紹介
第二巻「村に工場が来た」1908〜1925年頃
▼明治四一年、水俣村に小さな化学工場が建つ。夕方になると人も通らない、川下の淋しい場斬に。村の一角に異質な世界が、出現したのだ。赤々と燃える電気炉というものがあり、湯気の出る石(カーバイド)を作るという。村の日雇の日給よりなお安く、人を使うという。あそこに行けば、一日一人づつ死ぬげなという風評も立った。現金収入に苦しむ村人たちも、さすがに二の足を踏む。工場に入ったのは、村の最下層の人たちであった。日本窒素肥料株式会社の歴史の始まりである。
▼村の小さな化学工場は、今にも潰れるという話だった。しかし、一〇年も経つと、事情は一変する。廃止になっていた村の塩田跡に、従業員二〇〇〇人という、大工場が新たに建設されたのである。今度は、村人こぞつて工場に入る。一軒に二人の青年が居れば二人、三人居れば三人。それでも、水俣だけでは労働者が足りずに、近郷近村、天草や長島などから、人々が蝟集してくる。一日本の村の工業化は、どのようにして行われたのか。水俣村にとつて、工業化とは何であったか。それが、本巻のテーマである。
▼わたしたちは、建設の状況を見た後、幼年期と青年期の工場の内部に入り、労働実態を調べる。工場の生産は、カーバイドから石灰窒素、石灰窒素から変成硫安の製造へと、進んでいた。その労勧の特徴は、肉体労働中心であったことである。労働者は牛馬と思って使えといわれた。乞食から更に下がって牛馬! 労働の本質もまた、牛馬的だったのである。
▼工場がどれだけ支配力を持つかは、一日働いていくら稼げるかによつて決まる。日本窒素が、熊本県八代郡鏡に建設した姉妹工場で、大正七年米騒動の一環として、暴動的大争議が起きる。その影響で、水俣の地方的特殊低賃金が是正される。その結果、工業化の生んだ賃労働は、労働の呪詛を越え、民衆の生活の闇に射す光となった。民衆の側の凄惨な原始蓄積が始まり、人々は工業化に歓呼し、結婚し子供を生み家を建てる希望を持つに至る。村はようやく文明開化期を迎え、町になっていったのである。
目次
一 電気の唄——金山と化学工場
牛尾・大口金山回想
日本一の金山といわれた
手籠ン子
野口さんの曾木発電所
大吉茶屋の娘
金山の垂れ流し
村に工場が建つ
電気柱の唄
臍ン出た
悪い評判
二 化学労働の始まり——明治末の石灰窒素工場
会社勧進、道官員
1 カーバイド工場
工場は赤ん坊も赤ん坊
煉瓦壁の中の高熱仕事●自分の名前も読めない/ カーバイド炉の変遷/1500キロ炉の仕事/24時間 働かされた
熟練と気質
カーバイド製品部●会社勧進、道官員
炭素工場
2 石灰窒素工場
ドイツからきた炉●焼いても焼いてもできない
銅線で窒素を作る
藤山さんの発明●アレー、あんたかな?
その後の展開
3 鉄工部
明治の職人の世界●年期小僧
小僧哀話●係長の弁当/松次の死
工場の日々
東雲のストライキに習って
負け犬
カーバイド船の爆発
亡者の仲仕株●仲仕の仕事/藤山さんと野口さん
村の職工日記(大正3年)
三 蝟集する民衆——大正石灰窒素工場
従業員2000人の新工場
かちがらすの群のように●鉄筋建ての工場が建つ /死霊風と狐の逃亡
太郎も次郎も
新しい特権階級
牛馬か、牛馬的労働か
カーバイドの女職工
粉塵と会社病
腕力と亜硫酸ガス●鉛室の作業
牛馬と思え●身体だけで荷役した/運搬夫/青 しゅりと怪我/畜生と思って使え/クレーソが据 わる
立場を変えた満州での経験●やめて、電気化学撫 順工場に行く/ラサ島燐鉱株式会社
鏡工場暴動、日給上がる
鏡工場のストライキ●会社の米
潮の変わり目●職工から準社員に出世/先生たち まで工場に入る
四 「会社」さまおかげさま——町へ発展
村と賃労働
日ン玉所
八代から来た花嫁●会社の職人と結嬉/おこもさ んか、西蕃か/長着物着ただけで、おおごと/お 汁のにごっとる所は、あるかないか/ひき脱ぐよ によくなった
ゼロからの出発●会社行きがよか/夢をかなえる
女の隷属
町になる
文明開化●電気/帳面と押麦
乗り物
商人たち●工場へ町がにじり寄る/カラスとカイ シャ
前書きなど
季刊青丘7号 1991.2
彼らの物語をわれわれの物語へ
チッソの二人の労働者を編者とするこの本の場合(岡本は、元水俣第一労組委員長)、感慨は特別のものがある。主要部分が、工場で働いた人びとからの聞書の集積だからである。水俣に注目する人びとの視線は、当然ながらこれまでおもに、患者とその家族に注がれており、著者たちはそれぞれの角度からの造形力をもって、それらの人びとの伝声管の役割を果してきた。語り手の問題としては、この本は、そんな状況を一挙に打ち破った。
しかもこれは、なまはんかな聞書ではない。聞書は近年、盛行の反面、不幸にもお手軽な著述の代名詞とも化しつつあるとの観があるが、この本は少なくとも3点で、そんなムードを吹きとばす力をみなぎらせている。
(中略)
そこには、民衆の問題を突きつめなければ、日本も世界も変わりえないとの意味での、民衆への信頼がある。と同時に、日本人の体アおよび記憶としてまとめあげることで、突きあわせる他者としての、朝鮮人側の発言を促そうとの姿勢もほのみえる。そしておまえはという問いも振りかかってくる。それにたいしてはいまのところ、彼らの物語をわれわれの物語へ、さらにわたくしの物語へと、反芻しつつ変換する途を探ろう、としか答えるすべをもたない。(鹿野政直)