前書きなど
「あとがき」に替えて
Pメール派
私は「使えない」男です。二、三例を挙げれば、大抵の人は、「あ、こいつ使えない」と見限ってしまうでしょう。
車の運転ができない(当然免許証はない)。
パソコンに触ったことがない(ブラインドタッチなど夢のまた夢)。
ケータイを持っていない(ああいうのは、常に携帯しててこそ自在に操れるもの)。
どうです。「使えない」でしょ。
なので私はPメール一本です。プリミティブメール、原始メール、つまり封書葉書人間てことですね。到頭自分も時代に置いてかれる側になったのかと、ささやかな感慨も。
こんな「使えない」男は、こんな考えを持ってます。CO2削減(原発維持派のあざとい理由付けに使われます)など今やどこ吹く風ですが、そうしなければ、なにより車の台数を半分にすれば済む。「脱クルマ社会」。夏の平均気温も事故死も確実に減る。
本気で節電する気なら、便利快適追求を見直す。まずはスイッチの数を減らす。その場所も考える。「非電化生活」。
ジョブズも百均(一〇〇円均一)も、所詮ゴミの山を作るだけの能しかない。後始末は他人(税金)任せ。原発もそう。戦争関連産業など、他人を殺して金を儲け飯を食らってる連中だから、土台人間のクズだ。煽って楽しんでる奴らともども、地獄とやらへ墜ちてほしいなあ。
以上、「使えない」男の休むに似た考えでした。誰も「使わない」か。そう言やあ、ケータイもパソコンも、電気がなきゃ「使えない」。同じじゃん。
これは「週刊金曜日」の投書欄に採用されたもの。あとは「朝日」「週金」への投稿(全て没)です。ヘビの足として。それから、よく巻末に担当者への感謝感激アメフラシのような文言が添えられてるのを目にしますが、残念ながら実感。そこで一言。出版をお考えの方、七つ森へ。