紹介
ザリガニ類は採集しやすく飼育も容易であることから,古くから人間と関係があり,教材や実験生物として数多くの研究がなされてきた。また地域の環境と良く対応した指標種であり,本種は周辺環境に重要な影響を与える「鍵種」であるため,その保全により地域の生態系保全が達成できる「アンブレラ種」でもある。本書は,生物としてのザリガニの魅力・知見を多様な研究視点から集成し,全6部14章から構成されている。
第Ⅰ部では,学術研究の魁である博物学について,江戸時代,明治時代,大正時代,昭和時代,平成の現在までを時系列的に紹介し,人間との係りを社会・歴史的な観点も含めて紹介し,生物学・保全学・教育学に繋がる内容とした。また国外の知見も広く集め,国内と比較検討した。
第Ⅱ部では,生物学の基本となる分類学と組織学についての最新の知見を解説した。遺伝子も含めた形態分類,生物地理,系統進化を体系的に紹介し,従来とは異なった新規性の高い知見を紹介する。組織学としては最新の顕微鏡技術を駆使して体各部の組織の構造・機能・特徴を分かりやすく示してその特性を示している。
第Ⅲ部では,神経生物学の実験系(実験動物)としてのザリガニ類を紹介し,生物自体の内部からの視点で,ザリガニの特性を述べた。特に神経生理学・神経行動学といった最先端の研究成果を示し,行動発現の基本になる神経系構造と機能に関して紹介した。
第Ⅳ部では,屋外生物学として,その基本的な生息環境の特定を数値化した。また対応が法律で義務化されている外来種対策(ウチダザリガニ・アメリカザリガニ)と稀少種としての指定を受けている在来種保全(ニホンザリガニ)といった極めて緊急性の高い課題について環境生態学を中心にまとめた。なお,内容の主要な部分は日本水産学会の奨励賞を受賞した内容である。加えて,日本に侵入・定着して深刻な社会問題を引き起こしているため環境省から特定外来生物の指定を受けた「ウチダザリガニ」の母国の著者が,特性と現状を日本と比較検討しながら紹介した。
第Ⅴ部では,応用的な生物学として,日本や,我が国と同じ島国であるマダガスカル島における保全が必要な現状や問題点について地域の社会・経済情勢も加味しながら解説した。そしてザリガニと生活を共にするが、目に付きにくいヒルミミズ類など随伴生物を含めて生物群集としての生態系の保全についての研究を学際的な見地で収録した。
第Ⅵ部では,将来の学術振興となる教育面に関して,必要性が急激に高まっている環境教育の好適な材料としての視点でザリガニ類を紹介し,その模範となる事例紹介も行った。加えて,科学技術振興財団から科学教育部門での文部科学大臣賞を受賞した著者がアメリカザリガニを生物教材に使った理科教育を従来の知見と比較しながらまとめた。
目次
口絵
ザリガニは今――まえがきにかえて
第Ⅰ部 博物学(川井唯史)
要旨 / 世界のザリガニ類 / アジアのザリガニ類 / 日本のザリガニ類の歴史と人間との関係 / アイヌの神祀具におけるニホンザリガニ / 国内のザリガニ類の名称 / ウチダザリガニとタンカイザリガニの学名 / ウチダザリガニとタンカイザリガニの和名 / 専門用語の解説 / 引用文献
第Ⅱ部 分類・組織学
第1章 形態分類・系統進化・生物地理学(川井唯史・Min, Gi-Sik・Ko, Hyun Sook) 要旨 / ザリガニ類の定義 / ザリガニ類の分布・系統進化 / アジアザリガニ類の分布と分類 / アジアザリガニ類の生物地理と系統進化 / アジアザリガニ類各種の分類 / 専門用語の解説 / 引用文献
第2章 組織学(上野正樹)
要旨 / はじめに / 循環器 / 呼吸器 / 消化器 / 泌尿器 / 生殖器 / 神経 / 筋 / 外骨格 / 眼球 / 引用文献
第Ⅲ部 神経生理・行動学
第1章 脳と神経系――ザリガニの脳と神経における構造と機能の連関をめぐって(高畑雅一)
要旨 / はじめに / 中枢神経系と末梢神経系 / ニューロンの構造と機能 / 同定ニューロン
/ 神経回路網 / おわりに / 専門用語の解説 / 引用文献
第2章 神経機構(長山俊樹)
要旨 / アメリカザリガニの神経系 / 尾扇肢運動 / 尾扇肢運動制御の神経回路 / 専門用語の解説 / 引用文献
第3章 視覚と行動――視覚・感覚生理(岡田美徳)
要旨 / ザリガニの闘争と視覚 / ザリガニの眼 / 視葉の構造と視覚情報処理 / 脳内の視覚性ニューロン / 視覚性ニューロンと行動 / 引用文献
第Ⅳ部 環境生態学
第1章 在来種の生息環境(布川雅典)
要旨 / ニホンザリガニの生息場所 / 生息場所タイプの分類方法 / 生息場所タイプの環境特性 / 抽出された環境変量とその取り扱い / 生息場所の保全 / 引用文献
第2章 外来種の生息環境――特定外来生物ウチダザリガニの生態系での機能,原産国における現状(Bondar, Carin A./訳 川井唯史)
要約 / ウチダザリガニとは / 一般的な生物学 / 一般生態 / 移入種の導入 / 移入種としての影響についての結論 / 専門用語の解説 / 引用文献
第3章 生理・生態――基礎生態・繁殖・生理(中田和義)
要旨 / 生息場所 / 水温と分布の関係 / 北海道における外来ザリガニ2種の共存例 / 好適な流速条件 / 隠れ家 / 食性 / 脱皮,成長,寿命 / 繁殖生態,生活史 / ニホンザリガニを取り巻く外来種問題 / 特定外来生物ウチダザリガニがニホンザリガニにおよぼす影響 / 引用文献
第Ⅴ部 保 全 学
第1章 国内の保全(蛭田眞一)
要旨 / はじめに / ザリガニについての関心 / レッドデータブック / 保全のための研究 / コラム1 昭和と平成時代におけるニホンザリガニ生息地数の減少(川井唯史) / コラム2 外来生物法と外来ザリガニ類(中田和義) / 保全活動の諸形態 / コラム3 移植の功罪(川井唯史) / コラム4 ボランティア活動と保全(川井唯史) / ニホンザリガニの未来にむけて / 引用文献
第2章 国外の保全――マダガスカル島の希少な在来ザリガニ類(ミナミザリガニ科のAstacoides属)における生態と保全(Jones, Julia P. G./訳 川井唯史)
要旨 / はじめに / 分類と分布 / 生態学 / マダガスカルにおけるザリガニ類にとっての脅威 / 結論 / 専門用語の解説 / 引用文献
第3章 群集生物保全(大高明史)
要旨 / はじめに / ザリガニの化身? / ヒルミミズとは / ヒルミミズ類の分布 / ヒルミミズの生活 / 日本の在来ヒルミミズ類 / 外来ヒルミミズ / 危惧される共生攪乱 / ザリガニの産地を示すヒルミミズ / ヒルミミズ類の将来 / 専門用語の解説 / 引用文献
第Ⅵ部 教 育 学
第1章 環境教育(中田和義)
要旨 / 環境教育の必要性 / ザリガニ類と環境教育 / 博物館におけるザリガニ類を通じた生物教育 / 児童と大人による特定外来生物ウチダザリガニに対する認識 / 身近な場所に特定外来生物ウチダザリガニの生息地 / ザリガニ類を通じた環境教育の実際と効果 / 特定外来生物ウチダザリガニの継続的な防除を実現するうえでの環境教育の役割 / 引用文献
第2章 理科教育(後藤太一郎)
要旨 / はじめに / 採集 / 飼育 / 「動物の誕生」における活用 / 「動物の体のつくり」における活用 / その他の観察・実験 / 行動 / 理科教育材料としてのアメリカザリガニの評価 / 引用文献
あとがき