紹介
ロシアとは一個の「逆説」である。その象徴としてスターリンがある。……革命に突き進んだロシアの本質をフォークロアという視座から見据えたユニークなロシア・ソ連論。
●「ロシア文化」の文学的根拠としての「フォークロア」
スターリン・ラーゲリの囚人には、たとえ飢え切っても、労働の合間に詩を唄を口ずさんでいた詩人が存在した。このラーゲリ・フォークロアに関する親近から、著者のロシア文化への関心は口承芸術・フォークロアへの考究に赴く。このことは、たとえ飢えの極地にあったとしても真実を表現する、せざるを得ない存在ではないかという、著者固有の人間の誇りと言葉への確信にも通ずる。
●ロシアでは「馬鹿」が勝つ——逆説のロシア
著者によれば、ロシアを理解する鍵は「逆説(パラドックス)」にある。例えば、ロシアにおいては愚者が賢者に最終的に勝つ(イワンの馬鹿)。無知は力である(スターリン)=知は災いである(グリボエイドフ)。あるいは「逃亡こそ美徳」(コロレンコ)「弱き者こそ打て=ムジークを殴ればマッチを発明する」(ラーゲリ俚諺)など。この逆説のうちにロシアはその本質を顕す、と。
●ロシア・ナロードとは誰か
フォークロアの担い手としての「ロシア・ナロード」とは誰か。著者は、その本質は「ブラトノーイ=無頼=やくざ=マフィア」であり、そこを押さえることがロシアの運命を見究める上で重要であるという。本巻は、ロシア人の普通の佇まいから、ロシアやくざの動態までを視野におさめ、著者の肉眼を通した、聖から俗の極みに至るロシア及びロシア人論を収録する。
●ロシア革命&スターリニズムとは何であったか
20世紀にとってあのロシア革命とは何であったのか。革命の勝利は思想の中絶によってこそあがなわれたとする著者は、それが同時に「ユートピアへの磔刑」にほかならなかったことを示して、崩壊に向かうロシア・コムニズムの運命と20世紀の終末を重ね合わせる。
目次
1
逆説のロシア
ことば・うた・民衆
チャストゥーシカのダイナミズム
ロシアに地霊—ゴーゴリとドストエフスキー
フォークロアと文学—さまがわりロシア文芸史
まじめなおふざけ—オクジャワのパロディと現代文学過程
ロシア・ナロードの名誉回復
ロシアは唄と涙に富む—ヴィソツキーの慟哭
邪宗門徒の不逞なイメージ
関連書から—
井桁貞敏『ロシア民衆文学』/クラフツォフ編『口承文芸—ロシヤ』、プロップ『口承文芸と現実』 /クリュチェフスキー『ロシア史講話1』、石戸谷重郎『ロシアのホロープ』/斎藤君子編訳『イワン王子と火の鳥と灰色オオカミ—ロシアの昔ばなし』/斎藤君子編訳『シベリア民話集』
2
ロシア風物誌(抄)
はじめに—ある・ぴい・あある/一人でも「隊」/赤の広場/左と右/インテリゲンチャ /ラーゲリ /パスポート現代史/レジャーは不自由? /鳥=人=自由 /国家浮気の説 /過疎 /プラン迂回術/商人 /ソビエトって? /詩人・運転手のはなし その一/詩人・運転手のはなし その二/ミューズとエロス /四畳半文芸 /ヌード・カクメイ /ユダヤ人/むすめさん /若い人/「タワリシチ」って「同志」のこと? /ラブファック /「らく」でない同音/茶/水・ウオッカ /床洗い /りんご/ロシアとフランスの仲
おロシャ今昔物語(抄)
不倫市民権/監獄文化の粋/幕間 /ほめ言葉 /神聖な恥部 /「はばかり」でない便所/尻ぬぐい/続・尻ぬぐい/リメンバー・ハルビン/ロシア演歌/第二のニュルンベルグを/タブーの罵倒/マート・システム /書かれざる名と法/アジア蔑視/姉妹や哀れ /女囚オカダ/流罪・流刑囚人 /知り過ぎ /牢獄語解/自由は意思/頭の不自由な人 /疑わしきは罰す /共産(全体)主義/無倫理・亡国/翔んでる言葉/師弟問答 /若き鶯の歌/国家犯罪の歌/ウグイスの民俗/人牛肉/リクルート奴隷/革命有罪
3
モスクワの子どもたち
ナロードの心性
保守する味・ロシア
柔らかい頑固
大地のアイデンティティ—「母なる大地」とは
秘密のパラドックス
私事の交流をいま—ソ連のもの思う人びとに寄せる
4
やくざカクシン
マフィアの土壌・ロシア
ロシアの賢愚
5
十月革命の残照—ドイッチャー『武装せる予言者』
大陸草原の思想—デスターリニゼーションの基点
敗者の弁証法
トロツキーと日本の風土
スターリニズムの原基—トロツキー『スターリン』
スターリンはである
ブレスト・リトフスクからクロンシュタットへ
革命家のカルチュアとはなにか
勝利は思想の中絶によってあがなわれた
現代文学と革命思想
〈カオ〉と〈顔〉の間
レーニン—暴力革命肯定のニヒリスト
ソビエト的人間と共産主義—現代の言語変質について
6
万里の長城—民俗の深部
魯迅の復権は面白くない……
不信の時代のモニュメント
巴金の時間—負け方の研究
関連書から—
包若望『毛沢東の囚人』/劉漢太『中国的乞丐群落』
解説=内村剛介を読む 沼 野充 義
解題—陶山幾朗
表紙題字 麻田平蔵(哈爾濱学院24期)
カバーデザイン 飯島忠義
前書きなど
沼野充義「解説」より
内村剛介の独得の勁さを支える根源がいったい何だったかと考えると、最後に辿り着くのは、特定の哲学でもイデオロギーでもなくて、言葉そのものに対する強烈な感覚ではなかったかという気がします。内村剛介の場合、それは辞書をこつこつ引くことに終始する学者的な机上の作業ではなく、何かもっと生々しいもの、つまり生身の人間として同じく生身の人間が使うものと向き合い、ときに共感し、ときに格闘していくという過程において常に捉えられていました。その感覚が目指す先は、結局のところ民衆、ロシア語でいう「ナロード」であり、民衆的な言語の感覚に向き合おうとする姿勢こそがロシア文学者としての内村剛介の際立った点、つまり、他の研究者的あるいは文人的、または職業的な翻訳家としてのロシア文学者などとは違っている点であると思います。