目次
はじめに
雨の歌
リンツ中央駅一九四三年
四つの厳粛な歌
藝大官舎の住人たち
十二月の頌歌
ヒヤシンスのころ
月夜の翼
雪の記憶
歌う男
グライツの公園で
中国の花瓶
父と子の探しもの
ドアノーの窓から
作品61をめぐる備忘録
ガラスを吹く人
惜別の譜──(一)薔薇の別れ
(二)主よ、あなたの優しい天使に
(三)ト短調、去りゆくまなざし
(四)あすの朝(モルゲン)
レクイエム
ヴォーカル・シンフォニー
エピローグ──音を知る人──
ゲルハルト・ボッセの人と芸術(那須田務)
ゲルハルト・ボッセ年譜
前書きなど
はじめに
ボッセが亡くなってまだ比較的早い時期に、複数の知人から、彼のことを書かないのかと訊かれた。
一緒に過ごした年月に間近で体験したボッセの音楽、そして、彼が語った言葉の数々を、忘れないうちに書きとめておきたいと考えてはいたが、はたしてどのようなかたちで書くか、それを摑むまでに時間が必要だった。
評伝ではなく、もっと自由に想念をめぐらせ展開させるエッセイのようなものを連作として書いていくことを、当初から、漠然としたイメージではあるが、胸の内に抱いていた。
そのほうが、私が目的とした内容──すなわち、ボッセが生きた二十世紀という時代、ふたつの大戦にはさまれた時期にこの世に生を受け、そのなかで音楽を志し、戦後は分割されてソ連側に組みこまれた国に生きたひとりのドイツ人音楽家の人生を描き、その音楽観のみならず、美術・文学なども含めた芸術観や、家族のこと、出会った人々や交友関係などのさまざまを、夫から聞いた話だけで構成して、その上に私の考察を重ね、そこからボッセの人間像が浮かびあがってくるようなもの──に近づけると考えた。
したがって、伝記のようなものを期待した読者は面食らうかもしれない。眉を顰めるかもしれない。時系列で書いているわけでもないので、〝主人公〟のボッセも、死んだかと思うと、次の章ではまた演奏していたりと忙しい思いをすることになるだろう。
ボッセのことを書くのだから、彼の演奏の、歯切れよく分かたれるアーティキュレーションや、深い内面性に恥じない言葉で書かなければ申し訳ない、と高い志を掲げてはじめたものの、書けば書くほど、それは無謀な試みだったとわかった。
いまの私にはこれが精一杯の結果ではあるが、それでもそのなかに、ボッセの音楽と彼の言葉を、できるだけ生き生きと蘇らせたいと願い、ほんらい、音がすべてを語る音楽芸術を、あえて言葉で描写するという禁も犯したが、この本にかぎりボッセは許してくれると思っている。
このささやかな著作を、ボッセが何を聴き、観て、感じていたか、そのようなことを思い出すままに書き連ねた私のはじめての随想集の試み、と受け止めていただければうれしい。
菅野美智子