紹介
日本からハルビンへ、ハルビンからシベリアへ、そして再び日本へ。敗戦を軸として二十世紀世界を彷徨せざるを得なかった著者が、無名の青年から「内村剛介」となるまでの軌跡を明かす。
●著者の思想的感性を育んだハルビン時代
著者は幼少より満洲に渡り、以後その青春期をハルビンという都市、及びハルビン学院という空間において過ごした。人に倫理的な感性というものがあるとすれば、著者の場合、その形式はこの時代に形成されたという意味で、このハルビン時代こそ後の著者の思想的感受性の枠組みを形作ったと言える。
●獄中でレーニンを読み、レーニン否定の論理を紡ぐ
青春のハルビン時代は長く続かなった。ソ連による満洲侵攻とそれに続く日本の敗戦は、若き著者を遠く運命の地シベリアへ拉し去る。以後十一年、スターリン獄に幽閉の日々、獄中にあって著者は自問する。「自分は何故今ここに居なければならないか」、「国家とは何であるか」と。ここから自分一個の実存と全ソ連の存在を等置し、獄中で一人『レーニン全集』を紐解きながら、著者はその答えを見つけ出そうと苦闘する。
●内藤操から内村剛介へ向かって
本巻はまた著者の揺籃時代を成したさまざまなエレメント——ハルビン学院、〈シベリア抑留〉、この不幸な時代と関係の深い人間像(J.ロッシ、香月泰男)、生涯の書『ルバイヤート』、自伝風の回想及び断片、ハルビン学院時代の習作などを収録し、青年「内藤操(本名)」から「内村剛介」への変貌を準備したもろもろの素材を網羅的に収録した。
目次
Ⅰ
幻のハルビン1
幻のハルビン2
再訪ハルビン
他人の街だが自分の街—歌手・詩人・芸人ヴェルチンスキーのこと
ハルビンにて—三十年、社会主義の貧困
〈国境〉を欠く日本
樺太と〈満洲国〉への実存的距離
ステップは原理的である 「北東アジア三角形」はいま
Ⅱ
思想としての哈爾濱学院
ハルビンは学生の都—異都ハルビン憧憬
まぼろしの論理化を
運命を愛するということ—『哈爾濱学院史』と私
学院の位どり、学院神話の成立
ハルビン学院という存在
中野天門と札幌露清学校のこと
満洲、国は亡び友は残る
*
井田孝平—明治リベラリズムの運命/或る〈未発〉の『ロシア史』
竹内仲夫—わが師竹内仲夫/竹内先生武勇伝
染谷茂—ある晴れた日に/照れかくしの美学/染谷私家版とソルジェニーツィン現象/染谷先生を送る弔辞
中田甫—「プーシキンに与えたフォークロアの影響」解題/フォリクロリスチカ事始め/追悼中田甫
伊藤清久—伊藤清久の精神史
沖津正巳—沖津さんとの「永訣」
梶浦智吉—梶浦智吉を送る言葉
Ⅲ
〈シベリア抑留〉を読む
尾竹親『虜醜』、『赤い日記』/中村泰助『シベリアよ さようなら』、『シベリア 捕われの歌』/沢清兵『褪色』/長谷川伸『日本捕虜志』/若槻泰雄『シベリア捕虜収容所』/佐藤清『画文集・シベリア虜囚記』 /戦時法規アンケート/幻の『日本新聞』を読む/たららひろし『極光は紅に燃えて』/堺六郎『シベリアのラーゲリを逃れて』/レトロとしてのシベリア捕虜史—私とラーゲリ/辺見じゅん『収容所から来た遺書』/今からでも遅くない—抑留者問題は日ソ人権問題/梶浦智吉『スターリンとの日々』/ジョージ・ケナン『シベリアと流刑制度』/平澤是曠『哲学者菅季治』
香月泰男のこと 『画集シベリヤ』/怨念・痛苦・弾劾/『私のシベリヤ』/あさましいから美しいのだ/人間の生き方としての絵/香月泰男追悼/我執が文化を支える/事物を直截に示す
Ⅳ
見るべきほどのことは見つ
ソ連監獄十一年
わが身を吹き抜けたロシア革命—終末論を拒む終末
いしけえヘソ「境村」
私の原風景—けもの道にて
はるかなるわが「育成」
奇妙な「玉音」—私の八月十五日
ロシアの尊厳を守った婦人
近衛文隆—思いやりに貫かれた生涯
わが友、ジャック・ロッシ 友、ラーゲリより来たる。かつ楽しかつ重し/〈のちのち〉のために
読書遍歴 流れ者の遍路を辿る/柴田天馬訳『聊斎志異』以下……
『ルバイヤート』 ばち当り、オマル・ハイヤームの記憶/一篇の詩/テヘランの『ルバイヤート』/ハルビンのルバイ
おロシャ今昔物語(抄) うさぎ追いし/かの山、爾霊山/故郷と韃靼/初夢の怪/真実多路/恩讐のリターン/故郷定めがたし/恩人長谷川伸/えびす考/ある予言/骨肉の戒め/含羞のハルビン
『生き急ぐ』 聞く者はみな生き急ぎ……/『生き急ぐ』の意味/第三刷へのあとがき/定本版へのあとがき—来るべきロシア人読者のために/『生き急ぐ』はフォークロアである/文庫版へのあとがき/著者から読者へ—最後のあがき・あとがき
著書を語る 『流亡と自存』/『愚図の系譜』 /『ナロードへの回帰』/『だれが商社を裁けるか』
人生・死・時間 亡びるゆえに生きるこころ/合理主義の妄想/ムダ的ゆとりのすすめ/死者の重み/強いられる旅/〈怒り屋〉たちに怒りは見せぬ/風俗死とアンラク死/世の中の本質は悪であるか/われらは生と死を並べ立ててようやく生きている/われ死す ゆえにわれ有り
Ⅴ
才子が颯爽としてゐるわけ—警句の心情
ギャウール
芥川龍之介の書翰
国立大学哈爾濱学院の記
解題—陶山幾朗 表紙題字/発行 麻田平草(ハルビン学院24期) カバーデザイン 飯島忠義
前書きなど
推薦の言葉(吉本隆明、佐藤優、沼野充義)
垣間見えた鮮やかなロシアの大地
(評論家)吉本 隆明
内村剛介は、はじめその無類の饒舌をもってロシアとロシア人について手にとるように語りうる人間として私の前に現われた。以後、ロシア文学の味読の仕方からウオッカの呑み方に至るまで、彼の文章や口舌の裂け目から、いつも新鮮な角度でロシアの大地が見えるのを感じ、おっくうな私でもそのときだけはロシアを体験したと思った。
私のような戦中派の青少年にとって、実際のロシアに対する知識としてあったのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いだけと言ってよかった。太平洋戦争の敗北期にロシアと満洲国の国境線を突破してきたロシア軍の処行のうわさが伝えられたが、戦後、ロシアの強制収容所に関して書いたり語ったりしている文学者の記録について、私はもっぱら彼が記す文章から推量してきた。
内村剛介にとって十一年に及んだ抑留のロシアは、この世の地獄でありまた同時に愛すべき人間たちの住むところでもあったが、この体験をベースとした研鑽が作り上げた彼のロシア学が、ここに著作集となって私たちを啓蒙し続けてくれることを期待したい。
智の持つ力を再認識させるために
(作家・起訴休職外務事務官)佐藤優
内村剛介氏は、シベリアのラーゲリ(強制収容所)における体験から、ロシアをめぐる個別の現象を突き抜け、人間と宇宙の本性をつかんだ稀有の知識人である。私自身、外交官としてロシア人と対峙したときに、内村氏の『ロシア無頼』から学んだ「無法をもって法とする」というロシア人の思考をきちんと押さえておいたことがとても役に立った。
また、私が鈴木宗男疑惑で逮捕され、東京拘置所の独房で512日間生活したときも、内村氏が『生き急ぐ』で描いた獄中生活の手引きに大いに励まされた。かび臭い独房の中で、学生時代に読んだ『生き急ぐ』のことを何度も思い出し、「この状況からはい上がってきた日本の知識人がいるのだ。僕も頑張らなくては」と何度も自分に言い聞かせた。
『内村剛介著作集』刊行を歓迎する。日本の読書界に知のもつ力を再認識させるために、この著作集が一人でも多くの人に読まれることを期待する。
「見るべきほどのこと」を見た人
(ロシア・東欧文学者)沼野充義
内村剛介は私がもっとも畏怖するロシア文学者である。ソ連や共産主義といった巨大な対象を相手にして本質を見抜く眼力の鋭さと、ロシア語そのものの魂に食らいつく語学力、そしてラディカルな正論を繰り広げる気迫に満ちた日本語。そのいずれをとっても、従来の文人タイプのロシア文学者の枠をはるかに超え、私たちの一見平穏な日常を強く撃つものだ。いや、二葉亭四迷以来、ロシア文学を熱心に輸入し消費しつづけてきた近代日本にあって、内村剛介はロシアを踏まえながらロシアを超えて批評家として自立したほとんど最初のケースではないだろうか。その原点にあるのは、戦後十一年もの長きにわたったシベリアの収容所経験である。それはソ連文明という二十世紀が生んだ謎のモンスターのはらわた内臓を見極める地獄めぐりだったが、同時に限りなく懐かしい魂の根源への旅でもあった。だからこそ、彼は「見るべきほどのことは見つ」と言い放てるのだ。ソ連が崩壊し、世界が別の怪物の内臓に呑み込まれつつあるいまこそ、私たちはもう一度真剣に、この厳しくも優しい稀有の思想家の声に耳を傾けなければならない。