目次
凡例
ペーパーバック版前書き
初版前書き
プロローグ 客観性の衝撃
第1章 眼の認識論
盲目的視覚
集合的経験主義
客観性は新しい
科学的自己の歴史
認識的徳
本書の議論
普段着姿の客観性
第2章 本性への忠誠
客観性以前
自然の可変性を飼いならす
観察のなかの理念
四眼の視覚
自然を写生する
客観性以降の本性への忠誠
第3章 機械的客観性
曇りなく見る
科学および芸術としての写真
自動的図像と盲目的視覚
線画と写真の対立
自己監視
客観性の倫理
第4章 科学的自己
なぜ客観性なのか
科学者の主観(主体)
科学者のなかのカント
科学者のペルソナ
観察と注意
知る者と知識
第5章 構造的客観性
図像のない客観性
心の客観的科学
実在的なもの、客観的なもの、伝達可能なもの
主観性の色
神ですら言えないこと
中立的な言語の夢
宇宙規模の共同体
第6章 訓練された判断
機械的複製の不安
客観性のために正確性を犠牲にすべきではない
判断のアート
実践と科学的自己
第7章 表象から提示へ
見ることは存在すること――真理・客観性・判断
見ることはつくること――ナノファクチュア
正しい描写
謝辞
訳者あとがき
注
索引
前書きなど
その人物は、千分の一秒の強烈なフラッシュで実験室を照らした。液滴が衝突するすべての段階を凝視し、網膜に焼きついた像を利用して、一連の「歴史的(ヒストリカル)」な図像を一コマずつ、千分の数秒間隔で作り出した(図0-1)。一八七五年以降、英国の物理学者アーサー・ウォージントンは、液体の流れの複雑なプロセスを体系的で視覚的な分類へと少しずつ解きほぐし、鍵となる瞬間を並べることに成功した。あるときには液滴によって跳ね上げられた縁(ふち)が、閉じて泡をかたちづくった。別の状況では、跳ね返った波が空中高くに液体を打ち出すように見えた。肋骨と腕[のような線状の構造]、泡と噴出――ウォージントンの液滴の図像集から、このあと一世紀以上続くことになる流体力学の一分野がはじまった。ウォージントン自身が何度も繰り返し述べているように、彼にとってこの主題は、つねに完璧な対称性の美によって特徴づけられる物理システムであった。
完全な対称性にこそ意味があった。個々の不完全な飛沫が偶然生み出した特異性など、スパークが闇に消えたあとにウォージントンの眼に残った潜像によってとらえることができたとしても、どうして求める必要があろうか。ウォージントンは彼以前の多くの解剖学者、結晶学者、植物学者、顕微鏡学者と同じように、世界をタイプと規則性において――無秩序に積み重なった特殊性においてではなく――とらえようとしていた。彼は何千回も、水銀やミルクの小滴をあるときは液体のなかへ、またあるときは硬い面の上へと飛散させた。電気スパークの明るいフラッシュの直後に手書きされたスケッチにおいて、彼は束の間の自然の形態学を表現していた。図像の分類による単純化、主要な結果の説明――それまで実験の網をすり抜けてきた一種の流体の流れから、ついに科学が出現したのである。
長年にわたってウォージントンは、フラッシュによって網膜に残された像に頼っていた。そして一八九四年の春、彼はついに液滴の飛沫を写真によって静止させることに成功した。対称性は木端微塵になった。「誰もが口にするであろう最初のコメントは、これらの写真は多くの細部で線画(ドローイング)を裏付けるものの、線画から期待されていたよりも大きな不規則性を示しているということである」とウォージントンは述べている。だが対称的な線画と不規則なシャドウグラフとが一致しないならば、どちらかが間違っているはずだ。ウォージントンがロンドンの……
[「プロローグ 客観性の衝撃」冒頭より/注は省略]