目次
1 ジェシカ
2 不在現場
3 カッターを突きつけられた母子
4 ル・カスポ
5 隅っこのパパ
6 「一縷の望み」
7 言葉なき子供時代
8 誘拐致死
9 判事の前の二人の少女
10 特別な一日
11 「傾斜屋根のある」家
12 近親者と歩み寄る者たち
13 デッサン
14 三面記事事件の誕生
15 里親家庭
16 泥濘の中で
17 パトロン氏
18 「性犯罪の多重累犯者」
19 「私はあなたの奥さんじゃない」
20 パトロン=サルコジ枢軸
21 マシュクール高校
22 人間としての犯罪者
23 大西洋沿岸地域
24 トルー・ブルー池
25 レティシアの肖像
26 「制裁」と「過失」
27 フェイスブック上のレティシア
28 犯罪ポピュリズム
29 美しい夏
30 フロンド
31 「たいようがたのしかた」
32 生きている顔
33 陰鬱なレティシア
34 「釣りはうまくいったかい?」
35 年越しパーティー
36 鑑定員の時代
37 遺書
38 のこぎりを持った男
39 最後の日々
40 その後の生活
41 一月十八日午前
42 ブリオール池
43 一月十八日午後
44 葬儀
45 一月十八日晩
46 取り引きの終わり
47 「あの子はおれに「やめて」と言った」
48 「書類」と「売女」
49 原初的な欠落
50 女性殺し
51 夜中の沈黙
52 不正の領分
53 翌日
54 三面記事事件、民主的事件
55 正義
56 レティシアは私だ
57 レティシアの時代
訳者あとがき
訳注
主要参考文献
地図
前書きなど
レティシア・ペレは二〇一一年一月十八日から十九日にかけての夜に誘拐された。彼女はロワール=アトランティック県のポルニックに住む十八歳のウェイトレスだった。双子の姉とともに里親家庭に預けられ、ごく平凡な生活を送っていた。殺害犯は二日後に逮捕されたが、レティシアの遺体が発見されるまでにはなお数週間を要した。
事件はフランス全土に激しい動揺を与えた。共和国大統領ニコラ・サルコジは、この殺害犯に対する司法の追跡調査のあり方を批判し、判事たちの責任を問い、彼らの「過失」に対する「制裁」を約束した。大統領の発言は、司法史上かつてない大規模なストライキを引き起こした。二〇一一年八月には――事件中の事件として――里親の男性がレティシアの姉に対する性的暴行の容疑で取り調べを受けた。今日なお、レティシア自身が、里親あるいは殺害犯によって強姦されたか否かは定かでない。
この三面記事事件はあらゆる点で例外的である――与えた衝撃、メディアと政治における反響、遺体発見のために用いられた大規模な手段、十二週間にわたって続けられた捜査、共和国大統領の介入、司法官によるストライキ。もはや単なる事件ではなく、国家的事件だった。
しかし、レティシアについてわれわれは何を知っているだろうか――人目を引く三面記事事件の被害者だったことを除いて。何百もの記事やルポルタージュが彼女について語ったが、それはただ失踪の夜と裁判について語るためだった。ウィキペディアに彼女の名前が登場するのは、殺害犯のページの「レティシア・ペレ殺害事件」という項目においてである。彼女は自分の殺害犯を心ならずも有名にし、自分はその……
[本書冒頭より/注は省略]