目次
清少納言から現代の女性たちへの「想いのリレー」(一倉宏)
「個」の力が「響き」になって(上田知華)
01 あてなるもの……第39段「あてなるもの」より
02 比べられない……第68段「たとしへなきもの」より
03 九月の露……第124段「九月ばかり」より
04 嵐のつぎの朝……第188段「風は〜野分のまたの日こそ」より
05 初夏の契り……第34段「木の花は」より
06 私の好きな月(My Favorite Seasons)……序段「春は曙」/第2段「ころは正月」より
歌詞/解説
前書きなど
清少納言から現代の女性たちへの「想いのリレー」
千年もの昔に、清少納言という女性によって書かれたエッセイ集『枕草子』は、日本文学の古典にして、世界的にも貴重な文化遺産といってよいでしょう。上田知華さんから、ポップスとクラシックの垣根を越えて日本語の「歌」をつくろうというお誘いを受けたとき、この『枕草子』のことばを歌詞に書き写してしてみたいと考えました。古典のことばを現代に通じるよう工夫すれば、きっと誰もが共感できる普遍的な「歌」になると思えたのです。
たとえば、季節の移ろい、様々な人間模様、衣食住など暮らしのディテール。美しいもの、愛しいもの、憧れるもの、忘れがたいもの。それはどれをとっても、まぶしい生の讃歌です。目の前にあるかのように印象的に、触れられそうなほど具象的に。清少納言の感性のきらめきは、まったくもって「時を越える」ものです。
彼女はオシャレでした。コーディネイトが大切と喝破しました。ファッションにもインテリアや文房具にもこだわりました。センスには自信がありました。そしてモダンでした。新しいもの、渡来のものに魅かれました。粗野や粗暴が大嫌いでした。いまのダサいに通じます。自然と風土について綴り、草花や鳥や虫や、そのマイ・フェイヴァリットをリストに、ひとつひとつの名を書き留めました。吹き過ぎる嵐の痕跡や真冬の寒さまでも賛美しました。いまのことばで言えばエコロジーやスローライフ、生物の多様性。それがどんなに豊かであるか。幼きもの、汚れなきもの、繊細なものたちを愛しました。細部に宿る神を、知っていました。
その世界に触れると、千年という時の流れが遙かにも感じられ、いっぽう変わったものはわずかにも思えます。社会や生活環境は当時と大きく変わっても、人間たち、そして女性たちの想いや感受性は少しも変わってないのではないかと。清少納言の残した「貴重な遺産」とは、つまりその気づきに違いないと、あらためて思います。
このたび「女声合唱」として編まれた『枕草子』では、そのような「想いのリレー」までもが表現されるかたちになったと喜んでいます。思えば、「私も清少納言」と感じる多くの共感者がいたからこそ、『枕草子』はいまに至る私たちへと、手渡されてきたのですから。(一倉 宏)
「個」の力が「響き」になって
「もう一度自分の音楽の原点に戻ってメロディーを書いてみよう」と思ったことが、『歌曲集 枕草子』作曲のきっかけでした。私が愛した、時代やジャンルを超えた既存の音楽たちは、すべて平等に私の音楽の細胞の一部になったはず。世の中を見渡すと「ポップスとクラシックの垣根」は間違いなく存在しているけれど、聴く人の耳は平等に澄まされ、心は隔たりなくときめくはずだと……。
そう感じ、あらためてメロディーを書き始めた私に、物を見、人を感じることに垣根など持たなかった清少納言その人から、素晴らしい言葉の贈り物をもらいました。
他人が用意したモノサシで自分を測るのではなく、自身の感覚や考えに正直であることは、人が自立するうえで根幹にあるものだと思います。合唱は、アンサンブルでありながら、同時に「個」を見つめる作業でもあるでしょう。一人ひとりがいかに自立し輝く存在であるかが、合唱団としての「響き」にも繋がっていくのではないか──。清少納言の言葉は、そんなことにも気づかせてくれました。
『歌曲集 枕草子』全12 曲を発表したとき、いつかはぜひ合唱版に編曲できればと思っていました。その夢がこんなにも早く実現し、栗山文昭さん率いる「青い鳥」の皆様の「個」の力によって、自立した女性たちの「響き」になったことを、心からうれしく思います。(上田知華)