目次
はしがき
凡 例
第一部 福澤諭吉
小伝
第1章 福澤諭吉の明治維新論
一 はじめに
二 福澤の「明治維新」論
三 福澤の日本文明化構想
四 民撰議院設立論争のもった意味
五 推測の裏付け
六 維新革命の歴史的性質の理解
七 維新革命観の内包
八 学者の任務と歴史観上の惑溺
書評1 伊藤彌彦著『維新と人心』(東京大学出版会、1999年)
第2章 福澤諭吉の戦略構想──『文明論之概略』期までを中心に
一 課題と方法
二 文久慶応期。「親玉の御師匠番」
三 幕府倒壊の前夜から明治四年前半頃まで。「読書渡世の一小民
四 明治四年後半から七年初頭頃まで。「私立中産の学者」
五 明治七年二月頃から八年半ば過ぎ頃まで。「文明の理論家」と「外交の政論家」
補論1 いわゆる「慶應義塾官有案」について
第3章 「理論」と「政談」
一 はじめに
二 「文明の全大論」vs.『時事小言』
三 「理論」と「政談」
四 『分権論』──「政治思想」家の誕生
補論2 「奴雁」と「雁奴」
第4章 福澤諭吉と『時事新報』社説をめぐって
一 はじめに
二 問題の歴史的背景
三 社説の作られ方と石河の占める位置
四 石河による社説の選別規準
五 社説問題をめぐる研究史
六 石河「例言」の解釈をめぐって
七 起案者同定の困難
八 社説に対する福澤の責任意識
第5章 福澤諭吉の東洋政略論の研究史──敗戦直後から1970年代まで
一 はじめに
二 「学説史」研究の必要と執筆の動機
三 敗戦直後から1950年前後まで──東洋連帯説とアジア侵略の元凶説
四 1950年代後半から60年前後──視点の多様化と「脱亜」の流布
五 60年代末から70年代──研究史的関心の登場、分析の総合化と分節化
書評2 青木功一著『福澤諭吉のアジア』(慶應義塾大学出版会、2011年)
第二部 丸山眞男
小伝
第6章 戦時下の丸山眞男における日本思想史像の形成──福澤諭吉研究との関連を中心に
一 はじめに
二 福澤諭吉──近代日本批判の基準
三 当時の知的気候と丸山福澤論の反時代性
四 近世思想史研究と福澤儒教批判論との学問的関連
五 日本思想史における近世と近代の架橋=正系の自覚
補論3 徳川体制と儒教との関係──津田学説と丸山学説の比較を中心に
補論4 丸山眞男における中国像の変容──敗戦前後を中心に
第7章 丸山眞男における福澤観の転回──「福沢に於ける「実学」の転回」について
一 はじめに
二 論文執筆の時代背景
三 丸山福澤論におけるこの論文の位置
四 「まえがき」部分の要約と論点の整理
五 本文の構成と要約
六 和辻・羽仁・丸山──福澤論をめぐって
七 先行業績からの摂取
第8章 理念としての近代西洋──敗戦後二年間の言論を中心に
一 はじめに
二 人間革命の理念──その歴史的文脈(一)
三 人間革命の理念──その歴史的文脈(二)
四 人間革命の理念──その歴史的文脈(三)
五 近代日本批判の諸相(一)
六 近代日本批判の諸相(二)
七 近代日本批判の諸相(三)
八 おわりに
第9章 丸山眞男の「市民社会」論
一 関心の所在
二 丸山による「市民社会」の用例とその意味連関の検討
三 おわりに
補論5 「市民社会」と「開かれた社会」
第10章 竹内好における歴史像の転回──大東亜・魯迅・アジア
一 問題の提起
二 孫歌著『竹内好という問い』について
三 「大東亜」の理念と近代中国史像の形成
四 『魯 迅』──回心と近代日本史像の形成
五 歴史像の転回と「アジア」の理念
書評3 孫歌著『竹内好という問い』(岩波書店、2005年)
第11章 日本近現代史像の構築と同時代批判
──三谷太一郎著『近代と現代の間 三谷太一郎対談集』を読んで
一 内容の概観
二 「近代と現代の間」が意味するもの
三 冷戦終焉後の諸問題──経済、安保、政治社会
第12章 人・著書・講義の紹介と論評
1 『日本政治思想史研究』──東大出版会50年の本棚から
2 1950年代後半の丸山眞男講義録について
3 中文訳「日本の思想」序文
4 ある講義と演習
5 書評:丸山眞男著『「文明論之概略」を読む』(上中下三巻、岩波新書、1986年)
6 人生への追記──『定本丸山眞男回顧談』解説
7 丸山眞男文庫の意義と可能性につい
第13章 『丸山眞男講義録』をめぐって──対談と鼎談
1 『丸山眞男講義録』七冊完結にあたって──松沢弘陽との対談
2 『丸山眞男講義録』別冊刊行にあたって──宮村治雄・山辺春彦との鼎談
初出一覧
後記
索引