目次
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序章 『虚構』の反響
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第一章 「命のヴィザ」映画、四本を検証する
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映画が作る歴史
偶像崇拝のタブーをめぐる決疑論/屁理屈
『命のビザ 六千人のユダヤ人を救った日本領事の決断』1992
『ビザと美徳』1997
『日本のシンドラー 杉原千畝物語』2005
『杉原千畝 SUGIHARA CHIUNE』2015
隠されてしまったもの──「スクリーン」の意味
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第二章 日記と回想録のなかの〈あの時〉1940.6-8
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六人の日記・回想録著者
ソ連軍進駐前夜の雰囲気
ソ連軍進駐
一般市民の受け止め
「雨を逃れて拷問台の下」
日常生活の「赤化」
宗教に対する戦争
身柄拘束の危険
着実なソヴィエト化
それでも「ナチスの脅威」を語るならば
国外脱出の可能性
「キュラソー・ヴィザ」と杉原ヴィザへの言及
「一・五次資料」と「二次資料」のあいだ
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第三章 「命のヴィザ」の誕生
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最初の賛辞 1944-1956
小辻節三のユダヤ教改宗 1959
小辻節三による杉原死亡説 1959-1964
ベンジャミン・グレイから杉原弘樹への手紙 1963
ゾラフ・ヴァルハフティグのインタヴュー 1965
杉原千畝のロシア語覚書 1967
「命のヴィザ」言説の誕生──『朝日新聞』の記事 1968
一度目の「諸国民のなかの義人」認定審査 1968-1969
マーヴィン・トケイヤーと杉原千畝 1968?
加瀬英明「日本のなかのユダヤ人」1971
小辻節三の死 1973
犬塚惟重のシガレット・ケース(その一)1975-1979
犬塚きよ子による『河豚計画』批判 1979
犬塚惟重のシガレット・ケース(その二)1979-1982
小辻節三の「反ユダヤ論」について
『河豚計画』執筆の背景への洞察
『河豚計画』におけるナラティヴの自壊 1979
フジテレビ番組『運命をわけた一枚のビザ』1983
ゲアハルト・ダンプマン『孤立する大国ニッポン』1981
二度目の「諸国民のなかの義人」認定審査 1983-1984
ゾラフ・ヴァルハフティグの回想録『ショアー期の難民と生存者』1984
「命のヴィザ」言説の確立 1985
顕彰をつうじての贖罪──「命のヴィザ」の現象学に向けて 1986~
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終章 杉原幸子『歌集 白夜』の謎
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註
関連年表