紹介
ベートーヴェンはじめ多くの大作曲家が愛用したウィーン式ピアノ。
音楽家たちの期待と信頼にこたえ、職人たちは技術革新に励んだ──
そのダイナミックな関係が開花させたピアノ音楽の黄金時代を描く!
この楽器は私には良すぎる……なぜでしょう?
この楽器が私自身から音色をつくる自由を奪うからです。
──L.v.ベートーヴェン
画期的なメカニズムを開発したシュトライヒャー一族、
なかんずく当時の大作曲家たちから絶大な信頼を得た女性製作家、
ナネッテ・シュトライヒャーの活動を中心に、
音楽史を動かした職人たちの姿を生き生きと描き出す!
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、
シューベルト、シューマン、ショパン……
作曲家とともに楽器に夢を見た名工たちの、絶えざる技術革新の物語。
巻末資料として「1791年から1833年までのウィーンにおけるピアノ製作家のリスト」を掲載!
*「フォルテピアノ」とは現代のピアノの前身となる18〜19世紀のピアノの総称。
2018年、ショパンの同時代に使用されていたフォルテピアノを使用する
「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」が創設され、
2位となったピアニスト、川口成彦さんのTVドキュメンタリーが
NHKで放映されるなど、いまフォルテピアノへの関心が高まっています。
目次
ピアノの基本的な構造──1800年代のウィーン式ピアノの場合
はじめに
第1章 ピアノ製作の始まり
ヨーロッパ諸都市の動向
フィレンツェ
ドイツ諸都市
ロンドン・パリ
ウィーン
『ウィーン・プラハ音楽年鑑』
三大ピアノ製作家
鍵盤楽器の種類
クラヴィコード
スピネット
フリューゲル
ピアノフォルテ
その他の鍵盤楽器
オルフィカ・ピッコラ
クセノルフィカ
ヴィオリ=チェンバロ
パンメロディコン
グロッケンクラヴィーア
アディアフォノン
もうひとつのパンメロディコン
第2章 ウィーンのピアノ製作家たち
出身
職人の制度
活動地域
未成年の病死
楽器の改良
第3章 シュトライヒャーの社史
シュタイン姉弟
決別
ナネッテ・シュトライヒャー
ヨハン・バプティストの参画
ナネッテの引退、そして国内外での博覧会出品
第4章 ベートーヴェンの時代におけるピアノの技術革新
2通の手紙
シュタイン姉弟による共同経営の時代(1792-1802)
ナネッテ・シュトライヒャーの時代(1802-1823)
音量増大の試み
強打に耐え得る鍵盤アクション
音域の拡大
ペダルの種類の増加
モデレイター
ダンパー・リフティング
フェアシーブング
バスーン
ダブル・モデレイター
ハープ
ヤニチャーレン
ペダルの配列と四手連弾
理想とする音色
ナネッテとバプティストの共同経営の時代(1823-1832)
下方打弦式アクション
アングロ・ジャーマン式アクション
第5章 シュトライヒャーの顧客たち
ダルベール夫人
首座大司教選帝侯
若き音楽家カール・アルノルト
大公妃ステファニー・ド・ボアルネ
カール・マリア・フォン・ヴェーバー
ヨハン・ネーポムク・フンメル
ルイ・シュポア
フェリックス・メンデルスゾーン
フレデリック・ショパン
クララ・シューマン
第6章 楽器の特徴からベートーヴェンのピアノ・ソナタを読む
32曲のピアノ・ソナタの概観
5オクターヴの音の使い方に注目する
音の減衰の早さを表現に変える
使う音を少しずつ増やす
ムジカ・ムンダーナ
イギリス式ピアノを模倣した響き
ペダルを複数組み合わせる
終章 ウィーンのフォルテピアノの「今」
ベーゼンドルファー社の社史
ウィーン式ピアノの終焉?
記憶されたウィーンの音
響板の設計
本体のケース
あとがき
注記
巻末資料 1791年から1833年までのウィーンにおけるピアノ製作家のリスト
主要人名索引
前書きなど
はじめに
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、フンメル、チェルニー、シューマン夫妻、メンデルスゾーン、ポーランド時代のショパン、チェルニーに師事していた頃のリスト……、彼らが日常的に接していたピアノは、ウィーン式と呼ばれるものであった。
彼らの音楽を享受するとき、私たちはこの事実をあまり心に留めないでいる。しかし、彼らの音楽作品の成立した背景をより深く理解しようとするなら、もともとウィーン式ピアノで弾かれていたことを見過ごすわけにはいかないだろう。なぜなら、このピアノには、現代のピアノでは再現することのできないものが多く含まれているからである──浅い鍵盤、タッチの軽さ、音の明瞭さ、漂うような響き、そして何よりも、演奏者との対話を可能にするある種の親密さ。
本書でめざしているのは、ピアノのための主要なレパートリーの大部分が作曲された19世紀前半のウィーン式ピアノ、およびその製作家に焦点をあてて、音楽史を描くことである。
18世紀以降、ピアノは、イギリス式ピアノとウィーン式ピアノの2つの様式に分かれて発展した。前者は、技術革新を重ね、やがてモダン・ピアノへと受け継がれていくが、後者は、19世紀前半に興隆期を迎えた後、徐々に衰退の道をたどり、長い歴史のなかで淘汰されてしまった。本書で対象とする時代のウィーン式ピアノの現存台数は、名高いメーカーであっても総生産台数の3パーセント未満にすぎないことから、この楽器が年代ごとにどのように変遷したのか全貌を明らかにすることはけして容易ではない。しかしながら筆者が確信をもっていえるのは、ウィーンの伝統的な楽器の音色を形容するさいにしばしば用いられるウィンナー・トーン(軽く抜けるような音、甘くノスタルジックな音)が、ウィーン式ピアノにも確かに存在していたことである。
周知のとおり、19世紀前半のウィーンは、1815年のウィーン会議を経て、メッテルニヒ体制のもと国家権力と警察による統制の時代となった。市民の生活は政府の監視下に置かれ、新聞や書物や個人の手紙などが検閲されるようになる。個々人の家庭は、そうした警察による厳しい管理から唯一逃れられる空間であり、そのなかで繰り広げられたのが文学や演劇や音楽やダンスだった。ピアノが彼らの娯楽のための必需品として根強い人気があったことは想像に難くない。ダンスに明け暮れた彼らの生活を部屋の片隅で見守ってきたのがピアノである。
ウィーン式ピアノを筆者なりに定義すれば次のようになるだろう。すなわち、アウクスブルクの鍵盤楽器製作者ヨハン・アンドレアス・シュタインが発明した打弦機構、およびその改良型を備え、ハプスブルク帝国の首都ウィーンを中心に、18世紀後半から19世紀前半にかけて黄金時代を迎え、とりわけビーダーマイヤー期(1815年のウィーン会議から1847年の三月革命までの期間)の市民生活と結びついて発展した楽器、それがウィーン式ピアノである。
本書では、ワルター、シャンツ、グラーフ、ベーゼンドルファーなどの数多くのウィーンの製作者のなかから、現在ではあまり名の知られていないシュトライヒャー社を中心に据えて、ウィーンの音楽文化について論じている。その理由についてあらかじめ触れておきたい。
まず、シュトライヒャー社は、1802年から1896年までの94年間(シュタイン姉弟時代を含めると102年間)続いたウィーンを代表するピアノ会社である。工場主のマリア・アンナ・シュトライヒャー(愛称ナネッテ)は、アウクスブルクの偉大なピアノ製作家ヨハン・アンドレアス・シュタインの娘であり、また当時としては珍しい女性のピアノ製作家であったことから、ウィーンに移住してきた当初から専門家や音楽愛好家の注目を集めていた。彼女の夫であるアンドレアス・シュトライヒャーはすぐれたピアニストであり、音楽教師をつとめるかたわら妻の仕事を献身的に支えた。文豪フリードリヒ・フォン・シラーと交流があり(シラーが権力に反抗する犯罪者を主人公とした処女作『群盗』を上演し、物議を醸したさい、シュトゥットガルトからマンハイムへ亡命を余儀なくされたシラーを助けたのがアンドレアスである)、また、ベートーヴェンと公私にわたって親交が深かったことは残された書簡が証明している。
第二に、シュトライヒャー社のピアノは、同時代のウィーンのピアノ製作家とは異なる独自性をもっていた。そのことについては本文のなかで述べるが、たとえば伝統的な製法を受け継ぎつつ、他国の音楽文化の動向に合わせて技術革新を重ねた点や、ピアノを製造販売するだけでなく、工房の敷地内に音楽専用のホールを創設して、ウィーンの音楽文化の振興においても大きな役割を果たしたことなどが挙げられる。
第三に、シュトライヒャー宛ての書簡から、ウィーンにおける受注生産の実態を実証的に明らかにすることができるためである。現在、ウィーン市内にシュトライヒャー一族の直系の子孫が管理するシュトライヒャー・アルヒーフがあり、ここには、シュトライヒャー社にかんする膨大な資料が保管されている。そのなかに楽器の注文にかんする書簡が現存しており、そこにはだれが、どのような目的で、どのようなピアノを注文したのか、といった事柄が詳細に記されている。当時ウィーンでは、工場でピアノが大量生産されていたわけではなく、手工業によって小規模に生産されていた。また、消費者が店に陳列されているレディメイド(既製品)のなかから気に入ったものを買い取るといった近代的な商品流通もまだ整っておらず、直接的であれ間接的であれ、消費者からの注文を受けて、なかばオーダーメイドの方式が取られていた。スーツや帽子や靴のように、ピアノの場合も、消費者は自分の趣向や身体性やTPOに合わせて注文することができた。たとえば、強い音か弱い音か、どのくらいの音域か、どんな種類のペダルが必要なのか、タッチは軽いか重いか、どのような場所で、どのような用途に使うか、などに応じてピアノを注文することが可能であったのである。
ピアノをテーマにした研究書はこれまで数多く出版されてきたが、本書のように、ウィーン式ピアノとその製作家と顧客を主題にして、楽器が実際の音楽の現場でどのように選び取られてきたかという問題に重点を置いたものは少ない。ピアノの歴史は、生産者側(製作家)の技術革新と消費者側(音楽家・演奏家)の音楽的要求、この両者のせめぎ合いをその原動力としてきた。ピアノという楽器の発展が音楽創造に新たな地平を拓く一方、音楽家たちの飽くなき芸術的探求がピアノの性能を大きく飛躍させてきたのであり、両者は相互に影響し合ってきたといえる。
本書を通じて、そのダイナミックな関係の一端でも読者に伝わることを筆者は願っている。