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原爆をまなざす人びと―広島平和記念公園八月六日のビジュアル・エスノグラフィ

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詳しい情報
読み: ゲンバク オ マナザス ヒトビト : ヒロシマ ヘイワ キネン コウエン 8ガツ 6ニチ ノ ビジュアル エスノグラフィ
出版社: 新曜社
単行本(ソフトカバー): 304 ページ
ISBN-10: 4788515857  ISBN-13: 9784788515857  [この本のウィジェットを作る]
NDC(9) : 319.8

紹介

本と映像のコラボレーション!
 毎年八月六日、広島原爆忌式典の行事とは別に、その場所には遺族や関係者だけでなく、平和を訴える人びと、歌を歌う人、原爆慰霊碑に手を合わせに来る親子連れや若者たちなど、無数の人が、それぞれのやり方で、それぞれの思いで、原爆と向き合っています。本書は、ほとんど伝えられることのないその驚きに満ちた多彩な光景の全体像を、映像を駆使したビジュアル・エスノグラフィという新しい手法をもちいて捉えました。新曜社のウェブサイトで、制作された六つの映像作品を視聴でき、本と映像のコラボレーションも本書のユニークな特徴です。ビジュアル・エスノグラフィの方法についても具体的に解説されているので、まだ新しいこの方法へのよき案内書ともなっています。

目次

原爆をまなざす人びと 目次

  はしがき――今日の原爆爆心地で
  映像作品について

第Ⅰ部 課題と方法

第一章 〈原爆をまなざす人びと〉をまなざす
  一 惨禍と苦しみの意味
  二 意味の〈現在地〉――調査の背景と目的
  三 八月六日の平和記念公園――調査の対象
  四 なにをどうまなざすか――本書のねらい
  注

第二章 ビジュアル・エスノグラフィの方法
  一 〈原爆をまなざす人びと〉をまなざすために
  二 ビジュアル調査によるアプローチ
  三 ビジュアル・データが異化する八月六日の広島
  四 集合的観察によるアプローチ
  五 どのようなデータが得られたか
  注
コラム 写真家たちのひろしま
コラム 映画のなかのヒロシマ

第Ⅱ部 ビジュアル・エスノグラフィの実践

第三章 ビジュアル・フィールドワークの経験――広島を見る眼と身体
  一 調査員の経験から
  二 集合的観察の実際
  三 八月六日の平和記念公園に触れる身体へ
  四 調査を終えて
  注

第四章 平和記念公園をまなざす映画づくり
  一 ビジュアル・データをどうまとめるか
  二 社会調査から映画づくりへ
  三 八月六日のさまざまな〈時間〉を見る
  四 社会調査映画の可能性
  注
コラム 映像作品紹介『アバーブ・ザ・グラウンド』

第五章 社会調査映画『アバーブ・ザ・グラウンド』の挑戦
  一 映画界との交点
  二 『アバーブ・ザ・グラウンド』を読み解く
  三 アメリカ人の反応
  四 映画技術に関する課題
  五 調査表現としての映画
  注

第六章 調査表現としてのビデオ・インスタレーション
  一 社会調査からインスタレーションへ
  二 「レプリカ交響曲」の制作と展示
  三 八月六日の平和記念公園を再提示する
  注
コラム 映像作品紹介『シンクロニシティ――レプリカ交響曲』

第七章 〈群像〉をまなざす〈群像〉――イメージ生産の再帰性と集合的無意識
  一 イメージ生産の再帰性
  二 映像に表れるものたち――撮影者と被写体の関わり合いを通して
  三 眼に見えないものの表れ――まなざしの「ふところ」と「彼方」
  四 集合的無意識と映像――撮影したのは誰か
  注
コラム 映像作品紹介『〈群像〉をまなざす〈群像〉』

第Ⅲ部 八月六日の平和記念公園という場所155

第八章 元安橋――平和記念公園の境界
  一 爆心地に架かる橋
  二 八月六日に元安橋を渡る人びと
  三 不確かさの空間
  四 〈原爆の/現在/地〉の結合と分離
  注
コラム 映像作品紹介『午前八時十五分』

第九章 原爆ドームと原爆供養塔――平和と慰霊
  一 平和記念公園における平和と慰霊
  二 原爆ドームに集う人びと――平和を訴える
  三 原爆供養塔を訪れる人びと――身近な人の死を悼む
  四 八月六日の意味――平和と慰霊の乖離と接合
  注
コラム 映像作品紹介『原爆供養塔の朝』

第十章 深夜の原爆慰霊碑前に祈る人びと
  一 八月六日深夜の原爆慰霊碑前という時空間
  二 なにを、なぜ祈るのか――祈る人びととの対話
  三 死者へのまなざしを媒介とした対話の時空間
  四 非被爆者にとっての〈原爆という経験〉――その新たな意味と関わりの生成
  注264
コラム 映像作品紹介『深夜の原爆慰霊碑前を見る』

  あとがき
  文献
  索引
                                        装幀=新曜社デザイン室

前書きなど

原爆をまなざす人びと あとがき

 これはいったい、なんなのか。八月六日の平和記念公園で繰り広げられる光景を目の前にして、私たち共同研究メンバーの多くが抱いたのはこの単純な疑問であった。明け方の原爆供養塔で一人祈る高齢者、平和記念式典の会場に入りきれずモニターで式典をじっと眺める人びと、原爆慰霊碑に参拝するために暑い日差しのなかで長時間待つ人びと、原爆ドームの周辺で平和を訴える人びと、元安橋で歌う歌手、灯篭流しに訪れる親子、深夜の慰霊碑に線香を捧げる若者たち……。私たちは、この日の平和記念公園でよくわからない、うまく説明できない光景に遭遇した。

 私たちは映像撮影という手法を採用した。映像として記録し、それを繰り返し見ることによって、私たちが目の当たりにした光景を理解しようとした。だが、映像にはそれ自体に不思議な力が備わっている。編集されたものであったとしても、そこには現場の残滓が醸しだされるのだ。私たちは、八月六日の平和記念公園で直面した不思議な現象をそのまま共有したくなった。本書の記述とともに、私たちが撮影した映像を付帯させたのはそのような理由からだ。

 平和記念公園のビジュアル・エスノグラフィは目の前に見える人びとが〈見えないもの〉に向き合う姿を映し出す。すべてを映し出していないという意味で、映像は適当な調査法ではないと思われるかもしれない。しかし、社会調査が〈見えないもの〉を可視化する行為であるとするならば、〈見えないもの〉を〈見えないもの〉として可視化した私たちの調査も一つの社会調査であろう。そこには〈見えないもの〉に対する人間の想像力の豊かさが表れる。

 〈見えないもの〉は私たちの周りにもある。ずっと不思議に思っているのだが、こと、原爆のことになると、次々に思いがけない「めぐりあわせ」に遭遇し、ご縁がたぐりよせられていくのだ。奇遇というべき出会いに恵まれ、ほんの一瞬の出会いであっても深いご縁になったり、すでに出会っている人たちとも再び出会い直すような感覚に襲われたりする。まるで原爆の死者に導かれているような思いに駆られる。〈原爆へのまなざし〉は、私たち一人ひとりの生き方を映し出し、生きる意味という深い次元を問うてくるからだろうか。調査に協力してくださった〈原爆をまなざす人びと〉はもちろんのこと、私たち共同研究チームも、不思議なめぐりあわせから出会い、あるいは出会い直し、つながっていった。そして、予想以上の化学反応を生み出していったように思う。

 それは、この本の出版を引き受けてくださった新曜社の塩浦暲さんとのご縁も例外ではない。塩浦さんと編者の出会いは、いまから十三年半前にさかのぼる。科学認識や調査表現においてきわめて実験的な試みをおこなった小倉の分厚い博士論文を「こういう学問のやり方もあるのだと思った」と深く評価してくださり、「こういう本こそ、うちから出したい」と言ってくださった。残念ながらさまざまな制約のなかでそれは実現しなかったが、著者のことをこんなにも深遠なまなざしで理解してくれる編集者がいるのかと感動した。以来、いつか塩浦さんのもとで大切な本をつくりたいと思い続けていたが、ようやくそれが実現した。塩浦さんは本書の意図や意義を、言葉を尽くさずとも「あうんの呼吸」で繊細に的確に理解してくださった。このような実験的な書物が日の目を見るのも、塩浦さんのおかげである。記して感謝したい。

 そしてさいごに、調査にご協力くださった方々をはじめ、私たちにたくさんの気づきと学びを与えてくださったすべての〈原爆をまなざす人びと〉に、心からの謝意を表したい。本当にありがとうございました。

(根本雅也・小倉康嗣)
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