目次
凡 例
プロローグ
新制と旧制
ヨーロッパ・モデルとアメリカ・モデル
学制改革論議
戦間期から戦時期へ
教育刷新委員会
新制大学の誕生
本書の狙いと構成
「三八答申」
第I部 模索と選択
第1章 未完の大学改革
1 情報と認識のギャップ
戦後の学制改革
不十分な相互理解
日米の認識ギャップ
アメリカ側の日本理解
2 専門学校の存在
専門学校から大学へ
多様化と画一化
残された改革課題
第2章 設置認可と適格判定
1 設置認可基準の問題
大学の設置認可
二つの基準の関係
2 設置認可の現実
時間の問題
負の遺産
二元的システム導入の経緯
設置基準と大学基準の間
設置基準の最高基準化
新制大学の現実
単一の基準
第3章 新制度への移行と短期高等教育問題
1 日米の短期高等教育論
問題の発端
技能専門学校案
トレーナーの述懐
日本側の短期高等教育論議
2 教育刷新委員会と移行問題
教刷委の建議と学校教育法
旧制高等学校と専門学校
曖昧な決定
新学制への移行問題
天野と南原
専攻科と前期課程
3 三年制大学論の登場と挫折
三年制大学という現実論
二年制大学論
女子専門学校救済策
修正案の決定
三年制大学構想の挫折
4 暫定措置としての短期大学
二年制論の再登場
暫定措置という選択
短期大学の発足
短期大学設置基準
設置認可の過程
トレーナーの評価
第4章 大学の管理運営問題
1 大学と国家の関係
第三の課題
私立大学と私立学校法
国立大学地方移譲論
教育刷新委員会の反対決議
2 大学の内部管理運営組織
私立大学と私立学校法
国立大学の自治慣行
ボード・オブ・トラスティーズ
第十特別委員会での審議
「商議会」をめぐる議論
大学基準協会案の挫折
3 教育刷新委員会案とCIE案
「大学の自由及び自治の確立について」
GHQ案の提示
「大学法試案要綱」
GHQの管理運営機構案
文部省の論点整理
4 教育刷新委員会の決議と法案の挫折
教刷委の決議
「試案要綱」との違い
大学法案の挫折
5 管理法案の国会上程と挫折
管理運営問題その後
管理法案の上程
具体的な内容
日本側の反応
アメリカ側の反応
管理法案の挫折
暫定的な措置
第5章 大学院像の模索
1 教育刷新委員会案と大学基準協会案
大学院問題
アメリカの大学院
日本の大学院
学位制度との関係
帝国大学の独立大学院論
教刷委案と基準協会案
研究大学院と職業大学院
2 大学院基準の制定と改訂
教育刷新審議会の敗北
重要な修正
昭和三〇年の改訂
論文博士制度
職業大学院問題
3 職業大学院と学部教育
大学及び大学院問題研究委員会
法学教育の問題
商・工・農の場合
独自の道
第6章 学部教育の課程編成問題
1 戦前から戦後へ
統一性への執着
戦前期の教育課程
学制改革論議
米国教育使節団の批判
基準設定協議会の役割
2 大学基準協会と一般教育課程
審議の開始
教育課程の編成基準
務台理作の回顧談
編成の標準化・画一化
3 専門教育と専門学部制
専門学部制という制約
大学基準の別表
分科教育基準と関係学部設置要項
専門的職業人の養成構想
医学・歯学教育
表面化した矛盾
4 単位制度の導入
日本的単位制度
新しい単位制度の導入
教育・学習観の違い
講義・演習・実験実習
一対二対三
第7章 国立セクターの再編統合
1 地方移譲と移行問題
国立セクターの再編成
地方委譲問題
移行と再編統合
2 二つの十一原則
CIEの十一原則
学芸学部と文理学部
教員養成と教養教育
日本側の十一原則
国立大学の諸類型
講座制と学科目制
「適当な制度」
第II部 反省と批判
第1章 改革主体による評価
1 三つのレビュー
拙速な出発
三つの文書
2 教育刷新審議会の評価
教刷審の報告書
三つの課題
「大学の自由」と政治教育
3 文部省の評価
行政当局の立場から
元学校教育局長の述懐
4 教育使節団とCIE
第二次教育使節団のコメント
トレーナーの回顧
CIEの改善勧告
理想と現実のギャップ
第2章 大学人たちの評価
1 大学基準協会の見解
『新制大学の諸問題』
大学人たちの声
2 奥井復太郎の新制大学論
訪米の機会
奥井の現状認識
カレッジとファカルティ
一般教育と専門教育
大学像の日米間ギャップ
3 三学長の見解
矢内原忠雄の新制大学論
再改革より改善・改良を
高橋里美の新制大学論
大泉孝の新制大学論
画一性打破と多様化促進
第3章 一般教育という問題
1 一般教育の問題化
基準協会と一般教育
研究委員会の発足まで
IFELの役割
ハンドブックの作成
構造的な問題
2 一般教育と年限延長論
玉蟲文一の一般教育論
一般教育と専門教育
外国語教育と基礎教育
五年制大学論
京大工学部の実験
3 単位制への疑問
単位制の問題
新単位制度の合理性
画一的な制度運用
第4章 昭和三〇年代のレビュー
1 座談会の記録
昭和三三年のレビュー
年限と教育課程について
大学院の性格について
大学の自治について
基準協会への期待
大学人の反省と自己批判
2 「大学制度の再検討」
民主教育協会と検討委員会
大学の性格・種類について
大学の自治と管理
一般教育の課題
専門教育と一般教育
課程編成の硬直化批判
第5章 経済界の批判と要望
1 日経連の批判と要望
経済界の新教育批判
新旧卒業生の比較
日経連の改革要求
2 科学技術教育の改革要求
人材養成への焦点化
科学技術教育の振興
日経連理事の意見
「もはや戦後ではない」
3 高等教育システムの構造と機能
システムの現実
短期大学
大 学
大学院
進学状況
受験競争の激化
第III部 修正と改革
第1章 新制大学制度の再検討
1 政令改正諮問委員会の答申
動き出した改革論議
昭和二四年から二五年へ
政令改正諮問委員会の設置
「教育改革に関する答申」
「専修大学」構想の登場
国立大学再編論
戦後改革への配慮
2 教育界の反応
異例のアンケート調査
大学界の空気
文部省の見解
3 中央教育審議会の設置
教刷審から中教審へ
中教審と高等教育問題
大学自治と管理運営問題
大学管理法案の準備
4 占領期改革の見直し
包括的な諮問
医学・歯学教育問題
受験競争と学制改革
「専科大学」という緩和策
第2章 短期高等教育制度の模索
1 職業教育と短期高等教育
短期の職業教育機関
経済界の要請
短大制度の恒久化論
短大関係者の要望
2 中教審への諮問と答申
諮問理由の説明
「短期大学制度の改善について」答申
3 「科学技術教育の振興方策について」答申
中教審への諮問と答申
短期大学と科学技術教育
対立する意見
4 「専科大学法案」の提出
法案の提出
三度の廃案
第3章 科学技術教育振興と大学改革
1 科学技術教育の振興政策
経済界の学制改革論
「科学技術教育の振興方策について」答申と大学
質の向上を
「大学教育の改善について」諮問
激動の昭和三五年
2 科学技術教育振興と二つの答申
科学技術会議の答申
妥当な内容
経済審議会の答申
3 高等専門学校制度の創設と理工系拡充
高専制度の創設
理工系拡充の大合唱
「池正勧告」とマス化
第4章 政治の季節と管理運営問題
1 大学管理運営問題の再燃
政治の季節再び
国大協の中間報告案
教授会側からの批判
日本学術会議の勧告
政治化する問題
改善協議会の報告
「答申原案」批判
2 国立大学協会の抵抗
国大協の「中間報告」
国大協案の概要
大学運営協議会の提唱
3 中央教育審議会の管理運営答申
中教審主査の談話
中教審の答申概要
法案の提出と挫折
第5章 「大学教育の改善について」答申
1 大学の種別化構想
中教審の「三八答申」
「大学の目的・性格について」
問題点と改善点
五つの種別
2 教育の内容と方法
種別に応じた特色化
教育内容の改善
教育方法の改善
3 大学の組織編成について
大学の組織編成
学部・学科の再編
組織の再編
国立大学への焦点化
4 大学の規模・設置・配置について
高等教育の規模
高等教育機関の配置
設置計画と設置基準
設置認可行政の強化
5 厚生補導と入学者選抜
「学生の厚生補導について」
三つの提言
入試問題・昭和二九年の答申
選抜制度の現状と問題点
技術的な改善案
第6章 答申の評価と成果
1 文部省の新制大学観
冷ややかな反応
高等教育白書
新制大学批判と文部省の反論
中教審答申への期待
2 種別化と多様化
種別化とは
「大学院大学」と「大学」
教育課程編成の見直し
基準協会の「類型」化論
日本学術会議の反対意見
設置基準と文部省
戦後改革理念の否定か
3 「三八答申」の残したもの
忘れられた三八答申
政治学者ペンペルの指摘
設置基準省令化
大学基準等研究協議会の答申
日教組の反対意見
国大協の意見書
大学基準協会の意見書
設置基準の政策的運用
「マス」化への道
短期高等教育問題の決着
職業大学院問題
修士課程の職業教育化
第7章 国立大学システムの再編成
1 一般教育組織の構築
国立大学の組織編成
一般教育の組織問題
教養部の設置と格差問題
2 学芸学部と文理学部の再編
学芸学部と文理学部
学芸学部から教育学部へ
曖昧な文理学部
整備改善の方向
専門学部への移行
3 大学院大学の種別化
旧帝大の大学院大学化論
総合・複合・単科
講座制と学科目制
国立セクターの序列構造
エピローグ
漠然とした不安
「三八答申」の意義
アメリカ・モデルの相対化
遺産の継承
画一性と格差構造
新たな諮問と「四六答申」
エリートからマスへ
アメリカ・モデル再び
あとがき
引用文献
図表一覧
答申一覧
索 引
前書きなど
昭和二二年(一九四七)に公布された学校教育法に基づいて、新しい大学制度が発足してから七〇年余になる。発足当時、旧制度の大学との対比で使われてきた「新制大学」という呼称は今では死語に近い。昭和四四年の『広辞苑』第二版になかった「新制大学」の語が第三版で採録されたのは、昭和五八年である。この頃にはすでに、歴史的な用語とみなされるようになっていたことがわかる。本書で取り上げるのは、その「新制大学」がまだ生きた言葉として、社会的に広く使用されていた時代の物語である。その時代の終わりを、ここでは昭和三〇年代の末に求め、昭和三八年に出された中央教育審議会の「大学教育の改善について」答申、いわゆる「三八答申」を、新制大学の時代の終わりを告げる象徴的な出来事としたい。その理由は追々見ていくこととして、「旧制」「新制」という対比の意味についてまず、簡単に説明しておく必要があるだろう。
新制と旧制
昭和二二年(一九四七)の学校教育法の公布は、一四〇年余のわが国の近代高等教育の歴史のなかで最大の転換……
[「プロローグ」冒頭より]