目次
第I部 普遍的人種主義
第1章 「新人種主義」は存在するか? (バリバール)
第2章 資本主義のイデオロギー的緊張──普遍主義 対 人種主義・性差別主義(ウォーラーステイン)
第3章 人種主義と国民主義(バリバール)
第II部 歴史的国民
第4章 民族性の構築──人種主義、ナショナリズム、エスニシティ(ウォーラーステイン)
第5章 国民形態──歴史とイデオロギー (バリバール)
第6章 資本主義世界経済における世帯構造と労働力の形成(ウォーラーステイン)
第III部 諸階級──両極化と重層的決定
第7章 資本主義世界経済における階級コンフリクト(ウォーラーステイン)
第8章 マルクスと歴史──実りのある思想と不毛の思想 (ウォーラーステイン)
第9章 ブルジョワ(ジー)──その観念と現実(ウォーラーステイン)
第10章 階級闘争から階級なき闘争へ?(バリバール)
第IV部社会的コンフリクトの軸心移動
第11章 独立後ブラック・アフリカにおける社会的抗争──人種と身分集団の概念の再考(ウォーラーステイン)
第12章 「階級の人種主義」(バリバール)
第13章 人種主義と危機(バリバール)
解説 資本主義世界経済と国民、人種主義、移民現象──『人種・国民・階級』唯学書房版に寄せて(若森章孝)
前書きなど
「われわれは日本人である」、「われわれはフランス人である」、「われわれは中国人である」といった「国民」の存在とその国民的アイデンティティは、われわれが生まれながらに属する、伝統や歴史、共通の文化に由来する共同体であり、説明を要しない自明の存在のように思われている。
しかし、モノ、情報、カネ、ヒトが国境を越えて大量に移動するグローバル資本主義のもとで、これらさまざまな国民的アイデンティティは平和的に共存するのではなく、むしろかつてよりも「われわれ」と「他の人びと」を分断する境界線となり、異質な他者を排除する「共同体」を構成しているように見える。
国民はどのように創出されたか、そもそも住民あるいは民衆はいかにして国民に組み込まれたのか、われわれは国民的アイデンティティを相対化しそれを解体できるのか、という問いが提起されているのである。
(解説より)