目次
第一章 土器製塩と塩のはなし
一 土器製塩と備讃瀬戸の塩作り
二 土器製塩の特徴と塩の作り方
三 どうして製塩土器と考えたのか
四 塩のはなし
五 土器製塩の発見
第二章 弥生時代の土器製塩
一 土器製塩のはじまり
二 製塩土器の形とその変化
三 製塩遺跡の諸相
四 塩の流通
五 政治動向と土器製塩
第三章 古墳時代の土器製塩
一 はじめに
二 製塩土器の三つのタイプ
三 製塩遺跡の様相
四 塩の流通と用途
五 土器製塩と古墳時代の政治動向
六 土器製塩から見た古墳時代
第四章 古代(飛鳥・奈良・平安時代)の土器製塩
一 変貌する土器製塩
二 土器製塩の塩の行方
三 塩の生産方法の変革
前書きなど
瀬戸内海沿岸部の小さな町で育った私は、一九七〇年頃まで稼働していた流下式(枝条架)塩田は見慣れた風景であった。岡山大学で考古学を学んだ時、ここでしかできないと思い、研究テーマの一つに土器製塩を選んだ。その後は、仕事の都合もあり、土器製塩研究とは縁が切れたが、内陸部から出土する製塩土器に接する機会もあって細々と考えてきた。今にして思えば、郷里の四国から本州に渡るとき利用した宇高連絡船からすぐ近くで見た島影は、土器製塩研究の基点となった香川県直島群島(喜兵衛島や荒神島など)であり、また、現在では瀬戸大橋から香川県坂出市櫃石島大浦浜遺跡や保存問題の起きた沙弥島ナカンダ浜遺跡などを見ることができる。
今回の作業を終えた時、土器製塩に関しては、その起源や終末の様相が今ひとつわからないことが気がかりになった。肝心の製塩技法、とりわけ最大の作業である採鹹作業(海水の塩分濃度を高くする)の実態も十分には解明されていない。また、製塩土器と焼塩土器との関係もわかったようでその違いが説明できていないなど、まだまだ基礎的事項からして、今後に残された課題が多いことを痛感した。
空気や水と同様に生命維持に不可欠の塩、その塩は瀬戸内海沿岸部では原始・古代以来の特産物であったこと、その確保に先人たちの懸命の努力があったこと、その実態を今後も伝えていきたい。
私が土器製塩を始めとする考古学を学んで以来、終始指導して頂いた近藤義郎先生、そのほか岡山県・香川県の発掘調査関係者・関係機関、「藻塩の会」(広島県蒲刈町)、「塩の会」、遅れた原稿を形にしてくれた吉備人出版など記載しきれないが、多数の方々のお世話になった。(岩本正二)
岩本正二さんと二人で本書を執筆するように、とのお話を頂いてからかなりの時間が経過してしまった。何よりもなかなか筆の重い筆者の性分に問題があるわけだが、同時にこの数年間は筆者なりに古墳時代像の再検討を試みた期間であった。執筆を準備した当初から、できるだけ土器製塩の時代的特質を鮮明に描くことを目指したが、自らの古墳時代イメージが揺らぐ中で当然、土器製塩という部門の評価、そして本書で強調した展開のダイナミズムの意義をどのように捉えるかについても相当に試行錯誤を繰り返した。
この間、いくつかの調査や研究会に参加させていただき、そこで報告の機会を頂いたことはとても有益であった。中でも『喜兵衛島土器製塩遺跡群の研究』刊行に向けた研究会は今日なお古墳時代の土器製塩を語る上で必須の同遺跡群の全体像を学ぶことができたし、岡山県邑久町史編纂事業や、勤務校の共同調査などで牛窓・塩飽をはじめ備讃瀬戸地域の基礎資料を再検討できたことも重要であった。また通称「塩の会」で継続的に各地の土器製塩資料を観察させて頂いたことで、この地域の塩生産を評価する広い視野を保持することができたと思う。さまざまな機会を与えて下さった多くの方にあらためて御礼申し上げたい。また、吉備人出版にはひどくご迷惑をおかけしてしまった。お詫び申し上げたい。(大久保徹也)