目次
はじめに
第1章 箏の道へ──生い立ちと音楽的環境
箏の道へ
正統なる芸の伝承
西洋音楽の産湯につかって
第2章 韓国にて
韓国での生活
処女作《水の変態》の作曲
邦楽近代化の原点
自然描写の達人
中菅から宮城へ
第二作《唐砧》──和声への挑戦
大検校への道
上京に向けての出会い
第3章 新日本音楽の旗手
「宮城道雄自作箏曲第一回演奏会」の衝撃
優位にあった邦楽界
新生洋楽界
大正八年に始まる日本の音楽の近代化
「新日本音楽大演奏会」
コンテンポラリー・ミュージックを愛す
洋楽の台頭
邦楽界の危機感
第4章 西洋音楽に魅せられて
西洋音楽修業
西洋音楽オタク
西洋音楽に触発されて──《手事》の妙
第5章 心を描く《春の海》
作曲の基本方針
《春の海》の革新性
国境を越えた友情──ルネ・シュメーとの共演
心をうつす音楽──イメージ描写
第6章 自然を愛でる随筆家──著作と作曲法
内田百閒との交友
素顔の宮城道雄
自然を手本に
著作の資料的価値
宮城道雄の作曲法
第7章 声楽曲と尺八手付
器楽曲と声楽曲
和洋融合の《秋の調》──新様式の歌曲
尺八手付事始め
尺八や胡弓を歌の代わりに
ソプラノ歌手をイメージして
歌は世につれ、世は歌につれ
第8章 童曲と愛娘よし子
童曲の誕生
童謡運動
童曲の音楽的特徴
ステージ用の童曲
愛娘よし子──元祖童謡アイドル
散っていった花──「夢」と《白玉の》
第9章 教授法の近代化
口伝から楽譜へ
免状制度の改革
東京音楽学校教授から東京藝術大学講師へ
ラジオ講座と教則本の開発
新旧教授法の妙
第10章 演奏における変革
古典を現代に甦らせる演奏
演奏芸術
鑑賞音楽への変貌
第11章 新楽器の開発
大・小の十七絃
グランド箏の八十絃
宮城胡弓の不思議
簡便な箏の開発──短琴
生き残った十七絃
第12章 大編成の作品群
新様式の合奏曲と合唱合奏曲
雅楽の研究
第13章 新舞踊と新歌舞伎──付随音楽
新舞踊と宮城曲
昭和二一年の歌舞伎音楽群
《源氏物語》の音楽
第14章 「新」による伝統の再生
新歌舞伎とは
「俗曲改良」から「新」へ
楽器にみる改良から新へ
価値観の変容
第15章 マルチ作曲家の悲劇
「古典を知らぬ宮城」──古典曲への箏手付
「西洋音楽の安易な模倣」
世代を超えた真の芸術
第16章 作曲におけるジレンマ
伝統と革新、芸術性と大衆性のはざまで
宮城道雄の生きた時代
第17章 謎の死
西洋音楽の本場へ
箏独奏曲の輝き
寝台急行「銀河」
箏と私 宮城道雄
注
あとがき
宮城道雄年譜
索引
前書きなど
宮城道雄といえば、《春の海》である。《春の海》という曲名を知らなくても、日本人なら聴けばわかる。お正月になるとかならず耳にする箏ことと尺八によるあの音楽だ。それを作曲したのが宮城道雄なのである。
明治二七年(一八九四)、神戸の居留地内に生まれた宮城は、誰もが知る盲目の天才として、作曲家のみならず箏の名手としても活躍し、その人気絶頂のさなか昭和三一年(一九五六)六月二五日、演奏旅行の途次、列車から謎の転落死を遂げた。その波乱の人生は、没後すぐに村松梢風によって小説的伝記として讀賣新聞に連載され、昭和三七年には吉川英史によって八〇〇頁以上におよぶ大部の学術的な伝記が出版された。
ところが、いまや宮城を知らない世代がほとんどである。しかし、彼の音楽はいまなお色あせることなく人々に愛され、むしろ近年になって再評価されているといえるかもしれない。そればかりか、宮城の開発した新楽器「十七絃」は完全に日本の楽器として定着している。彼の後世への影響ははかり知れない。
西洋文化との邂逅によって日本の文化がもっともダイナミックに動いた明治・大正・昭和の時代に、宮城は作曲家、演奏家、楽器開発者、教育者、そして随筆家と多岐にわたって才能を開花させたが、こうした業績を網羅的に体系だって紹介した書物は、これまでなかった。また、新たな資料の出現などによって伝記研究も進んだ。そこで、最新の研究成果のもと宮城の生涯と業績を明らかにし、本書を読めば宮城道雄のすべてがわかるという書をめざしたのである。
それと同時に彼をとおして、時代の精神をも浮かびあがらせようと試みた。人間を描けば、時代を描けるとの思いからである。じっさい、作品分析の積み重ねというミクロの視点と時代を俯瞰するマクロの視点によって、宮城個人が価値観も語法もまったく異なる西洋音楽から刺激を受けて自らの感性を磨いた結果、新しい音楽様式を創り出し、さらにそれを時代が後押しするという構図が見えてきた。
また、宮城道雄ほど生前と没後で対照的な評価を受けた作曲家もいないのではないだろうか。その評価の相違を検証することで、それぞれの時代の美意識、音楽観がより明確になり、さらには宮城の日本音楽に対する思いも確認されたのである。
このように内容的には研究書としての性格をもちつつも、誰にでも読みやすく、ということを念頭に執筆した。そのため、人となりを伝えるエピソードを加えたが、また、それによって人物像をよりリアルに描き出すこともできた。さらには、宮城の思い、そのドラマティックな生涯を少しでも体感できるように、生涯と業績を分けることなく一貫して読み通せるように構成した。
したがって、出典や異説、研究の指針などは巻末に注として掲載したので、より詳しく知りたい方は活用していただきたい。逆に、宮城道雄とはどんな人物かをまず知りたい方は注を無視し、音楽的な論考もななめ読みしていただければいい。それでも宮城の全体像がわかるように記した。
筆者は宮城の生演奏も、その活躍した時代も体験していない。けれども、文化人類学者が、その文化の担い手でないからこそ見えるものがあるように、当時を体験していないがゆえに、冷静に客観的にその時代を見つめるからこそ捉えられる真実もあると思う。本書はその最新の成果であり集大成である。