前書きなど
まえがき 佐高 信
「神は細部に宿りたまう」という。真理は細かな具体的事物に表れるといった意味だと思うが、「神は日本国憲法にこそ宿りたまう」と言い換えることもできるだろう。
日本国憲法は世界に誇るべき財産である。
湾岸戦争の時、日本に対して、日本人はカネは出すけれども血は流さないという非難が昂まった。その時、高知のある高校生が、好きだったアメリカのコラムニスト、ボブ・グリーンに手紙を書く。もちろん、英語でである。日本には憲法九条があるから軍隊を出さないのだ、と。それを読んだグリーンがそのことをコラムに書き、全米で配信された。
それを読んだアメリカ人たちから、その高校生のところに多くの手紙が寄せられたという。そこには、異口同音に、「知らなかった」「アメリカにも九条がほしい」といった言葉が並んでいた。何ものにもまして、この九条をこそ世界に“輸出”すべきなのではないか。
私は2000年7月30日付の『神奈川新聞』のコラムに「息子を国に売った母」と題して、次のように書いた。
〈今年もまた八月十五日がやってくる。敗戦から五十五年目の夏である。一九四五(昭和二十)年生まれの私にとって、生きてきた年月はそのまま日本の戦後史と重なる。七月十三日付の本紙に載った新井恵美子のエッセイ「美空ひばりの“反戦歌”」は、改めて私をそんな思いに誘った。そして、本棚から、彼女の『哀しい歌たち——戦争と歌の記憶』(マガジンハウス)を取り出したのである。
とりわけ、「軍国の母」の項が悲しい。
生きて還ると思うなよ
白木の柩が届いたら
出かした我が子 天晴れと
お前を母は 褒めてやる
これが一九三七(昭和十二)年に日活映画『国家総動員——銃後の赤誠』の主題歌として臨時発売された「軍国の母」の三番である。島田磬也作詞、古賀政男作曲。一九三一(昭和六)年の満州事変に端を発して十五年戦争に突入していた大日本帝国は、この年、中国との戦争を本格化させていた。
新井はこの項を新聞歌壇に載った石井百代という人の次の歌で結んでいる。
徴兵は生命かけてもはばむべし
母祖母おみな牢に満つるとも
俳優の三國連太郎は若き日、徴兵忌避をやろうとした。一九四三(昭和十八)年、二十歳だった三國は学生運動をしていた友人に連座する形で大阪の網島警察に放り込まれていた。そこに召集令状がくる。
彼を捕まえた特別高等警察の人間が、召集が来たから家に帰れ、と言った。
「勝手にしょっぴいておいて、勝手に帰れでは困っちゃうなと思ったんですよね」
三國は私との対談で、こう笑わせていたが、「戦争はあまり好きじゃないし、意味なく人を殺すのは自分の理屈に合わないような気がして」三國は大阪駅から故郷の静岡をめざさず、貨物列車に乗って西に向かった。そして、山口県の小郡まで来た時に母親に手紙を書く。
いろいろ迷惑をかけることになるかもしれないが、自分は朝鮮に渡って中国に逃げる、と。その手紙を母親が特高に見せて、何とか穏便にと頼んだのだろう。三國は佐賀県の唐津で捕まったが、咎められることもなく、静岡へ送られて、軍隊に入り、中国に渡った。
その前に会いに来た母親は、なぜか、三國を正面から見ようとはしなかった。それで、三國は、自分は母親に売られたんだな、と思うのである。
幸い、生きて還って来た三國は、母親を責めることもなく一緒に暮らしたりしたが、亡くなった時、母親の亡骸の入った柩を抱いたら、背筋を冷たいものが走った。
それで、ああ自分は、自分を国に売った母親を許していなかったんだな、と思ったという。「息子を売らざるをえなかった母親と、母親に息子を売らせた国」。講演でこの話をすると、とくに母親の多い会場ではシーンとなる。〉
こうした悲劇を防ぐためにも、九条を含む憲法を変えさせてはならない。
あの、ゴーカン発言の西村真悟をはじめ、小林よしのり、石原慎太郎など、改憲論者には女性蔑視論者が多いが、彼らや、曽野綾子、櫻井よしこなどのエセ日本論者を粉砕するために、この本はつくられた。坂東眞砂子著『道祖土家の猿嫁』(講談社)に“民権お蔦”と呼ばれた女性が「民主主義はアメリカの発明じゃない」と言う場面があるが、平和思想もアメリカの押しつけではないのである。
2004年3月3日