紹介
本書はOtto L.Bettmann,The Good Old Days;They Were Terrible!(New York:Random House,1974)の全訳である。本書が著われるに至った経緯については、その「序」に筆者自身が語っている以上に説明を要しないであろう。あえて一言でまとめるならば、過ぎ去った時代に村する過剰なノスタルジーを排し、より現実的なまなざしを向けよう、というものになろう。
「金ぴか時代 」とは南北戦争後のアメリカにおける浮わついた好況を風刺した言葉である。ここに読者は、先だっての日本のバブル期にも似た状況を発見するだろう。オットー・ベットマンは「アメリカ出版界におけるピクチャー・マン」と呼ばれ、300万枚に及ぶ絵画・写真・イラストなどの図像資料のコレクターである。その厖大なコレクションから縦横無尽に資料を再構成し、当時の民衆の姿をまとめあげた本書は「古き良き時代」の恐るべき実相をあらわにしている。
目次
序
1章 環 境
動物の糞尿公害/工場の有毒ガス/ごみためのニュー ヨーク/都会の風/熱波に苦しむニューヨークの夏/ 悪臭の町シカゴ/すすの町ピッツバーグ
2章 交 通
鉄道馬車の惨状/道路の横断は命がけ/高架鉄道(エ ル鉄道)/冬の路面鉄道/トロリー電車の登場
3章 住 宅
タウンハウス/借家のもめごと/集合住宅の生活/労 働者と不法占拠者たち/スラム街/スラムの子どもた ち
4章 田舎の生活
台所仕事は奴隷労働/井戸水の安全度/夏の虫は狂暴 /ストーブの煙に苦しむ冬/浮浪者の脅威/農村の子 どもたち/窮乏の時代/自然の女神/フロンティアの 孤独/都会の罠
5章 労 働
労働条件/産業事故/スウェットショップ(労働搾取 工場)/児童就労/生活水準/ストライキ/技術革新
6章 犯 罪
通りの犯罪/青少年非行/警察という茶番/ニュー ヨーク市民をたたきのめす警官たち/収賄/売春/利 権屋と略奪者/法律/処罰もまた犯罪的/リンチ
7章 飲 食
肉には注意/ミルク/バター/食品添加物/路上の子 どもの食べ物/食習慣/大西部の食事/酒/酒びたり の田舎/酒場
8章 衛 生
都市部の伝染病/殺菌消毒と検疫/フロンティアでの 衛生環境/医 者︱このインチキ商売/外科治療/病 院 /精神病患者/麻薬中毒
9章 教 育
田舎教師/体罰/荒れる教室/黒人教育/都会の学校 /陰うつな教室/教授方法/教師
10章 旅 行
三等船室/移民列車/鉄道輸送の苦難/プルマン車両 列車/通勤者/港での事故
11章 レジャー
賭博/ ハンティング/スポーツ観戦/アメリカン・ フットボールの誕生/少年たちの気晴らし/拳銃がお ちゃ/都会の公園/海辺の
レジャー
参考資料
訳者あとがき
〈訳者コラム〉
コラム1 バブル経済が生んだ町シカゴ
コラム2 アメリカン・ホーボーの登場
コラム3 ボーディングハウス物語
コラム4 草土でつくった家
コラム5 工場労働の一二歳
コラム6 ボス・トウィードの海をまたにかけた逃亡劇
コラム7 缶詰は軍隊とともに
コラム8 ジェイコブ・リースのスラム改革
コラム9 ジェーン・アダムズのハルハウス
コラム10 自転車大流行
コラム11 映画娯楽の黎明
前書きなど
庶民映す社会史の原点(西日本新聞1999年4月25日)
実にユニークな本が出版されて、とてもうれしい。
原書は四半世紀前に出版されたものだが、その場限りで消えていく時事問題などの本と違って、永遠に力強く生きていく魅力を備えている。
著者のオットー・ベットマンは、なんと三百万点という写真、絵画、イラストを収集してベットマン資料館を作り、これをレンタルするという仕事を始めたユダヤ系アメリカ人である。
邦題の「金ぴか時代」は「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」を書く前のマーク・トウェインが、1873年にチャールズ・ウォーナーと合作で発表した小説のタイトルだ。
南北戦争後にアメリカ社会を支配した拝金主義を皮肉った表現で、キラキラ光る物質的繁栄の時代に、陰では庶民がこんなひどい生活をしていたのだということを明らかにした原著の趣旨に、この邦題はいかにもふさわしい。
なんといってもこの本の強さは、収集した資料、とくにイラストをふんだんに使っている点にあり、読者は次から次へ信じがたいようなイラストに心を奪われることだろう。
かつて歴史の記述は政治がその中心になっていた。日本でも近年になって、欠落していた社会史の研究が盛んになっているが、庶民のいつわらない生活の実態を、みごとにペンとイラストで表現したこの本は、まさに社会史の原点、またはモデルといっていい。
今から一世紀前まで、アメリカの庶民はなんという貧しい暮らしをしていたのかと、読者はビックリするに違いない。事務所にかけられた掲示が「昼食に出ていますが、5分でもどります」だったような例がどのページにも満載されている。この本をみると、今の日本の不況など、極楽の不況のようにみえてくるだろう。
東京女子大学名誉教授 猿谷 要