紹介
『台湾蕃人事情』は、今からちょうど100年前の1900年(明治33年)に、伊能嘉矩(いのう・かのり)と粟野伝之丞(あわの・でんのじょう)の共著として台湾総督府民政部文書課から刊行された。漢族の台湾移住が始まった17世紀の前からこの島に住み着いていたマレー系の先住民、すなわち台湾原住民について、初めて全体像を示した古典的な書物と言ってよいであろう。日清戦争後の1895年(明治28年)に設置された台湾総督府では、統治の開始直後に、軍事、行政、資源開発、住民掌握などを目的にして、漢族系の住民や、平地および険しい山岳地帯の原住民を対象とする一連の調査を実施したが、当時の記録の中で、こと山地や東部平地の原住民に関しては、この伊能と粟野の共著ほど体系的なものは他に例がない。そして、学術研究の上でもこの『台湾蕃人事情』は、伊能の時代から現在まで続く台湾原住民研究の、いわば囁矢に当たる著作と言うことができる。第二次大戦後になって、人類学者の馬淵東一は日本統治時代の台湾原住民研究を回顧した論文の中で同書に言及し、「台湾における民族学的研究の総括的な見透しはこれによって始めて基礎づけられた」と述べているが(「高砂族の分類」1954年)、これと同様の認識は、現在でも研究者たちに広く共有されているのである。
目次
台湾蕃人事情/目次
第一篇 蕃 俗 誌
第一章 緒 説
第二章 各 説
第一 アタイヤル族
第二 ヴオスム族
第三 ツオオ族
第四 ツアリセン族
第五 スパヨワン族
第六 プユマ族
第七 アミス族
第八 ペイポ族
第三章 総 説
第一 蕃人ノ種類並に地理的分布
第二 蕃社及戸数人口ノ統計
第三 統制的現状
第四 土 俗
第五 慣 習
第六 生 業
第七 雑 記
第二篇 蕃 語 誌
第三篇 地 方 誌
第一章 緒 説
第二章 各 説
第一 台北新竹地方誌
第二 南庄地方誌
第三 東勢角、大湖地方誌
第四 埔里社地方誌
第五 嘉義雲林地方誌
第六 鳳山地方誌
第七 恒春地方誌
第八 台東地方誌
第九 宜蘭地方誌
第四篇 沿 革 誌
第一章 理蕃沿革史
第一 和蘭人の理蕃
第二 氏の理蕃
第三 清政府の理蕃
第四 概 説
第二章 蕃人教育沿革誌
第一 和蘭人の蕃人教育
第二 支那人の蕃人教育
(附) 台湾蕃地交渉年表
第五篇 結 論
前書きなど
台湾原住民研究必携の書————————————
日本領台当初、まだ治安も不十分な時代に台湾の原住民を現地調査して、貴重な資料を残してくれた日本人研究者が三人いる。鳥居龍蔵、伊能嘉矩、森丑之助である。鳥居はヤミ族を、森はタイヤル族をインテンシブに調査して詳しいモノグラフを残した。伊能は山地も調査したが、むしろ平地の、現在では言語も風俗習慣も消滅してしまった各地の平埔族をエクステンシブに調査研究し、貴重な情報をたくさん残してくれたのである。とくに台湾北部の平埔族については、伊能のデータに頼るしか方法がない。今回復刻版が出版される『台湾蕃人事情』は、共著とはいうものの、伊能が1895年に渡台してからまる4年にわたる調査の成果を世に問うた最初の書である。ここにはじめて台湾原住民にいくつの種類がありどのように分布しているかが明らかにされた。これ以後、さらに調査が進むにつれ、分類や名称にも多少の変更が加えられることになったが、おおまかな分類はこの書によって定まったのである。その意味で、本書は台湾原住民研究の出発点となった記念碑的な出版物と言ってよい。稀覯書となって久しかったが、ここにはじめて復刻版が出版されるとき聞き、こんなに嬉しいことはない。台湾原住民研究者のみならず、ひろく世界の少数民族の研究を志す人にとって、必携の書であると考え、各界に推薦する次第である。
(土田 滋/ 元東京大学教授・前順益台湾原住民博物館長)