目次
一九五三-一九六五
現実に密着した美術を 作者内部の概念規定が曖昧 銀輪 「作家の自主性のために」に対して 『マンモス潜函』を完成して 作家の主体ということ 前衛記録映画の方法について 私達の苦しみとその解決の道. 1 私達の苦しみとその解決の道. 2 書評-花田清輝著『映画的思考』 作品研究-『忘れられた土地』 映画のイマージュと記録 迫りくる危機と作家の主体 複眼のドラマ意識 日本の現代美術とレアリテの条件 倒錯者の論理 「敗戦」と「戦後」の不在 新しいプロパガンダ映画 記録映画の壁 カナリヤに歌を 芸術的サド・マゾヒストの意識 隠された世界の記録 超記録主義の眼 美術映画の驚異 政治的前衛にドキュメンタリストの眼を 残酷と現実否定のイメージ 残酷をみつめる眼 映画技術を最高に駆使した 疑似前衛批判序説 モダニズムとクリティック 「バラの蕾」とはなにか 琉球の祭りについて 荊の道に抗して 現代時評 三人のアニメーション 個々のぶつかり合いによる運動の最小単位を 変身の論理 大衆という名の物神について 意外性のドラマトルギー 巨視的な未来の透視 書評-小川徹著『大きな肉体と小さな精神-映画による文明論』 太陽はひとりぼっち 肉を切らせて骨を切れ 映画運動の思想と責任 反教育的教育論 安部公房氏のアイ・ポジション
アンチ・テアトル上演の意義 映画創作のための連続講座 技術は向上、内容は低下 形にならない形への模索 書評-滝口修造著『近代芸術』 映像・二つの能力 「記録の目」の問題 もう一つの現実 「もの」との対決とは 説明性を排除して イメージの深さ 「音」と映像の対話 表現をささえるもの 日常の中の異常 意識と無意識の間 あるがままの存在 思索する映像 可能性と障害と 作品構造論に特色 「動き」と「音」 追体験の主体的意味 自作を語る『石の詩』 欲求不満 偽造された歴史 根深い歪みの変革を 凝視と日常性 ドラマの無いドラマ 存在の形而上学 下半身と上半身 運動の変革 青芸ヘ ルイ・マルの『鬼火』と消えることのない疵 映画批評の貧困 イオネスコとメタフィジカル・ドラマ ネオ・ドキュメンタリズムとは何か 本能と外界の接点を抉る 書評-武井昭夫著『創造運動の論理』 文学における「戦後」の超克 映像作家のみた西陣 隠れた部分へのアプローチ 人間性の回復 基本方針案提起 劇団の堕落について 端正な冒険 ベケットの世界 舞台のための覚え書 絶望のドラマ 対話を回復するために 示唆的な空間論と時間論 事件の本質は何か 書評-針生一郎著『われらのなかのコンミューン』 破壊の美学 ほか