目次
作家の戦争体験を知ると、映画のフィロソフィが見えます。
映画は、風化しないジャーナリズムです。
平和の時代の映画作家を始めました。
映画は、時代を映す鏡なのです。
嘘から出たまこと、を描くのが映画です。
前書きなど
あとがき
カタカタカタカタ、カタカタカタと、アイリス・インで始まる「大林宣彦のいつか見た映画館」(衛星劇場)は、もう9年も続いている人気番組で、先日200回を超えました。映画の前と後に解説をしていますが、これをまとめて昨年『大林宣彦のいつか見た映画館』(七つ森書館)を出版しました。上下2巻、1300ページもあるのですが、この本の出版を記念した対談とトークをまとめたのが本書です。原田知世さんの場合は、衛星劇場20周年記念のスペシャルトークをおさめさせていただきました。
楽しい映画談義におつきあいいただいたみなさん、ありがとうございました。
映画が始まってから120年が経って、映画のドキュメンタリーについて、劇映画について語ることは、映画人の中でも大きなテーマになっています。 映画というものの制度が世界を見ると、どう見えるか。映画の120年の歴史の中で、多くの人たちが映画のフレームを使って現実世界を切り取りながら、フォーカスを合わせたり、パンをしたり、移動したり、演技をしたり、音楽をつけたりしてきたことが、映画の歴史であるということが、今の問題として見えてきますね。
これから映画を撮ろうとしているドキュメンタリストの方々、あるいは劇映画作家の方々のどちらにとっても、そこには狭間や垣根はない。そこには映画というものが存在してしまったから、映画が見た世界がある。君たちはその世界をどう使うか? ということを、ぼくたちは考えるわけです。映画が写してきたものは、例えばいつも戦争であった、諍いであった、権力であった、欲望であったという、人間の醜い部分をだけ写してきたとも思われるんですね。
そういった認識から、映画の平明な目で見れば、人間の欲望よりは、むしろ人間の穏やかな正気が見えてくるのではなかろうかというところに、僕らはいま一所懸命に向き合っているわけですね。いかに映画によってわれわれが人間なるものの正気を取り戻すかということに映画を使ってみようではないか。あの戦争中を知っている年配の作家、戦争を知っている最後の世代であるぼく、さらに戦争を残念ながら知らない若い人たちが、映画を見て学ぶことで、みんなが笑顔で穏やかに、宗教の違いすら、貧富の差すら、文化の違いすら、お互いが理解しあって、許しあって、共に一緒に生きていこうよ、というまさにオンリーワンの世界にいま向かおうとしているといえるのですね。ぼくであるオンリーワンがみたこの世界、この世界の素晴らしさを、みなさんに共に味わっていただこうというあなたの目、キャメラを持った人は、この世の中にいっぱいいらっしゃいます。あなたもそうです、あなたも、あなたも、あなたも……。
みんなでキャメラを持ってこの世界をしっかり見つめ、考えようではありませんか。
映画から新しい、平和な未来を手繰り寄せていきましょうね。
では、明日はいーつくるのかな、カタカタ、カタカタ、カタカタカタカタ…………………。
2017年11月