目次
はじめに/1
1 いま、共和制を考える堀内 哲/5
(1)共和制は時期尚早か?――国際比較で「日本人未熟論」を検証する/5
(2)いま、共和制を論議すると「改憲派」に「追い風」が吹くのか?/23
2 〝抑止力〟としての天皇制
――日本において〝共和制〟を構想するとはどういうことか?杉村昌昭/45
3 裂け目は閉じられたのか?
――素人による「憲法の歩き方」平井 玄/53
4 「憲法」の「天皇」条項とどう向き合うか
――さしあたり問題を整理することから池田浩士/66
5 共和制の可能性
――憲法草案を試作する堀内哲/協力岡嵜啓子/96
6 資料 憲法草案比較
(1)堀内試案と(2)日本国憲法(現行憲法)との比較/134
(3)1946年共産党憲法草案/180
(4)自民党改憲案/193
追記「共和制=国民国家の再編」批判について堀内 哲/216
前書きなど
率直に言って、私は、現行憲法を「守る」運動に、もう意義を見いだせなくなっている。
野球でいえば、10点差開いて9回裏の攻撃を迎えた状態。相撲なら千秋楽を前に負け越し決定。残りは「消化試合」をアリバイ的に淡々とこなすだけ。
しかし「共和制」が、改憲反対運動を超えた地平線で論議が始まったことを見ると、いままで見向きもしなかった「共和制」について考えることで、憲法と日本社会について、別の可能性を見えてくるのではないか?
結果はともかく、今まで試みなかった、思い切った攻撃や走塁を仕掛けてみる。落とし所を9条に持っていく「八百長論議」をやめ、腹蔵なく「ガチンコ」で討論してみよう。負け試合を「次に生かす」ことも大切だ。
「ダサい護憲」「キケンな改憲」両者に支持が集まっていない状況をうまく生かして、第3の選択肢である「共和制=天皇制廃止」論議を積み重ねていく。
そうすれば、一時的に改憲が強行されても大した影響はない。長い目で見れば共和制につながるので、改憲反対運動が負けても気にすることはないじゃないか、と私は思いはじめている。
こんな考えもあり、池田浩士さん、杉村昌昭さん、平井玄さん、そして岡嵜啓子さんの協力を得、さらに踏み込んで、日本における共和制の可能性について考察を試みた。
9条を1条に。
護憲から共和制へ。
改憲を恐れない。「共和制」の「始まり」に変えていくダイナミズム。
本書が開かれた共和制論議の「たたき台」となれば幸甚である。