目次
1 ホモ・アンブランス(歩くヒト)になる――歴史を「歩き」直す方法
ゆっくり歩く 見えてくる
歩く、見る、書く――フィジオノミーというメソッドについて
物量と記号が氾濫する時代には、「小説」がふさわしい。
デフォー、あるいは〈敵〉?
近代の寓話――デフォー『ロビンソン・クルーソー』
暗号で書かれた日記――サミュエル・ピープス『日記』
性懲りもなく証拠――ドキュメントの近代史
風刺の黄金時代を嗤う
もう結構な話――ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』
ポンス熱死――バルザックとわたし
運命ヴィジュアル
破顔一笑の本
フィジオノミー世紀末――顔で歴史を読む
禿頭王の恥じに始まる――かつらの近代史異説
「自由」をかぶった近代人――かつらの文化史、一番肝心なこと
ザッツ・キャラスタリスティック――気質文学東西
逸れるたのしさ――「キャラクターをめぐって」
2 見ることに洋の東西はない――視覚文化論実践篇
既知のように語っていいのだろうか――モダニズム管見
ただ絵を論じても仕方がない――ポー文学のヴィジュアリティ
啓蒙イギリスの本屋さん
アクチュアライズする目――身体また十八世紀に発す
もの知り近代の初め――エフライム・チェンバーズ
十八世紀の一時間旅行
トゥーンベリ『江戸参府随行記』
アッカーとアーカート――源内は立派に世界文学
エレキテルと探偵――平賀源内と夏目漱石が視た光と闇
青い目のキョクテイ
大江戸マニエリスム事はじめ
マニエリストの才覚――『西鶴諸国ばなし』
表現者は身に繍るひと――松田修
「むしろ迂愚のごとく」のすさまじさ――その激語は一層のアウラを
歌麿のShell Shock――『潮干のつと』購入に感謝
十八世紀の身体を開く
大江戸新美術史――スクリーチ『大江戸視覚革命』
外連ピクチャレスク
のぞく近代――襞と襞の戯れ
聖と俗とをとりまぜながら、エロティックな文学は、人と人との関係を反映する。
ポルノの黄金時代
マニエリスムの恋人たち、または口ほどにもあるメタ・ポルノ
視覚的快楽の閉回路へ
『エロトス』の女芯に
もっとタフなフェミニズムのために
3 見えるものはこんなにも楽しい(Ⅰ)――表象論基礎篇
タブローのかたちをした空間――『言葉と物』と一九六〇年代
フーコー、跼蹐せず――『言葉と物』のアフターエフェクト
「物類」というタブローの宇宙――江戸本草学と花
2004年夏、オランダの光
珍しく花のある話――フローラル・ペインティング序説
プリズマティックス
マニエリスムの王位継承者――ハムレットとドン・キホーテの図像学
自由放任の終わり――デフレと推理小説
『緋色の研究』を研究してわかること
百貨と胃袋――ゾラ・ヴィジュエル
「まったく新種の店」のパラダイム――ワナメイカーの世紀末
“世界は百貨店”とパリは言う
「パトロン」の系譜と機能
美術館の収集品とは、略奪と権力の象徴
身体という「驚異の部屋」
メトニミックス――金子國義について
インテリオフィリア――金子國義ふたたび
4 庭のように世界を旅する――ピクチャレスク遊学篇
「箱」ルネ=サンス――内藤ルネ讃
「風景画」の秘密――豪奢な夢①
ラスキンとピクチャレスク
夢てふものは――『春昼』の風景
十九世紀美術史を映しだす鏡――ブロンテ姉妹と「絵」
廃墟としての世界
廃墟のパラドキシア
ボマルツォの怪物庭園
フローラル小劇場――ガーデニングの世紀末
本当の「英国式」庭園について
動く密室――豪奢の夢②ツーリズムの近代(前)
乾いた日常を濡らす源「泉」
地図のポストモダン
軍隊のような旅――豪奢の夢③ツーリズムの近代(後)
世紀末、スポーツはたくらむ――自転車、オリンピック、闘牛
旅という想像力
5 家が「うち」と呼ばれるとき――幻想文学入門篇
辞書と偽書――〈アンティレゴメナ〉文学史覚え
植生の建築史――ヴィクトル・オルタの方へ
マニエリスム――「あの人」としか言えないことの豊かさ
ファウスト、ヴィクトリア朝に甦る
それは繰り返す――『イットを読む』
家庭に潜む恐怖――スティーヴン・キング『IT』
本をデザインする家――『紙葉の家』に興奮した
「ホーンティッド・ハウス」論今般
いま読者に何が「ニードフル」か
「不気味なものが……」川端康成文学の新しさ――「片腕」「眠れる美女」にふれて
6 私は人文がしめ殺されるのをこの目で見た
首都大学というグラウンド・ゼロに立つ