目次
はじめに
第1章 からだのこと
腋毛
月経
ブラジャー
オモラシ
ピアス
化粧
耳掻き
第2章 いのちのこと
死
カナダの鳩
過食・摂食
料理
第3章 家族のこと
夫婦げんか
家庭内暴力
同伴帰宅
親がわからなくなったとき
第4章
体育
爪みがき
いじめ
校長室登校
第5章 せかいのこと
文通
お泊まり
ピンクレディー
おでかけ
10歳の「家畜人ヤプー」
おまじない
プライベートレッスン
シンナー
塾
アルバイト
ファミコン
夜遊び
第6章 こころのこと
家出
ズル休み
万引き
日記
ホテル「ルーベデンス札幌」事件
悩みごと
失恋
移動図書館
空想
あとがき
前書きなど
大人とこどもの境界線はどこで引かれるのでしょうか。
いちおうの目安として20歳? それとも働くようになってから?
それを思う人がどこに立って考えるかによっても、ずいぶんとちがう気がします。40歳の人が10年前の自分をひどく「こども」だったとふり返ったり、小学生には高校生がおいそれとは口もきけないほど「大人」だったり、母親が自分を生んだ年齢に達してみると「親ってそんなに、大人でも親でもなかったんだな」と意外に感じたりする。非常に流動的な、あきれるほどの主観によって、大人とこどもという概念は語られているのです。
わたしが自分を大人と見なしているひとつの理由は、「初めてのできごとが少なくなってきた」ということです。捜しに出なければ初めてのできごとに出会えなくなった、というか。どこかで見た光景、顔馴染みの感情、ルーティーン・ワーク。
初めての経験、それによって喚起される初めての感情、初めて要求される解決能力、あれやこれや。いいかえればそうした「初めて」が日常的になんでもなく渦巻いているのが、こどもの世界なのかもしれません。
そんな大人とこどもが、ある密接なかかわりかたで暮らしているのが家族なんですから、そりゃもうたーいへん。意見の一致を見ることのほうが少ないでしょう。
子は親の無神経がわからず、
親は子の不器用がわからない。
ならば一度はこどもだったことのある大人が、自分のなかに眠るこどもを揺り起こして新鮮に世界を見回してみることが、このサムーイ関係を温めやしないかとちょっぴり思ったわけなのです。