目次
■第一章 農業社会の形成と発展
第一節 農耕文化の成立
弥生土器の出現/新たな展開/弥生土器の成立/大陸系磨製石器の流入/初期の金属器/イネの初見/稲作の開始
第二節 農耕文化の発展と社会の変化
農耕集落の展開/拠点集落の登場/渡来文化の問題/小国の形成/北部九州の国々/一支国の形成
第三節 『魏志』倭人伝の国々─対馬国から一支国へ
対馬国の考古学/一支国の考古学/壱岐の海人/邪馬台国時代の長崎/生活文化の諸相
第四節 北東アジアの中の末盧国
第五節 伊都国と斯馬国の遺跡群
伊都国の遺跡群/伊都国と一支国/斯馬国の遺跡群/前方後円墳の出現と伊覩・斯摩縣主
第六節 武器形祭器
重留遺跡出土の広形銅矛/春日市千歳出土の中広形銅戈
第七節 吉武高木遺跡の出土品と九州の小銅鐸
■第二章 邪馬台国をめぐる諸問題
第一節 邪馬台国をめぐる国々
『魏志』倭人伝に見える国々/列島各地の国々
第二節 列島各地の拠点集落
拠点集落の概念/『倭人伝』の国々
第三節 邪馬台国周辺諸国の実像─対馬国から投馬国まで
対馬国/一支国/末盧国/伊都国/奴国/不弥国/投馬国
第四節 吉野ヶ里遺跡をめぐって
吉野ヶ里遺跡と「国」・「王」/吉野ヶ里遺跡と朝鮮半島
第五節 山門郡の考古学
第六節 「聞」国の想定
はじめに/紫川流域における弥生時代の遺跡/「聞」国の呼称について/「聞」国の検証/おわりに
第七節 「胸形」国の可能性
はじめに─問題の所在/「胸形」国の呼称について/宗形(宗像)郡域における弥生時代/おわりに─宗形(宗像)郡域における古墳の出現
第八節 首長墓の出現と王墓の形成過程
はじめに/田熊石畑遺跡について/首長墓の出現─吉武高木遺跡の場合/北部九州各地の首長墓/首長墓から王墓へ/おわりに
第九節 邪馬台国東遷の可能性
第十節 倭人伝の中の動物たち
はじめに/倭人伝の中の動物/北部九州弥生時代中・後期の動物相/絵画に見る動物/おわりに─伊都国の動物たち
■第三章 九州の古墳文化と古代朝鮮
第一節 加耶地域と北部九州
はじめに/竈の始まりと系譜/陶質土器と初期須恵器/陶質製紡錘車について/朝鮮出土の倭の遺物/おわりに
第二節 九州出土の朝鮮産陶質土器
はじめに/陶質土器の実例/陶質土器の諸段階/おわりに
第三節 北部九州の初期須恵器とその系譜
はじめに/日本における初期須恵器の生産開始/北部九州の初期須恵器窯/北部九州初期須恵器窯の内容と特質/北部九州の初期須恵器とその系譜/おわりに─北部九州における初期須恵器出現の背景
■第四章 大宰府の研究
第一節 九州歴史資料館と大宰府研究
第二節 大宰府都城制─とくに水城と条坊制の系譜
はじめに/大宰府都城の構造/泗沘都城の構造/大宰府都城制の系譜/おわりに
第三節 大宰府の防衛体制をめぐって─羅城と関、防と烽
はじめに/羅城と関/防と烽/おわりに
第四節 朝鮮式山城
はじめに/朝鮮式山城の定義/朝鮮式山城の構造的特質/朝鮮式山城の分布と意義/おわりに
第五節 朝鮮半島から見た鞠智城
鞠智城の築城とその背景/日本古代山城の中の鞠智城/朝鮮半島の古代山城/朝鮮半島から見た鞠智城
第六節 大野城から四王寺山へ─戦から祈りの山へ
第七節 大宰府研究の現在─万葉集と考古学
はじめに/「貧窮問答歌」に見える伏廬と竈/「梅花宴」の舞台/大宰府鴻臚館の位置/博多湾岸の大宰府関連遺跡/おわりに
■第五章 世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
第一節 世界遺産記載とその意義
はじめに/これまでの学術調査・研究の成果/世界遺産記載に相応しい顕著な普遍的価値/記載の意義/おわりに
第二節 古代宗像の神社・寺院と古墳
はじめに/「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群/宗像社の起源/宗像神社と鎮国寺/宮地嶽古墳と倭国/おわりに
第三節 宗像の世界遺産と元寇
はじめに/鷹島から元寇が見えてくる/海の祭祀/おわりに
■第六章 九州の中・近世考古学
第一節 九州・沖縄出土の朝鮮産陶磁器
はじめに/朝鮮産陶磁器の諸段階/おわりに
第二節 中世博多の対外交流─新安沖発見沈没船をめぐって
はじめに/新安沈没船の文物/新安沈没船の年代/新安沈没船の出航地と目的地/船舶をめぐって/船の性格/新安沈没船発見の高麗青磁/おわりに
第三節 古上野・高取と李朝時代の陶磁
第四節 文禄・慶長の役と佐賀県立名護屋城博物館
前書きなど
筆者は、昨年、一般市民の考古学愛好家の皆さん向けに小著『九州考古学の現在(いま)』(海鳥社刊)を公にしたが、今年は、これまで折に触れ発表してきた小論のうち、九州考古学に関するそれらを編集し、刊行するものである。
ここで取り扱った時代は、原始の弥生・古墳時代を中心に、邪馬台国をめぐる諸問題や古代の宗像・沖ノ島の祭祀と古墳文化を取り上げた。とくに、宗像・沖ノ島に関しては、世界遺産との関連性にも言及した。そして、中・近世の対外関係との関連で、陶磁器と文禄・慶長の役にも説き及んだ。今、振り返ると、通じて叙述が体系的ではなく、また、重複部分も少なくないが、小論集ということで、お許しをいただきたいと思う。
この際の書名に関して、論考としたのには、筆者の個人的な思いを込めている。筆者の専門分野でもある朝鮮考古学の大先達であられた藤田亮策先生は、近・現代の朝鮮・日本の学内外で数々の要職を歴任された。藤田先生のことは、およそ一世代下で筆者の恩師にも当たる有光教一先生の「藤田亮策先生の朝鮮考古学」(有光教一『朝鮮考古学七十五年』二〇〇七、昭和堂刊所収)に詳しい。その藤田先生の単著あるいは論文集は決して多くなく、『朝鮮考古学研究』(一九四八、高桐書院刊)と『朝鮮学論考』(一九六三、藤田先生記念事業会刊)が代表作となっている。今も尊敬してやまない藤田先生のご業績にちなんで、筆者はこのたび『九州考古学論考』とさせていただいた。この上は、引き続いて恐れ多くも藤田先生のご高著と同じ書名の『朝鮮考古学研究』を上梓したいものと祈念している。
ところで、九州大学における私の先代教授であられた岡崎敬先生から伺ったことであるが、藤田先生が京城帝国大学助教授・教授の当時、冬には九州大学に集中講義に来ておられたそうである。このことを知った私は、藤田先生とのご縁を感じずにはおれなかった。
また、岡崎先生からは、九州大学の教官として、九州にしっかりと根ざして、その上で、朝鮮なりアジアに目を向けることの大切さを教わったことを今思い出している。
なお、冒頭で述べたように、昨年公にした『九州考古学の現在』の小著と、本書を併せて利・活用していただければ筆者にとって望外の幸せというべきであろう。
(本書「はじめに」より)