目次
前書き
序章 神々の山 Prologue
Ⅱ カトマンドゥ郊外 The Outskirts of Kathmandu
Ⅲ ナムチェ・バザール Namche Bazar
Ⅳ ターメ、ターモ Thame,Thamo
Ⅴ タンボチェ Tengboche
_ エベレスト Mt.Everest
あとがき
前書きなど
遥かなヒマラヤの白い山を、この目で見たい。ヒマラヤン・ブルーの空に浮かぶ世界最高峰のエベレストを、超大型カメラ8×10で撮影したい——それは僕の長年の夢だった。
ヒマラヤは僕にとってエベレストであり、ネパールはエベレストを中心にして、その山裾に広がる国という印象を持っている。カトマンドゥから上に向かい、そこで出会う人々や生活を目に入れながら、エベレストに近づく旅。車や飛行機のない時代に、日本人が江戸や京都から富士山を目指して、街道を旅するのと似ているのではないかと思う。
四十才になる頃、多少の資金もたまったので、まず偵察にとエベレストを望むカラパタールへと出かけてみた。初めてのネパールは予想以上の興味を僕に与えてくれた。
ジャトマンドゥ盆地に広がる中世の町並みや寺院群、現在もそこで暮らす人々。彼らは貧しいけれど明るく、人なつこく、エネルギッシュに生きていた。
パタンの旧王宮、中世の香りを色濃く残す王家の沐浴場を訪れた時、僕は不思議な感動に包まれた。多くの神様の像に周囲を囲まれ、強い日ざしの中で中庭にひとり身を置き、強烈な光と濃い影のコントラストを見つめていると、一瞬、目眩のような不思議な感覚を味わった。まるで時代を遡り中世にタイム・スリップしたかのようだ。
このネパールという国は、山を撮るだけではとても全てを捉えられない。カトマンドゥからエベレスト街道の奥深くまで、そこで出会う全てを撮ろうと考えた。大自然の白いヒマラヤ襞や黒々とした岩壁、町や村に暮らす人達の生の営みや信仰の証、路上の石までも委細漏らさず8×10の大型フィルムに閉じこめ写しこもうと思いついた。
ネパール・ヒマラヤをどう撮るか結論は出たものの、実際カトマンドゥやヒマラヤの高地で、本格的に8×10の撮影をした記録や前例もなく試行錯誤・テストの連続だった。
まずは強風の問題。これは台風の時にビルの屋上にテントを張り、カメラをテント内に入れてテストをしてみた。次は輸送。8×10のボディー2台、レンズそしてフィルム60kg、カラパタールに行った時は出国時400kg、下のカトマンドゥの撮影の時も300kgを超えていた。これをカラ・パタールの5,540mまでいかに安全に運ぶか。飛行機に乗る時はいつも荷物の大きさや重さ、X線をかけるかけないでもめ、3回目の撮影の時は香港の空港でもめている間に出発時間が迫り、乗るはずの飛行機が飛んでいってしまい、4回目の時はカトマンドゥの空港に着いたとたん、フィルムを全て没収されてしまった(この時はTaxを払って返してもらえた)。また乾燥した埃の多いところでのフィルムチェンジはうまくいくか、何より費用が足りるのか、エクセス(飛行機の荷重料金)はどの程度になるか等々、問題山積みで最後は出たとこ勝負だという気になっていた。7月8月炎天下のジョギングで体力をつけ、出発の時は部屋の中は荷物が山積み、外の廊下や階段の踊り場にまで荷物が溢れていた。
こうして、ほぼ足かけ7年にわたる、僕の興奮と感動のネパールへの長い旅が始まった。