目次
機構長コラム “先進的”中国社会から立憲主義が生まれてくるか 小口彦太(早稲田大学アジア研究機構長)
Photo Essayフィールドから 中国山村部における内発的発展について――雲南省麗江市河源村のNGO活動を中心に
向虎(早稲田大学北京教育研究センター長、丁平君(映像ジャーナリスト)
巻頭論文 中国はどこへゆく 天児 慧 (早稲田大学アジア太平洋研究科教授)
【特集】 中国とむかいあう
歴史からみる東アジアの国際秩序と中国――西嶋定生氏の所論に寄せて 金子修一(國學院大學文学部教授)
中国型資本主義をどう捉えるか――「曖昧な制度」から読み解く中国経済 加藤弘之 (神戸大学大学院経済学研究科教授)
中国経済の現状と今後の展望 田中 修 (日中産学官交流機構特別研究員)
国際関係論から見た中国 青山瑠妙 (早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
近代以降の東アジアにおける地域秩序の変動と中国 茂木敏夫(東京女子大学現代教養学部教授)
中国と向き合う台湾〜激変する力関係の中で 小笠原欣幸 (東京外国語大学総合国際学研究院準教授)
ベトナムから見た中国:二〇一四年五月 坪井善明(早稲田大学政治経済学術院教授)
朝鮮半島から見た中国 五味洋治(東京新聞編集委員)
世界の非課税の自由貿易地域(FTZ) スーザン・ティーフェンブルン(トーマス・ジェファーソン大学法学部教授)
[解説]リー・マージ・クリスティン(早稲田大学国際学術院教授)
日中関係の氷河期に、留学生教育には何ができるか 鄭 成 (早稲田大学現代中国研究所主任研究員)
書籍紹介 坪井善明・早瀬晋三 (早稲田大学国際学術院教授)
フィールドエッセイ 北京の隙間 任 哲 (ジェトロ・アジア経済研究所研究員)
What's Going on? 早稲田大学アジア研究機構からのお知らせ
巻頭口絵写真 2014年3月3日、北京 朝日新聞国際報道部・葛谷晋吾撮影
アジアのNGO【活動現場から】外国人相談の現場から――摩擦も含めた、相互理解が必要 加藤丈太郎(ASIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY代表理事)
前書きなど
〝先進的〟中国社会から立憲主義が生まれてくるか
小口彦太
随分昔であるが、律令国家をめぐるシンポジウムが開催され、討論者たちが日本の律令制について平安時代のそれを自明の如く論じていた中で、日本中世史家の故石井進氏が次のような疑問を呈された。「素朴な疑問をもっておりますのは、律令国家がきわめて専制的な個別人身支配体制であり、その体制が下部まで貫徹していたというのは事実かどうか、という点についてです」(『シンポジウム日本歴史4 律令国家論』学生社、八二頁)。その上で「ことによると、江戸時代とかそのくらいになってはじめて(公地公民制のようなものが)完成するということもできるわけでしょう」と述べられている。中国の律令制は紀元前五世紀の戦国時代に形成が始まり、隋唐時代に完成する体制で、全国の人民を中央・地方の官僚制機構を通じて統治するシステムで、その統治の基礎となるのが戸籍である。この戸籍の作成についても、一九七〇年代湖北省雲夢県睡虎地から出土した夥しい戦国末期の秦律竹簡の中から戸籍作成のモデル的規定が出土した。それによれば、家族のみならず犬の一匹に至るまで完璧に把握することが意図されている。戦国時代の「国」の権力が社会のすみずみまで貫徹しているのである。そのような本場の律令体制が日本の古代に存在し得たとは到底思えず、せいぜい江戸時代くらい、ようやくそれに近い体制ができあがるのではというのが、石井氏の疑問であった。
ところで、徳川時代、好奇心旺盛な将軍吉宗が清国の知識人と復讐をめぐって質疑を交わしている。吉宗「貴国では父兄の敵討は行われているか」→朱佩章「律に従えば、君父の敵討とはいえ殺人の罪は許されません」→(得心のいかない)吉宗「父の敵を討ったのに、どうして罰せられのか」→朱「たとえ父の敵であっても、官に訴えず私的に殺害するのは、法を犯(す)重大な罪だからです。復讐したい相手方がいるときは、官に訴えてこれに報復しなければなりません」(氏家幹人『かたき討ち』中公新書)。この朱の見解は、自力救済を厳しく禁ずる近代法の論理そのものである。そういうことで言えば、中国が戸籍を通じて把握しようとした家は、四人家族を標準とする、財を共同にする親族集団そのものであり、相続(正確に言えば財の分割)は男子間で均等に分けられる。この均分相続も、一般的には近代社会の所産であると言われる。日本社会は一九四五年まで長子単独相続が支配し、また長年にわたって家業とか家名という観念が支配してきた。そうした観念は中国には無縁である(このへんのことは滋賀秀三氏の名著『中国家族法の原理』を参照)。
五人家族を標準所帯とする家、財産は平等に相続(分割)し、「凡人間」(他人どうし)の関係は完全な平等社会、能力さえあれば誰でも立身出世できる社会、自力救済を厳禁し、国家が公共の平和の維持の役割を果たす社会、それが紀元前三世紀以来の中国社会であった。こうした社会は日本や西欧の封建社会とは全く異質の社会で、むしろ現代社会に近い。
しかし、近代社会の法には、上記のような自力救済の禁止とは別の法が存在する。法の支配、基本的人権、立憲主義の系列に連なる法である。これはどのような社会から生まれてきたのか。名著『封建社会』の著者マルク=ブロックは「西ヨーロッパ封建制が卑賤な人びとにいかに苛酷なものであったとしても、西ヨーロッパ文明に今日もなおわれわれが存続を望んでやまないあるものを遺したことは明らかである」と説いている。そして、その中で「日本においては、多くの点で西ヨーロッパの封建制に酷似する体制ながら、そこからこれに類似したものが何ら生じなかった」とも述べている。以下は私の独断である。もし、鎌倉期、北条泰時の時代の体制的枠組みを維持しながら第三身分が権力を取得したと仮定すれば、法の支配する立憲主義体制が日本でも現出したであろう。泰時の体制とは、「評定衆制度のなかに明らかな合議制」、貞永式目に示される「道理に基づく法の支配」の体制である(石井進『鎌倉幕府論』)。しかし、その後の長い歴史の行き着いた先は江戸時代のような「専制的な個別人身支配」の体制であり、その江戸時代の体制よりはるかに先進的、現代的社会が中国であった。そんな社会から立憲主義は生まれてくるのだろうか。