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聴く人(homo audiens)──音楽の解釈をめぐって

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詳しい情報
読み: キク ヒト : homo audiens : オンガク ノ カイシャク オ メグッテ
出版社: アルテスパブリッシング
単行本: 180 ページ
ISBN-10: 4903951766  ISBN-13: 9784903951768  [この本のウィジェットを作る]
NDC(9) : 760.4

紹介

日本を代表する作曲家の最新音楽論。耳をすますことがいま創造に変わる。「聴くこと」の復権を謳い上げる、音楽への希望に満ちた書。
「作曲者は、音を吐くのではなく、耳を世界にそばだてて、適切な音を探す。
作曲をするためには、人は、まず、聴く人(ホモ・アウディエンス)でなければならない」(本文より)

音楽はほんらい聴き手に多様な解釈をゆるすものであり、ひとは「耳をすます」ことによって創造者となる──
「聴くこと」のもつ創造性を高らかに謳い上げる、音楽への希望に満ちた書。

2012年、アメリカ芸術・文学アカデミーの終身名誉会員に選出され、名実ともに日本を代表する作曲家となった著者の最新音楽論。

目次

I.解釈二題
 1.《第九》と記憶
 2.《四分三三秒》──自然、あるいは、廃墟
 3.解題

II.聴く人(homo audiens)──作曲行為における他者性について

III.目的性のない行為としての音楽
 1.音楽とは何か?
 2.作曲と目的性

IV.解釈の自由

V.(コーダ)


あとがき

前書きなど

あとがき

 本書は、ひとりの音楽の聴き手であり、ひとりの作曲家である私の、「音楽の解釈」をめぐる近年の思索の記録である。ここに収載したエッセイは──第I章のなかの「解題」と第V章(コーダ)を別にすれば──、(シュレーゲルの針鼠のように)それぞれが独立した一篇として完結しているが、同時に、強い関連性で結ばれ、互いに他に対して開いている。時には、複数のエッセイで同じ議論が繰り返されているが、それは、同じ議論を異なった文脈に据えることで、思索の螺旋状の展開がもたらされることを期待してのことである──同様の意図のもとで、ここには、私自身の以前の著作での議論の繰り返しもいくらか含まれている。
 私は、二〇〇九年に作曲した《空の空》(バス・フルート、ヴィオラ、チェロ、ピアノのための四重奏曲)の初演演奏会プログラム・ノートに、次のように書いた──

 実のところ、この曲に限らず私の作品は全て、目的をもっていません。それは、演奏又は作曲の技術練習のためでないだけでなく、自己表現のためでもなく、感情表現のためでもなく、物語を語るためでもなく、抽象的な音構成体としての形式の実現のためでもなく、又それ以外の何かの目的のためでもありませんし、更に言えば、無目的ということが目的になっているわけでもありません。私にとって、作曲という行為は、無心に音を聴き出すことへの集中でしかなく、そして私の作品は、そのようにして私の耳が聴き出した音の布置の提示に過ぎないのです。勿論、私が聴き出したものには、何らかの形で「私」が反映しているでしょう。しかし、この音の布置は、その最初の聴き手である私自身が聴いた通りに、同じ聴き方で聴かれなければならないものではありません。(私が提示した)この音の布置から何を──つまり、どんな「音」を、或いは、どんな「音楽」を──聴き出すかは、ひとりひとりの聴き手にかかっています。その意味で、この作品は(私の他の作品と同様に)、私自身にとっての、そして同時にそれに耳を傾ける全ての聴き手にとっての、「聴くこと」のエチュードなのです。

私が、この文章で述べたのは、作曲行為というものについてのホモ・ファーベルとしての実感である。この実感を、みずからホモ・サピエンスとして解釈してみたい。それが、「音楽の解釈」をめぐる思索を記したこの小さな書物を編んだ基本的な理由である。そのような解釈の試みは、おそらく、けっして目的地に到達することのない永久の旅となるだろう。本書での思索は、いうまでもなく、その出発点を示したにすぎない。
(以下略)
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