できなくなってしまう。そもそも人間は、社会・共産主義/民主・資本主義という限られたオペレーションシステムしか開発できていないけれど、もし第三のシステムが出現すれば、従来のビジネススキームなんて吹っ飛んでしまうだろう。つまり建築とは、それを取り巻く共時的なコンテクストと密接に関係しながらも、コンテクストから自律した両義的な存在なのだ。建築はコンテクストに接地していて、しかし同時に離陸している。
「アーキテクト・プラス」と題された本書のタイトルだが、「プラス」の背後に「マイナス」を想起させるがゆえ、もしかしたら違和感をもつ読者もいるかもしれない。じつは僕もそのひとりだった。でも、本書で取り上げられているさまざまな取り組みを「スタディ」というふうに受け取れば、社会シナリオの急速な変化に建築を接地させるために、アーキテクトという職能をスタディしている現代的な様相が立ち現れてくるだろう。そして、このスタディ過程を批評の海に投げ掛け、皆チューニングしているのである。だからこう考えてみたらどうだろう。コンテクストから自律し、建築が離陸するためには十分な距離の滑走路が必要だ。本書で示されたのは、確実に接地しながら滑走し、「建築」の跳躍を目指す建築家たちの、時宜を得たトライアルの切断面なのだと。そして、この切断面をつなぎ合わせれば、これらの取り組みによって切り開かれる豊かな建築の地平を感じ取ることができるだろう。それが本書の価値なのだ。
この先に見る「建築」の姿に思いを馳せれば、建築の未来はたぶんきっと、輝いている。