紹介
チベットやインドとの商業・流通の拠点として栄えた中国・雲南省、麗江。1940年代の雲南には多くの少数民族が集まり、小さな王国も多数あった。そこには独自の習慣、風習、儀礼、音楽、生活があった。ロシア生まれの旅行家・探検家・著作家、ピーター・グゥラートによる中国・雲南省、納西族の地、麗江での滞在記が本書である。「辺境の暗黒地帯」とまで言われていた雲南省、麗江に自ら望んで赴任。その地にとけこみながら過ごした10年にわたる滞在記。著者がそれまで経験したことのないさまざまな文化に出会うが、決して、観察者としてではなく、そこに暮らす住人として、人々と交流しその様子を記録した文章を、訳者ならではの生き生きとした日本語で描き出した。当時の様子を記録した写真や、文中に登場する人物の写真も収載。当時の複雑な文化的、政治的背景や民族の事情などの詳細な注も付した。
目次
はじめに
第一章「麗江に到るキャラヴァン旅行」
大馬街での一夜/剣川と民家族/アクーニャの家での晩餐/崩廟
第二章「麗江」
麗江での住居/お化けやしき/町への道/大通り/通貨/麗江の王族/紳士的な豚/納西族の警戒心/友情/楊氏の死
第三章「麗江の市場と酒場」
高級酒場/マダム李/酒場での縁/マダム楊の酒場/阿托里人/お転婆娘達/麗江のナイト・ライフ/マダム和の酒場/呂喜族/呂喜族の美女
第四章「さらなる前進」
納西族の性格/納西族の農家訪問/茸についての講釈
第五章「協同組合のスタート」
協同組合設置基準/金融上の問題/良好な結果と成功の承認/監視の必要性
第六章「医療」
患者の殺到/甲状腺腫と癩病/病に冒された地上楽園/他の病気と、それに対する治療
第七章「納西族」
納西族の女商人/仕合せな社会/神学論争/納西族の信仰
第八章「チベット(蔵)族」
キャラヴァン大作戦/カムとその住民康巴/盗賊跳梁地帯/東旺の色男/東旺の経済システム/陽気なラマ/郷城の女公爵/ラサ王宮の侍従/正真の王宮晩餐会/小公子の死/ネーマの使命/女王陛下の御来臨/男前の兵士の提案
第九章「崩族、ロロ族と民家族」
原始的部族の客人達、去り行く者達と脚光を浴びて登場してくる部族/気高いロロ族/白ロロ族/生きた中世社会/ロロ族の家畜と農産品/阿片密売人/ロロ族の患者/民家族の職人芸/民家版『椿姫』
第十章「ラマ教寺院」
神々の御座/ラマ教寺院での週末/素晴らしい儀式/新たに得度したラマ達/東巴儀礼/道教
第十一章「天邪鬼」(あまんじゃく)
精霊との交信/お告げ/呪いが丘
第十二章「自殺および『東巴』儀礼」
納西族の結婚制度/心中の約束/海拉里克の儀礼/死者の参詣/不幸な結婚の悲劇
第十三章「婚礼さまざま」
婚礼のお祝い/田舎の結婚式/婚礼のダンス/山間部の納西族の結婚/黒リス族の女男爵
第十四章「麗江のお祭り」
子宝祭り/御先祖崇拝/打ち上げ風船/火把節
第十五章「納西族の音楽・芸術と余暇」
名将にして、かつ音楽家/黄金の旋律/麗江における時と美の観念
第十六章「協同組合事業の進展」
鉄鋼採掘組合への旅/黒白水の呼び声/臆病者の苗族/上納則への登頂/活気に満ちた若手の靴職人達
第十七章「鶴慶の馬賊」
侵略の脅し/抗戦体勢確立/勝利/謎の改革者達
第十八章「麗江最後の日々」
豊穣祭/解放/様変りした麗江/出立のための準備/雪山の怒り
解題
前書きなど
本書と訳者との出会いは、今から半世紀あまりも前に遡る。一九五九年、カナダ政府国費留学生として戦後の日本から初めて国外に出た訳者は、専攻のフランス語・文学の関係もあって、カナダ東部フランス語地区のケベック市、ラヴァル大学院博士課程に在学中だった。そして同年のクリスマスを、これも当時ニューヨークのコロンビア大学に留学していた兄と一緒に過ごすべく、これまた戦前に同じコロンビア大学の教育学部(ティチャーズ・カレッジ)で学んだ父の友人で、同大学教授のM・W教授の、セントラル・パークを見降ろすモーニングサイド・ドライブ一〇六番地の高級アパートに十日余り、休暇中泊めてもらうというアレンジで、雪深いケベックから北米第一の都会ニューヨークに、グレイハウンド・バスに揺られて南下して行ったのである。
当時は、なにしろ無謀な太平洋戦争が終わってまだ十数年しか経っておらず、為替レートが一ドル=三六〇円(闇レートでは四〇〇円!)だった頃である。いわゆる「朝鮮戦争」(一九五〇〜五一)が起り米軍の軍需工場化した日本が、それをキッカケに経済的復興の緒につこうとしていたとはいえ、東京は大戦中の空爆で丸焼けの傷跡がまだいろいろな形で残っていた。それに比べると、北米第一の都会ニューヨークの繁栄振りは、まことに対照的だった。一九五九〜六〇年シーズンのメトロポリタン・オペラで観た、R・シュトラウスの『バラの騎士』(リーザ・デラ・カーザ、クリスタ・ルードヴィッヒ、E・ラインズドルフ指揮)は素晴らしかったのを今でも思い出す。
そんな年末のある日、通りを散歩していて、ケベックほどではないが、ニューヨークの街路を吹き抜ける風もけっこう冷たく、コロンビア大学の近くにある公共図書館に避難したら、その「極東・旅行記」と分類された開架閲覧の棚に、ルース・ベネディクトの『菊と刀』などと並んで、グゥラートの本書を見つけたのである。(ロンドンでの初版発行が一九五七年だから、それから僅か二年ぐらいしか経っていない。ずいぶん早く街の図書館が入れたものだ!)ただその時はまったく予備知識がなかったから、『忘れ去られた王国』なんて、なにかゴビ砂漠あたりに埋れていた古都の発掘記かと思ったぐらいで、手に取って最初の数ページをめくってみて初めて、白系ロシア人で中国へ行った人物の滞在記だと知れた。「面白そうだな」とは思ったが、当時は「リキアン」と書かれている「麗江」が何処にあり、「ナキ」という人達がどういう民族なのかも皆目見当がつかなかった。(このアルファベットで音写されている固有名詞が、いったい漢字のどれに当たるのかが知れないと、たとえ大まかな場所は「クンミン」(昆明)とか「チョンチン」(重慶)とか好く知れた名前で、だいたい中国南西地方は雲南省辺りの話だなと見当はついても、本書の具体的な情況は、正確にはつかめない。)それにニューヨーク滞在も日が限られていた上、タイムズスクエアのミュージカルや、カーネギーホールのコンサート、演劇も映画も、観るもの・やることはいくらもあったから、図書館に寄ったのはその後一・二度で、本書もマダム・李の酒場から、吾漢との付き合い、協同組合の設立(第五章)あたりまで行っただけで終わりになってしまった。
その後、カナダの後はフランス、イタリアに留学して専攻のヨーロッパ・ルネッサンスの研究。帰国してからは定職となる大学に三十年ほども勤めたり、その間にもカナダやイタリアの学校で教えたり、大学を定年で辞めてからまたローマで文化交流の仕事をしたり、いろいろやらされて時間が経ってしまった。その間の二〇〇八年、最後に行政を押しつけられた学校の同僚で、僕と気の合ったO先生に「面白いから、来ませんか?」と誘われた、僕の専門とはまったく関係のない学問領域「オーガニゼーション・リサーチ」(OR)という分野の国際学会「ISORA」の年次総会があった。聞けば中国南西部の「リージャン」という町で開かれるという。帰宅して、多少とも中国をかじっている娘に「いったいどんな処?」と聞いたら、さっそくインターネットで検索してくれて「雲南省の、それも国境に近い麗江という古都で、とても綺麗な場所。行くべし」という。そこで自費での参加を申し込むことにした。この時もまだ、迂闊にも「麗江=リージャン」が、グゥラートの「リキアン」と同じだということには気が付かなかった。……