前書きなど
はじめに
本書は、精神科医として宮城県立精神医療センターに勤務した三八年間、折に触れて一般市民、患者さんや家族、医療スタッフに講演した内容をまとめたものです。
国は、二〇〇四(平成一六)年九月に精神保健福祉対策本部報告書「精神保健福祉の改革ビジョン」を公表し、「入院医療中心から地域生活中心へ」という基本的な方策を推し進め、立ち遅れた精神保健医療福祉体系の再編と基盤強化を一〇年間で進めることを約束しました。そして翌年の一〇月には、障害福祉サービスを安定的かつ効率的に供給することをうたった障害者自立支援法が成立しました。
しかし、精神科医療の一現場からみると、長くその問題点が指摘されてきたにもかかわらず、なお改革の歩みは遅々としており、十分には進んでいないというのが実感です。先進諸国に例を見ない巨大な精神病床と地域精神医療の立ち遅れ、大きな地域間格差、全入院患者のおそよ三〇%にも達するといわれる社会的入院者、低い精神科医療費と貧しい人員配置基準、三障害のなかでも立ち遅れが目立つ福祉施策等々。さらに近年は、競争社会が激化し自己責任という言葉が氾濫する中で、自殺者が三万人を超えるという事態が連続して九年となり、児童思春期のメンタルヘルスの問題も深刻さを増しています。
「先生、なんといってもこの病気はつらいね。周りには気兼ねをしなくてならないし、いつまでたっても苦労はつきないし、今の医学で治せないものかね」
患者さんやご家族から、ためいきとともに重い悩みをお聞きすることがあります。学問・実学としての精神医学の未熟性に無力感を覚えることも稀ではありません。しかし、それ以上に無念の思いをするのは、これほど頻度の高い誰でも罹る可能性のある疾患であるにもかかわらず、精神障害者とその家族をここまで追いつめている構造、身体障害者や知的障害者と比べても二〇年は遅れているといわれる諸施策、そしてそれを許してきた私たち世の中の考え方、精神障害者観です。
とはいうものの、こうした深刻な状況にあって、長い目でみると精神障害者に対する治療や処遇、考え方といったものは確実に変化してきているように思います。それは、今からおよそ三〇年前に起こった小規模作業所を始めとする地域精神保健活動、当事者運動の高まり、二〇年前の精神保健法成立以降の法理念の整備等々に関連して生じてきた改革ということができますが、それは医療関係者だけではない、何よりも患者・家族を中心にした当事者、そしてそれを地域で支える職親やボランティアなど大勢の関係者の果たしてきた努力が大きいといわなければなりません。いいかえるならば、私たちは戦後六〇年にしてようやく出発点に立つことができたのかもしれません。それは決して後戻りの許されない出発点でなければなりません。
本書の元になる講演記録は、もとより出版を意図にしてなされたものではありません。新しい法制度の施行にともなって古くなった事項については修正加筆を行いました。また、医療観察法や障害者自立支援法の課題については、新たな加筆を行っています。まとまりのない講演テーマを整理し、一冊の本にすることを薦めてくださいました七つ森書館のみなさんに感謝申し上げます。