目次
Chapter 1
核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[一八九八〜一九四五年]
section 1 放射能の発見から原子爆弾の製造
1 放射能の発見から核分裂連鎖反応の発見
2 アインシュタインの手紙
3 イギリス、フランスの動き
4 マンハッタン計画
5 原子爆弾の完成とアラモゴードでの実験
6 ドイツの核開発
7 日本の原爆研究
section 2 広島、長崎への原爆投下
1 日本への原爆投下に反対した科学者たち
2 広島、長崎への原爆投下
3 当時の広島、長崎の軍事的、産業的背景
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道
5 占領軍のプレスコード
section 3 プレスコードに抗した詩人たち
Chapter 2
米ソの核開発競争とビキニ水爆実験の被害[一九四六年〜一九五五年]
section 1 世界的に核兵器開発が進む
1 核兵器管理への動き
2 泡と消えた希望の瞬間
3 米の核実験続行とマクマホン法
4 ソ連の原爆開発
5 イギリスの原爆開発
6 トルーマン、水爆製造を命令
7 カナダのプルトニウム生産
8 フランスの核開発とジョリオ=キュリーの解任
9 ストックホルム・アピール運動
section 2 草の根の原水爆実験反対運動誕生
1 ビキニ水爆実験と第五福竜丸のヒバク
2 東京、大阪などの科学者の動きと原爆マグロの廃棄
3 地方都市の決議相次ぐ、各団体の決議、各地の署名運動
section 3 原水爆禁止署名運動全国協議会の結成と第一回原水爆禁止世界大会の開催
1 原水爆禁止国民大会と署名運動全国協議会の結成
2 ウィーン・アピールと日本の原水禁運動
3 第一回原水爆禁止世界大会の開催と日本原水協の結成
4 原水爆禁止署名三〇〇〇万人、女性たちが原動力
5 ヒバクシャの「生きとってよかったぁ」と「ひとりごと」
6 ラッセル・アインシュタイン宣言
7 日本政府の原子力予算計上と原子力研究三原則
Chapter 3
原水爆禁止運動の広がり、核実験再開をめぐる混乱[一九五六年〜一九六五年]
section 1 核兵器の拡大と広がる反対の国際世論
1 世界に広がる放射能被害と、憂慮する科学者の運動
2 ポーリング・アピール
3 パグウォッシュ会議
4 第二回〜第四回原水禁世界大会
5 日本被団協の結成と被爆者医療法、特別措置法の制定
6 クリスマス島の水爆実験と抗議船派遣
7 日本政府、水爆実験中止の特使を派遣
8 世界に広がる核反対の運動
section 2 政治色強める日本の原水禁運動と運動の亀裂
1 安保破棄と結びついた原水禁運動
2 六〇年安保闘争と第六回世界大会
3 第七回大会、地婦連、日青協が原水協の政治偏向を批判
4 民社党、「核兵器禁止日本国民会議」(核禁会議)結成
section 3 核実験モラトリアム(一時停止)と実験再開
1 米・英・ソ三国、核実験を停止
2 核実験停止会議の進展と挫折
3 ソ連の核実験再開──すさまじい回数
4 部分的核実験停止条約の締結
section 4 ソ連の核実験再開と混乱
1 共産党に否定された担当常任理事会声明
2 第八回原水禁世界大会でソ連、再び核実験
3 一一団体ら共同声明発表
4 原水禁運動再生への努力
5 第九回世界大会──分裂が決定的に
section 5 原水禁運動混迷からの脱出、「原水禁」発足
1 「日本の非核武装と全面軍縮のための関西平和大会」と
被爆三県連絡会主催、原水禁世界大会の開催
2 原水爆禁止日本国民会議の結成
3 ベトナム戦争、原潜寄港、日韓会談反対の運動
section 6 キューバ危機と核事故
1 キューバ危機
2 ウィンズケール事故
3 ウラルの核事故
section 7 中国の核開発
Chapter 4
「原水禁」新しい出発と非核太平洋、原発への取り組み[一九六六年〜一九七五年]
section 1 ベトナム戦争の拡大と和平
1 アメリカのベトナム戦争介入拡大と、和平の実現
2 ベトナム反戦運動の高揚、停滞、そして高揚
3 ベ平連、反戦青年委員会の登場
4 米脱走兵、世界にひろがる
section 2 拡大続ける核兵器
1 米、ソ、英、仏、中五カ国、水爆保有で揃う
2 相互確証破壊(MAD)の提唱とMIRVの展
section 3 NPTからSALTへ
1 核拡散防止条約(NPT)の調印
2 ABM配備で噴き上げた市民の反対
3 戦略兵器制限交渉(SALTⅠ)
section 4 「ニクソン・ドクトリン」と沖縄
1 「ニクソン・ドクトリン」と日本の防衛力増強
2 沖縄の祖国復帰と基地撤去の闘い、沖縄原水禁大会の開催
3 原水禁沖縄大会
section 5 原水禁のさまざまな運動
1 原爆ドーム保存運動
2 第五福竜丸保存運動
3 「ヒロシマ・ナガサキ─一九四五年」の上映運動
4 ナイキミサイル反対から全国ミサイル共闘へ
5 韓国のヒバクシャと交流
6 その他の運動
section 6 太平洋の反核運動と連帯
1 ミクロネシアと交流
2 米・アムチトカ核実験とグリンピースの誕生
3 フランスの南太平洋核実験と抗議行動
section 7 原子力船「むつ」建設から漂流へ
section 8 インド核実験で明かされた平和利用の陥穽
section 9 反原発運動
1 「全国原子力科学者技術者連合」(全原連)結成
2 タンプリン博士来日
3 最初の原発裁判「伊方訴訟」を皮切りに、各地で原発裁判を提訴
4 もんじゅ設置反対の裁判
5 「反原発全国集会」の開催と「原子力資料情報室」「反原発新聞」の発足
Chapter 5
核戦争の危機と世界に広がる反核運動[一九七六年〜一九八五年]
section 1 軍拡と軍縮のはざまで
1 一〇日に一回の核実験
2 SALT2
3 太平洋の米ソ対立
section 2 核戦争の危険
1 NATOのダブルスタンダード
2 カーターの大統領指令59
3 レーガン登場で終末時計は三分前に
4 核軍縮交渉再開
5 日本核武装の誘惑と核持ちこみ密約
section 3 世界に広がる反核運動
1 ヨーロッパで広がる反核運動
2 核凍結(フリーズ)の運動が広がるアメリカ
3 「核の冬」の恐怖
section 4 日本の原水禁運動
1 原水禁運動統一への動きと五・一九合意書
2 平和委員会、原水協で共産党によるパージ
3 八五年、混乱に終始した統一大会
section 5 新しい反核運動の展望は開かれるのか
1 第一回国連軍縮特別総会・SSD1とSSD2、SSD3
2 原水禁独自の運動と大会
3 「非核太平洋国際会議」
4 各界の反核声明発表と非核都市宣言の広がり
section 6 反原発運動
1 世界に広がる反原発運動
2 マンクーゾ博士、低線量ヒバクの危険発表
3 スリーマイル島原発で大事故発生
4 原発モラトリアムを求める会
5 核燃料輸送反対運動の広がり
6 公開ヒアリング闘争始まる
7 ムラサキツユクサが教える低線量被曝の影響
8 高レベル廃棄物「貯蔵工学センター」と「瑞浪深地層研究所」
9 核燃料サイクル基地化構想の危険
Chapter 6
核廃絶への転換点、冷戦崩壊とチェルノブイリ事故[一九八六年〜一九九五年]
section 1 冷戦の崩壊
1 レイキャビク会談「歴史的合意」の決裂
2 INF全廃条約の調印と戦術核の一方的撤去
3 冷戦終焉と軍産複合体の再編
4 戦略兵器削減条約(START)調印
5 包括的核実験禁止条約(CTBT)の成立と未臨界核実験の始まり
6 イラク・イラン戦争から湾岸戦争、劣化ウラン弾の被害
7 冷戦終結と混乱増大する世界・ソマリア、ユーゴスラビア
8 ユーゴスラビアへのNATO関与
9 クリントンと「東アジア戦略報告」
10 日本の自立志向と日米同盟の強化
11 日本の軍産複合体の形成
12 ASEAN地域フォーラムの設立と「東南アジア非核兵器地帯」の発効
13 NPT無期限延長と五年毎の再検討会議
14 インド、パキスタンの核実験
15 朝鮮民主主義人民共和国が核兵器国へ歩みだす
16 「9・19共同声明」発表と地下核実験実施
section 2 反・脱原発運動
1 チェルノブイリ原発で炉心溶融の大事故発生
2 核のゴミ野放し法から放射性廃棄物スソ切り
3 出力調整実験反対の運動
4 原発とめよう! 一万人行動から「脱原発法」制定運動へ
5 関電・美浜原発2号炉の「蒸気発生器細管破断事故」
6 「ノーニュークス・アジアフォーラム」の設立と運動
7 「もんじゅ」ナトリウム漏れ火災事故発生
8 RETFの無駄使い
9 「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」(略称・美浜の会)結成
10 若狭連帯行動ネットワーク(若狭ネット)発足
11 チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西(救援関西)発足
12 ヒバク反対キャンペーン関西(略称ヒバク反対キャンペーン)
Chapter 7
二一世紀を非核・脱原発社会へ──新たな草の根の結集[一九九六年〜二〇〇五年]
section 1 アメリカの軍事政策
1 米、ABM制限条約からの一方的離脱
2 ブッシュ政権の軍拡路線と核政策の見直し
3 米国のアフガン・イラクへの侵攻
4 巻き起こるイラク侵攻戦争への抗議
5 「冬の兵士・イラクとアフガニスタン」の結成
6 イラクにおける民間人の死とイラク・レバント
7 NIF(国立点火施設)
8 ミサイル防衛(MD)の問題点
section 2 核兵器廃絶への希望
1 国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見
2 CTBTの成立
3 中堅国家構想(MPI)の設立と新アジェンダ連合
4 北東アジア非核地帯化構想
section 3 脱原発運動
1 東海再処理工場で爆発事故
2 関電のプルサーマル燃料データねつ造、あばかれる
3 JCO東海事業所「臨界事故」
4 浜岡原発1号機で爆発事故
5 原発を拒否する住民は多数派、刈羽村、海山町で住民投票に勝利
6 ニュークリア・モニターとブースト式原子爆弾
Chapter 8
混迷を迎える世界、共生の世界は開かれるか[二〇〇五年〜]
section 1 核廃絶を目指すとした米オバマ政権と核政策
1 不透明なアフガン状勢
2 オバマのQDR
3 2A2AD環境下での統合エアーシーバトル(JASBC)構想
4 米が評価する日本のミサイル防衛協力と日本核武装へのけん制
5 日本の核武装をけん制
section 2 新START条約の発効
section 3 核問題で揺れる国々
1 印パ核問題の危うさ
2 イスラエルの核兵器
3 イランの核問題
4 リビア政権崩壊と劣化ウラン弾
5 シリア問題
6 二〇一〇年〜一五年・NPT再検討会議
7 カットオフ条約の停滞
section 4 アジアの原発
1 台湾第四原発廃止問題と廃棄物処理施設
2 韓国
3 マレーシア
4 ベトナム
5 インド
6 モンゴルの核廃棄物問題
section 5 民主党政権の誕生と崩壊
1 鳩山政権から菅政権、野田政権
2 安倍内閣登場と集団的自衛権についての解釈改憲
3 安倍政権防衛政策の基本は「ナイ・イニシアチブ」
section 6 ウラン鉱山の悲劇と闘い
1 ウラン採掘と被害
2 アメリカ・インディアン居留地でのウラン採掘
3 先住民族・インディアンの闘い
4 新たなウラン鉱山開発
5 日本のウラン採掘と残土被害
6 核廃棄物問題
7 MOX燃料と日本の核廃棄物問題
section 7 劣化ウラン(DU)弾、アフガン、イラクそして旧ユーゴスラビア
1 劣化ウラン(DU)とは
2 「核兵器廃絶を目指すヒロシマの会」と「NO!DU ヒロシマ・プロジェクト
3 ICBUWの結成、国際的な劣化ウラン弾反対運動
4 ICBUWヒロシマ大会
5 「欧州放射線リスク委員会(ECRR)」の二〇〇三年、二〇一〇年勧告
6 ヨーロッパ各国の原子力発電と反対運動
7 「子ども原水禁」、高校生を国連に派遣する運動
8 中越沖地震と柏崎刈羽原発損傷
9 福島第一原発事故 一五万人の避難事故概要
10 浪江町になぜ避難勧告は届かなかったのか
11 福島県の反原発運動
12 福島原発告訴団の訴え
13 原発いらない女たちの会
14 原発廃炉で抱える深刻な問題
15 原子力規制委員会設置法と原子力基本法改正
16 東北電力、浪江・小高原発建設を断念
17 子ども被災者支援法の基本方針の撤回と再策定等を求める要請
18 原発反対の連続的行動
19 脱原発一千万人署名運動
20 核戦争の危険、ブロークン・アロー
Chapter 9
ヒバクシャの運動
section 1 「原爆裁判」で裁かれたアメリカの国際法違反
section 2 原爆二法から被爆者援護法制定まで
1 原爆二法の成立
2 韓国人ヒバクシャ・孫振斗と原爆手帳裁判
3 「基本懇」の答申
4 国家補償が抜け落ちた「被爆者援護法」
5 救済されない日本国外在住ヒバクシャ
6 ヒバクシャでありながら、認定されない被爆体験者
section 3 ヒバクシャ援護の運動
1 総評被爆連の結成
2 「韓国原爆被害者援護協会」と「韓国の原爆被害者を支援する市民の会」
3 韓国憲法裁判所の決定
4 全国ヒバク二世組織の誕生と運動
5 米核実験によるマーシャル諸島住民の被爆との闘い
6 核被害者世界大会の開催
7 ソ連・セミパラチンスク核実験場周辺ヒバクシャとの交流
8 被曝労働者
9 三・一一以降のヒバクシャ
10 地方に広がる情報と運動の拠点
年表
文献
あとがき
索引
前書きなど
あとがき
この本は一二年前に発刊された『開かれた「パンドラの箱」と核廃絶へのたたかい』の改定・増補版といえます。
最初の本のときも、大幅に削減しましたが、その後の一二年間を加えて、今回も厖大な原稿量となり、かなり削減を余儀なくされました。
しかし七つ森書館の決断で、削減が最小で済んだことに感謝を申し上げます。
ところで前回では出版の前年に、ブッシュ(ジュニア)が、米大統領として登場しており、世界が変化していく予感を抱いていましたが、これほど大きく変化するとまでは、思いもよりませんでした。
当時、ブッシュ米大統領は、軍事力と財政力を背景に、CTBTの死文化、京都議定書からの離脱、生物兵器条約からの撤退などの、米国内保守派の主張を次々と実行に移し、さらにロシアに対するABM制限条約からの一方的脱退を通告していました。
〇一年九月一一日には、米国で同時多発テロが発生し、多くの人たちの死に、米国だけでなく、世界は大きなショックを受けましたが、米国は報復のための戦争をアフガニスタンに行い、さらにイランにまで侵攻作戦を広げたことは、みなさんご承知のことです。
しかしこの戦争は、米国に勝利をもたらさなかっただけでなく、アフガニスタンやイランに大きな被害を与え、中東にも大きな変化をもたらしました。また財政的にも米国に大きな負担となり、世界は多極化しています。BRICS開発銀行の発足は、それを象徴しているといえます。
私は、ブッシュ政権が終わった直後に、ブッシュの八年を書きたいと考えてはいましたが、忙しさに紛れて積極的にとり組んではきませんでした。
月日が経過するなかで、一一年三月一一日の福島第一原発事故に遭遇します。この事故はチェルノブイリ原発事故に比較すると小さいといえますが、大量の放射性物質を現在も放出し続けるという、実に深刻な事故といえます。事故当事者の東京電力と電力業界はもちろん、政府や自治体も被害を過小評価しようとし、本来避難すべき人たちが、放射能高レベル地域に生活しておられます。もちろん若い世代への影響を心配しながらですが。
子どもたちへの甲状腺被害はじょじょに現れつつあります。今後の推移は予断を許しません。
それでも避難しなかった大人たちを非難しようとは思いません。事故状況を国民に知らせず、放射能の危険を過小評価し、避難を勧めなかった、国、自治体、一部の科学者にこそ、大きな責任があります。一人ひとり、家族それぞれに生活があり、そのなかで選んだ生活を誰も責めることはできないでしょう。反核・反原発の立場に立ち続けてきた一人として、状況を見守り、運動を続けていく以外に道はないと考えています。
この本はこうした状況のなかで書いたともいえます。
いま世界は、力の論理が支配する時代にすっかり戻ってしまった状態です。この後の一年で、世界はどう変わっていくのでしょうか。集団的自衛権を閣議決定した日本を含む東アジアはどのような状況になっているでしょうか。イスラエルのパレスチナ・ガザへの武力攻撃は心が痛むとともに、どのような影響を中東・アラブに与えるでしょうか。
二〇一五年は日本の敗戦七〇周年であり、被爆七〇周年でもあります。どのような世界、日本となっているか、この本の読者とともに見守っていきたい、運動を続けていきたいと考えています。
なおこの本を書くために背中を押してもらった七つ森書館のみなさんに、改めて謝辞を述べたいと思います。
二〇一四年七月一七日(川内原発再稼働を、原子力規制委員会が認めた日に記す)