目次
編者による注記 ✶ 005
収容所のプルースト ✶ 011
後注 ✶ 106
ジョゼフ・チャプスキ略年譜 ✶ 137
ジョゼフ・チャプスキ著作一覧 ✶ 151
プルースト、わが救い 訳者解説にかえて 岩津航 ✶ 154
グリャーゾヴェツ・ノート ✶ 別丁
前書きなど
「プルーストに関するこのエッセイはもともと、一九四〇年から一九四一年にかけての冬のあいだ、ソ連のグリャーゾヴェツにあった元修道院の冷えきった食堂、すなわち捕虜収容所の食堂でもあった部屋において口述筆記されたものである。
以下に読まれる文章が正確さを欠き、主観的であるとすれば、それは収容所に図書室がなく、自分のテーマに見合った本が手元に一冊もなく、最後にフランス語の本を読んだのが一九三九年九月だったということに、いくらかは起因する。わたしがなるべく正確に描こうとしたのは、プルーストの作品に関する記憶でしかない。だから、これは言葉の本当の意味では文学批評ではなく、わたしが多くを負っていた作品の思い出、私が二度と再び生きて読み直すことができるかもわからなかった作品についての思い出を提示したものである。
〔……〕
シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストやドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。
このエッセイは、ソ連で過ごした数年のあいだ、わたしたちを生き延びさせてくれたフランスの芸術に対するささやかな感謝の捧げ物にすぎない。」(「著者による序文・1944年」より)