目次
凡 例
序
第1章 背景としてのアリストテレス主義
1 アリストテレス主義的学問論
2 ルネサンスとアリストテレス主義
第2章 ツィマラとアラビア・中世数学論の伝統
1 数学的事物をめぐって
2 数学的論証論とイブン=ルシュドの遺産
第3章 ピッコローミニと数学的事物の理論
1 数学的事物の分析
2 量の不定性をめぐって
3 数学的諸学の意義と位置づけをめぐって
第4章 ピッコローミニの数学的論証論
1 ピッコローミニの問題提起
2 数学的論証は最強論証か
3 ピッコローミニに先駆者はいたか
第5章 バロッツィと数学的諸学の精神的意義
1 数学的諸学の中間性論
2 学問分類論と霊魂の上昇説
3 数学的論証の学問性
第6章 イエズス会哲学者たち
1 数学者たちによる数学擁護
2 ペレリウス
3 フォンセカ
4 トレトゥスとコインブラ注釈
結
あとがき
注
参考文献
索 引
前書きなど
学問や認識とは何だろうか。あるいは、科学的思考、およびその根源にある合理的思考とは何だろうか。この問題は、哲学や科学における根本問題のひとつであろう。現代のわれわれであれば、近代の自然科学を学問や合理的思考のモデルと考えるかもしれない。こうした考え方は、ガリレオやニュートンが活躍した一七世紀の科学や哲学を合理的思考の範とする考え方である。たしかに今日では、自然科学の研究、およびそれと密接に結びついた高度な技術が、地球規模に広がっている。だがそれは、現代の人間社会のあり方を支えると同時に、数々の深刻な問題と深く関わっている。工業化に伴う環境問題や資源問題、バイオテクノロジーと生命倫理の問題、軍事技術の問題等が、そういった問題の代表的なものである。科学的思考とは何か、その射程と限界とは何か、それは唯一の合理的思考なのか。こうした問いは、現代において常に問われ、吟味されるべきことがらではないだろうか。
このような問題は巨大な問題であり、本書でも真正面から取り組むことはできない。ここでは代わりに、学問の性質をめぐる思索の歴史を、ほんの限られた観点から掘り起こすことが企図されている。ヨーロッパのルネサンスにおいても、当時の知的状況に固有の仕方で、知の根拠や意義を問う議論が活発に行われていた。一七世紀以降に発達する、近代科学の合理性とはかなり異なっていたかもしれないが、既成の知に対する当時の批判的吟味の姿勢は、現代でも再認識する価値があるのではないか――こうした考えから本書は書かれている。
ルネサンスにおける、学問の根拠や射程をめぐる批判的検討は、いくつもの違った仕方でなされていた。例えば、学問をめぐる考察の重要な潮流に、復興された懐疑主義があった。すでに数多くの研究が示しているように、宗教……
[「序」冒頭より]