前書きなど
■あとがき:
平田大一より
「毎週1回、1年間、自分の想いと格闘してみるか……」
この企画が持ち上がったとき、僕はまるで修行に挑むが如くの意気込みで引き受けた
。毎週の締め切りが、辛くなかったといえば嘘になる。でも、かなりのペースで台本に
追われ、果てなき企画書作成に追い立てられ、時に人間関係に振り回されながらも、毎
日を駆け足で生きている僕にとって、「シマと対話」するこの瞬間は何にも代えがたい
自身の根っこを考える大きなきっかけになった。こうして、写真と一緒に並ぶ文章を見
て、あらためて書き綴った思考の足跡を辿ってみると不思議な清々しさを感じる。時に
迷い、時に怒り、時に吼えながらも。……もしかすると、純粋な怒りは、夢と情熱のエ
ネルギーに成り得るのかもしれない、と思った。
こころよく寄稿文を書いてくれた「宮沢和史」氏、英訳を担当してくれた「山本安見
」さん、編集をアドバイスしてくれた「新城和博」氏、ブログ掲載に多大な理解を示し
てくれた「てぃーだブログ」の皆さん、そしてなにより共にこの気が遠くなる編集作業
を根気強く進めてくれた「桑村ヒロシ」に心から感謝を申し上げたい。
「しかいっとから三拝云」
桑村ヒロシより
2007年11月8日より、南島詩人・平田大一氏の綴るコトバと1枚の写真がコラボ
レーションした「シマとの対話」が、沖縄県産ブログポータルサイト・てぃーだブログ
の公式ウェブマガジン「ryuQ」(http://ryuq.ti-da.net/)で連載開始。それと同時に
平田大一公式ブログのほうでも連載がスタートしました。
連載最初の年は、毎週水曜日の零時に掲載。多忙を極める平田氏から送られてくる原
稿は、各地の空港や出張先からだったり、時には海外のハワイから送られてくることも
ありました。そのようなスリリングな状況にありながら、一度も欠かす事なく、毎週1
話ずつ書き下ろしてくださいました。
エピソードといえば、締切期限ぎりぎりで文章と写真が揃うことも多々ありました。
もちろん、どういう内容の原稿が届くかは直前までわかりません。毎週毎、心のままに
撮った写真が、締切寸前に頂いた文章とぴったりと一致することが何度もあり、魂を奮
わせる共演をさせて頂きました。
今回は書籍化するということで、じっくりと写真を選び直し、レイアウトまで直接担
当させて頂きました。平田大一氏の発する檄文にはモノクロ写真で力強く迫まり、撮り
下ろしの写真も追加し、出版化へのリクエストを頂いていた写真も含め、この度、入魂
の一冊となりました。ぜひ、皆様へお贈りさせていただきたいと思います。
「シマとの対話」へ向けて宮沢和史
本州の中部地方に位置する山梨県甲府市。周囲を360度山に囲まれた甲府盆地。大
昔、そこは巨大な湖だったという。そこが僕の故郷……。僕らは真っ平らな盆地に立ち
つくし、周りの顔色を伺いながら日々背比べをして育った。枠から飛び出す者がいれば
、それはそれは目立ったものだ。そこから出て行くしかなかった。夢を語る者も目立っ
た。彼らは都会へ出て行った。声の大きい者もしかり、山を越えて行くか、はたまた、
政治家になるか……。
我が身が従属するその場所に閉鎖性を見、閉塞感を味わって育った。そこは「シマ」
だった。
僕は声がでかく、夢を語る者だった。高校を卒業すると同時に東京に移り住み、今年
で25年。沖縄を始め、日本全国、さらには、日本を離れ、海外の多くの町でも歌を歌っ
てきた。そして、地球の裏側、ブラジルまで辿り着いてようやく気がついた。どこもか
しこも、そこは「シマ」なのだ。人は皆「シマ」で暮らす「シマの住民」なのだ。国籍
や宗教、民族にとらわれず生きる者もいる。自分の意思ではなく、故郷を離れざるを得
なかった者もいる。自らの選択で故郷を離れた者もいる。しかし、きっと人は皆「シマ
の住民」だ。閉塞感から逃れることなど出来るはずはない。
動物を罠でしとめ、毛皮を売り、肉を食べ暮らすトラッパーの一家がカナダにいる。
彼らの家を中心に半径数百キロに隣人の民家は皆無だそうで、北海道にたった4人で暮
らしているようなものだという。彼らは文明から、社会から逃れ、シマを捨て、森で自
由を勝ち得た。閉塞感から脱出した。しかし、「大自然」という社会性……というか、
宇宙、もしくは、掟。その人間の力など及ぶべくもない「うねり」に身を投げ出さなけ
れば生きていけない。それに従わなければ生きていけない。彼らは動物として、「シマ
」に従属したのだ。
若い頃は国も宗教も民族も越え、人は兄弟のように暮らすことが出来ると信じていた
。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞が大好きだった。いや!今でもあの歌を信じて
疑わない。だが、僕はもう一度自分の「シマ」を見つめ直してみたい。もっと知りたい
。そして、人に語ってあげたい。これから生まれて来る人たちに伝えていきたい。他の
「シマビト」との違いに驚き、それを笑いもしたい。笑われもしたい。自分を語り、他
を知ることでいつか、「シマ」がひとつになるかもしれない。ジョン・レノンのメッセ
ージより、だいぶ遠回りな道のりになるだろうが……。
僕らは何かを所有しているのではない。「シマ」そして「チキュウ」に所有されてい
るのだ。「生きる理由」も「死ぬ理由」も、本当はないのかもしれない。「シマ」そし
て「チキュウ」に生かされているのだけなのだから。人はそれを支配していると信じた
いから、すべての物事に理由づけをしているにすぎない。意味を探して生きるのではな
く、逃れられない運命と向き合い、うねりに身を委ねればいい。後世の人たちが意味を
語ってくれるであろう。
平田君と出会って、20年近くになる。長い間お互い違うところを旅をしていて、どこ
かの道ばたでバッタリ出くわすこともなかった。2009年の今年、コザで再会した。
「この先、同じ旅路を歩くかもしれないな……」そんな予感がした。
(ミュージシャン)