紹介
「唱歌」という、今までにはあまり類のない視点から読み解く日本近現代史。
ひろく愛唱されている文部省唱歌の数々には、近代国家としての「日本」および「日本人」をつくっていくという隠された目的がありました。
明治維新までは、ほとんどの日本人は「日本」「日本人」という自意識のないままに生きてきました。富国強兵策、植民地主義の中で、日本政府は、「日本人」という意識を国民に持たせる政策をとります。それが、国語読本、修身、であり、音楽=唱歌教育でした。
本書は、2015年におこなわれたシンポジウムをもとに、新規書き下ろし原稿を加えました。
今も人々に愛唱されている唱歌の数々を例示しながら、唱歌の成り立ち、植民地政策のなかで歌われた歌詞、戦後の占領政策のなかで黒塗りされた軍国的な歌詞、また官製の唱歌に対抗した「童謡」などをいとぐちに、国文学、社会学、法制史学、また詩人の立場から、近代日本の社会史を広くみていきます。
唱歌の愛好者はもとより、音楽教育、歴史教育の実践者、また、研究者にもおすすめいたします。
取り上げる唱歌は、「庭の千草」「故郷」「我は海の子」「早春賦」「蛍(蛍の光)」「あおげば尊し」「春の小川」「霞か雲か」「夏は来ぬ」「朧月夜」「浜辺の歌」「兵隊さん」「故郷を離るる歌」「里の秋」「故郷の廃家」「鉄道唱歌」ほか。
目次
はじめに 永澄憲史
1 唱歌集 解説 中西光雄
庭の千草
故郷
我は海の子
早春賦
蛍(蛍の光)
あおげば尊し
春の小川
霞か雲か
夏は来ぬ
朧月夜
浜辺の歌
兵隊さん
故郷を離るる歌
里の秋
故郷の廃家
鉄道唱歌
2 座談会 「唱歌 なつかしさとあやうさと」
軍国主義と唱歌
荒地から出発した戦後詩
日本人の空間心性と唱歌
満洲唱歌と北原白秋
国民国家と唱歌
皇民化教育と唱歌
唱歌から童謡へ
兵隊さんはきれいだ、兵隊さんはかっこいい
「故郷の廃家」と硫黄島の玉砕
コラム・ミュージシャンより
歌で導く子どもたちの明日 中西圭三
命を大切に、人を思いあう美しい心を歌っていきたい 野田淳子
一緒に歌うこと、そして今…… 佐久間順平
3 唱歌の社会史 中西光雄
4 童謡はいかに唱歌にあらがったか 白秋の場合 河津聖恵
5 唱歌と空間心性そして植民地 山室信一
むすびに 「うた」のなつかしさとあやうさ 近代日本社会と「国民意識」 伊藤公雄
前書きなど
はじめに
この本が誕生するそもそものきっかけは六年前にさかのぼる。当時、私は京都新聞の滋賀県内の総局に勤務していた。論説委員を兼ねていたので回数は限られていたが、朝刊一面のコラムも執筆した。
二〇一二年五月下旬、翌月に何を書こうか、と思案していた時、河合塾講師(古文)の中西光雄さんが上梓したばかりの『「蛍の光」と稲垣千頴』(ぎょうせい)にたまたま出くわした。総局管内の守山市はかつて「ホタルの里」として全国に名をはせた。ホタルのシーズンも間近。「コラムのヒントが見つかるかも」と、軽い気持ちで頁を開いた。
曰く、「歌詞は四番まであり、四番は『千島のおくも、おきなわも やしま(八洲)のうちの、まもりなり……』と明治国家の意思を具現化し、卒業式などを通して子どもたちの意識に刷り込んでいった」。曰く、「一九〇五年のポーツマス条約で北緯五〇度以南の樺太が日本領となった後は、『千島のおくも、おきなわも……』が『台湾のはても樺太も』と書き換えられた」。曰く、「敗戦後、GHQの指導などにより四番の歌詞は封印され、大半の日本人は忘れてしまったが、第二次大戦で、国内で唯一地上戦が繰り広げられた沖縄の県平和祈念資料館では日本帝国主義の負の遺産として歌詞を常設展示している」―。コラムは何とか書き上げたものの、「何も知
として歌詞を常設展示している」―。コラムは何とか書き上げたものの、「何も知
湾のはても樺太も』と書き換えられた」。曰く、「敗戦後、GHQの指導などにより四番の歌詞は封印され、大半の日本人は忘れてしまったが、第二次大戦で、国内で唯一地上戦が繰り広げられた沖縄の県平和祈念資料館では日本帝国主義の負の遺産として歌詞を常設展示している」―。コラムは何とか書き上げたものの、「何も知らなかった」恥ずかしさとともに、鬱念が澱のように残った。
明治以降、現代に至るまでの教育への国家の関与に関しては、常々、批判的な視点から関心を持っていた。「唱歌」を媒介物として考えてみたら見えてくる世界があるのでは、と中西さんに話を持ち掛け、彼の寄稿による京都新聞朝刊の連載「唱歌の社会史」が一四年十月から始まった。一五年九月まで計十二回続き、中西さんは「蛍の光」をはじめ、「故郷」「春の小川」などを俎上にのぼし、四季を詠い込んだ抒情性とか懐かしさの背後にあるものに迫った。併せて日常生活や個々人の内面に与えた影響などをあぶり出していった。そして連載終了後、問題意識をより深めたい、との思いが二人の間で募り、一五年十一月、中西さんと詩人の河津聖恵さん、京都大学人文科学研究所(当時)の山室信一さん(法政思想連鎖史)にパネリストになってもらい、「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」と銘打った、コンサートを兼ねた討論会を催した。
本書は、討論の中身を紹介するとともに、語り切れなかったことや、やりとりを通して触発されたことなどについてパネリストの三人と、コーディネーターを務めてくれた、京都大学教授(当時)の伊藤公雄さん(社会学)が書き下ろしている。歌詞が文語から口語に変わっていく意外な経緯、唱歌と童謡の関係、旧満州や植民地時代の朝鮮半島、台湾での唱歌的な存在の受容のされ方―などなどいずれも興味深い論考となっている。憲法改悪に向けての歩みが着実に進み、新たな「戦前」が始まった、ともされる昨今、この本から従来、あまりきちんと取り上げられることのなかった歴史の教訓をくみ取っていただければ幸いだ。奇しくも今年は明治維新から百五十年。帝国日本の産物でもある唱歌というフィルターを通して、今という時代を考え直すいい機会ではないだろうか。
最後に、コンサートで素敵な歌声を披露してくれた中西圭三さん(中西光雄さんの弟)と野田淳子さん、そして出版の話を持ちかけてくれたメディアイランドの千葉潮さん、編集作業でお世話になった中村純さんに謝意を述べたい。
(永澄憲史)