目次
視触 多中心・多視点の思考─目次
はじめに─“現在”に生きる姿
◎Ⅰ 視触を通して立ち上がる思考
1:視触
2:“自然”と向き合う中で紡がれる思考─「HIDDEN JAPAN─自然に潜む日本」
◎Ⅱ 発語し感応する身体
1:“裸形の精神”が引き上げる「発語する身体」─武満 徹の紐解きから
2:空間に感応する身体─ジョン・ケージのチャンス・オペレーションの実践
◎Ⅲ 建築と空間と精神
1:「音の建築家」の建築─ヤニス・クセナキス
2:モダニスム領域への点描法的参加─槇 文彦
3:天空から架けられる天幕─鈴木 恂
4:バナナの中身としての内部空間
◎Ⅳ 今を生きる為に
1:生きものとしての距離
2:ほころび
3:中央アメリカの光と影─太陽や星の光が降りそそぐ「周縁」の人々から学ぶもの
◎Ⅴ 再考からの視座
1:コーリン・ロウ、ロバート・スラツキー『透明性─虚と実』 再考
2:和辻哲郎『風土─人間学的考察』 再考
3:谷崎潤一郎『陰翳礼讃』 再考
◎Ⅵ 実験精神が拓く創造
1:アレクサンドル・ロトチェンコの実験精神
2:早川良雄、境界溶融の精神
3:「芸術」と「芸術の酵母」を繋ぐヘンリク・トマシェフスキの造形哲学
4:爆発的に伝播する、サヴィニャックのユーモアとエスプリ
◎Ⅶ “現在”を照射する思考と“眼振”から啓発される思考
1:“現在を照射する鏡”としての「仮想境界面」─彫刻、そしてインスタレーション
2:“眼振”がある事実から─この世に静止した視点は存在しない
あとがき─俯瞰できる眼
前書きなど
メキシコの詩人、批評家、外交官だったオクタヴィオ・パスは、「〈現在〉こそがモダニティの究極の最高の華である」と語った。わたしは『多中心の思考』の中に収めた建築家・槇文彦に対する拙評論(「槇文彦─俯瞰する旅人の視線」)で、パスの発言に連動した槇の文章[『記憶の形象』(筑摩書房)]を引用している。「作家であるということは〈現在〉に生きていることである。そしてモダニティとは現在をつくっている力の発見の行為の本質をさしている。発見されたか否かは問わず、その探究の状態に身を置くことが作家というもののアイデンティティなのである」。“現在”を意識しつつも「探究の状態に身を置くこと」を決意した槇の文章は今も色褪せていない。先述したように、わたしのエッセイ集は、“現在”を意識しつつも「探究の状態に身を置く」ことに同意できる「試論」の展開だと思っている。
“現在”を紐解くにはそれ相応の覚悟が必要になる。過去、“現在”、未来へと連続する眼差しの深度が問われることに因る。我々は過去を顧みることができる。と同時に“現在”をも垣間見ることが可能だろう。だが現実として、深く過去を顧み、そして“現在”を深く読み解くことが想像以上に難しいことだとしても、過去、“現在”と透徹した視座で考え、その上で未来がイメージされなければならないと思う。未来の誘引は、“現在”を成立させている力が何かを推し量り、“現在”に生きている我々が未来に対するイマジナリーを持つ、その深度がいかなるものかに掛かっていると言え、未来は“現在”とそして過去とも、部分的であれ溶け合っていると考えられる。(まえがき「“現在”に生きる姿」より)