目次
目 次
まえがき
第I章 観察とは何か
(1)「観察」する東西2つの精神
諸法実相の枠組み
ロゴスの枠組み
ギリシア人の発見した自然
観察と記述の科学
(2)日本人による観察
観察と逸話記録
アリストテレスと清少納言
観察と写生
(3)自分の観察したことと他者が観察したこと
アリストテレス的立場における観察の普遍性
種ではなく個物を見る観察
ファーブルと熊田千佳慕
「科学的観察」と「現象的観察」
自分の観察したことが、はたして他者に伝わるのか
第II章 観察と視点
(1)観察している自分がどのように表現されているか
マッハの自画像
目に映る「自己」と「他者」の非対称性
〝個体の知覚〟と〝共同化された知覚〟
ゼミの風景をマッハ的に描く
(2)大学の学務課を文章で表現する
「学務課はどんなところか?」の問いに自己の体験で応える
自己の「具体的体験の報告」と「一般化した報告」
「地に足をつけた身体」による報告と「浮き上がった身体」による報告
(3)大学の学務課をスケッチで表現する
「地に足をつけた身体」からの見え
活動している自己を見つめるまなざし
「しだいに浮き上がる身体」からの見え
「浮き上がった身体」からの見え
(4)文章表現と絵画表現、それぞれの視点のあり方を比較する
文章表現への「空間性」の取り入れ
絵画表現への「時間性」の取り入れ
第III章 観察とその対象(モノや空間)
(1)何を観察するのか
〝見る〟ことと〝伝える〟こと
路上観察学から学ぶ
身のまわりの観察から
(2)空間の描写
― 大学までの通学路をどのように文章で表現するのか
描き出す対象の選択、主観的なコメント、論評的なコメント
目の前に展開していく知覚風景を描き出す力
体験としての通り(街)の参与観察
(3)観察の多様性、記述の多様性
観察と記述の不可能性
「私」というフィルター
「公共性」というフィルター
第IV章 コミュニケートしている人々の観察
(1)電車の中の会話の観察
幼稚園の女の子と家族
中学生の仲間関係
恋する男子高校生
(2)街の中でコミュニケーションを観察する
スターバックスの3人組
横断歩道の小学生と母
デパートの中、母娘の追跡
第V章 目の前で生成する子どもたちの遊びの観察
(1)中高生たちの幼稚園観察
参与観察というより参加体験
体験記録から観察記録へ
砂場遊びの参与観察の記録
中高生の観察文の特徴
(2)大学1年生の幼稚園観察
特定の子どもの追跡観察
子どもたちの仲間遊びの観察
大勢の子どもたちの動きの激しい場面の観察
第VI章 観察記録文(フィールドノーツ)は何を記録しているのか
(1)出来事と観察者との関係
私と院生UCさんとの観察記録のズレ
ズレの2つのタイプ ―「言及の有無」と「言及の矛盾」
(2)羅生門問題、観察記録の不完全性
「観察」の主観性
ビデオの利用によって「羅生門問題」は回避できるのか
ビデオの映像を文章化する困難
(3)フィールドに立つことの意味
観察者の身体性と観察された事象
ビデオによる観察と裸眼による観察
過去の録画ビデオの視聴と記憶の問題
第VII章 観察とエピソード記憶
(1)観察したことを想起して記録する
エピソード記憶とは何か
新しいエピソード記憶の捉え方
観察したことを記憶しておく大変さ
個性的観察としての「現象的観察」
(2)過去の体験を想起する、再構成する
タイムトラベルする自己
過去を記憶しているのか、過去を知っているのか
自分がそれを体験したのだという主観的な感覚の保持
エピソード記憶とさまざまな自己投影
自分のフィールドノーツを読む
終 章 自分のための「フィールドノーツ」から他者に向けた「文章」へ
(1)日本における「学」の土台としての「現象的観察」
(2)「現象的観察」における3つのステップ
フィールドの選択、フィールドにおける観察
フィールドノーツにどのように記録するのか
フィールドノーツを読み返し、思索し、リライトする
(3)フィールドノーツから、思考を介して、他者への表現へ
鯨岡のエピソード観察論のエッセンス
本書の観察論と鯨岡の観察論の相違点
(4)まとめ ― 過去と未来とをつなぐために
引用文献 (9)
事項索引 (3)
人名索引 (1)
前書きなど
まえがき
私たちはことばによって、自分たちの体験したことを「語り」、あるいは「書き記し」、それを他者と共有し合うことができる。そうすることによって、私たち人類は、自分1人ではとうてい手に入れることのできなかった知識や知恵を蓄え、継承できる歴史や文化を生み出してきたと言えるだろう。学問の基礎には、このような互いの見聞を交換し、それらを共有し合う活動がある。その基本構造は、「見た」ことを適切に「書く」ことであり、逆に「書かれたもの」から「見られたこと」を読み解くことである。
では、自分の「見た」ことを他者と共有するためには、どのように「書け」ばよいのだろうか。目の前で生成している世界には、無限の拡がりと多様性がある。しっかりそれを「見る」ことは、そう簡単なことではない。また、それをうまく「書き記す」ことは、さらに困難なことである。この本を通じて、そのようなフィールド観察の基本の基本を、読者の方々と一緒に考えていけたらと願っている。私としては、「観察」と「記述」をめぐる議論から、思わぬ地平が見えてきたように感じている。
この本を執筆するきっかけになったのは、2002年9月と同年12月の2回、奈良女子大学附属中等教育学校の生徒たちに対する「幼稚園観察」の実習を担当したことであった。附属中等教育学校では、中学3年生と高校1年に相当する生徒たちに、大学で行う学問とはいったいどのようなものかを体験学習してもらうことを狙いとして、大学教員の協力を得て「アカデミックガイダンス」なるプログラムを立てていた。当時附属幼稚園の園長を兼任していた私は、中等教育学校の依頼を受けて「発達心理学入門」という講義タイトルで、生徒たちの「幼稚園観察実習」を引き受けることになったのである。計5日間、それぞれ3時間の授業時間だった。生徒たちが実際に園児を観察したのは2日間である。残りの時間は、生徒たちに「園児たちについての観察から分かったこと」や、また「観察するという行為の意味」などについて、いろいろ議論してもらった。
長年大学教師をしてきたが、私は「観察」についてこのような本格的な授業をしたことは一度もなかった。初めての体験だった。改めて「観察とは何か?」と生徒たちに問うていると、その問いが自分自身に返ってきたのである。当時、私は園長としての園児との出会いや幼稚園の様子を、できるだけフィールドノートに書くことを心がけていた。その意味で、「観察」は私にとって自明で、日々のルーチンの行為に近かった。しかし、改めて「観察とは何か?」と反省すると、いつも園観察日誌(フィールドノーツ)に書くために、頭の中の記憶と格闘し続けていることなどがまず浮かんでくるのだが、それをうまくことばで、「観察論」として表現するのは思いの外難しいことだった。
中等教育学校の生徒たちに対する授業を担当していて、私の中に2つの思いが湧いてきた。まず1つ目は、「観察論」は実に奥が深いという実感である。そのような奥深い問題に関して15~16歳の生徒たちがたとえ一部でも深く考える力をもっているということは驚きだった。2つ目は、私の教えるべき相手は、中等教育学校の生徒ではなく、大学の学生たちではないかという思いであった。生徒たちと「観察」を一緒に考えているというのに、大学の学生とは一度もそのような機会をもっていないのである。大学教員だとすれば、まず大学生相手に仕事をすべきではないか、そのような思いが強くなったのである。
その思いを実現する機会は、意外に早くやってきた。2004年度から奈良女子大学文学部に大学1回生向けの「基礎演習」が新たに設けられることになったのである。「基礎演習」の目的は、入学したばかりの学生に資料調査・口頭発表・レポート発表・質疑応答などの基礎トレーニングをしようということであった。私は、「読み書き・そろばん」的なリテラシー教育、形式を重視するスキルトレーニング的な教育を大学で行おうとする当時の文学部の教育方針には反対だった。大学にふさわしいのは「知」の先端的な研究と教育を行うことだと考えていたのである。小学校や中学校で必要な「基礎・基本」教育のようなものではなく、「学問」の「基礎」(根幹)を深く考えるような「基礎演習」にしなければならないと強く思ったのである。高校を卒業してきたばかりの1回生に、「『学』とは何か?」ということを根本的に考えてもらう機会をつくること、それこそが「基礎演習」の使命である、そう考えた。テーマは何か。もちろん「観察論」である。「見る」ことは「知」の根幹に位置している。また「表現する」ことも、(あらゆる)「学」の根幹にある。「見る」ことと「表現する」こと、この両者をつないだものが「観察」である。そこでシラバスに、次のように授業の内容を書いた。
授業の概要:少人数のゼミ形式で、大学で学ぶための基礎的な能力、姿勢を身につけ、大学でいかに学んでいくかの第一歩とすることを目的とする。そのために、本演習では、あらゆる学問の基礎である「観察」をテーマとして取り上げ、「見ること、見たものを記述すること」の意味をフィールドにおける観察体験をまじえつつ深く議論する。簡単に思えることにこそ深淵がある。
「基礎演習I」(文学部全体でAからJまで10の基礎演習がある)の受講生は2004年度が17人、2005年度が26人、2006年度が21人、2007年度が16人、2008年度が11人であった。この5年間、私も学生たちと一緒に「観察とは何か?」と考え続けることになった。勇ましく、「知の根幹」「学の根幹」などと語ってはいたものの、「見る」ということも、「書く」ということも、解きがたい難問であった。演習をとってくれた学生たちは、懸命にこの課題に取り組んでくれたように思う。実は本来は大学院生向けのような授業を、1回生に対して行っていたのかも知れない。とは言え、私の主観的な印象では、少なからぬ学生たちがこの難問を正面から受け止めてくれたように感じている。それは私の思い込みもあるかも知れない。励みになったのは、ある1人の受講学生が、4回生になったとき、「1回生のとき受講した授業で一番『大学』らしい授業だった」と語ってくれたことである。この5年間の「基礎演習」を通じて、私自身ますます「観察とは何か?」をもっと明確にしなければならないという思いが強くなっていった。結局、私は自分自身が分からないことを生徒や学生たちに尋ねていたようなのである。これまで授業に参加してくれた生徒や学生たちに応える意味でも、彼女(彼)らから学ばせてもらったことを、私自身がぜひともまとめる必要がある。かくして、本書を執筆することにしたわけである。
「観察とは何か?」を考えていくに際して、新鮮なものの見方を教えてくれた人がいる。それは作家の橋本治氏である。とは言え、生身の橋本治氏に直接に教わったわけではない。橋本氏の『「わからない」という方法』(集英社新書、2001)という本を通じてのことである。この本の中で、橋本氏はなぜ自分が『男の編み物』という本を書くにいたったのか、実にていねいに説明してくれている。男性作家の書く作品として、『男の編み物』は画期的な本だった。この本を書く前に、橋本氏は、2つの深刻な悩みを抱えていたという。1つは人々の活字離れが進んでいることであった。作家として小説の市場が小さくなってきていることは悩ましいことであった。もう1つは、「桃尻娘」シリーズを書き終わり、作家として書きたいテーマがなくなっていたことである。
そこで出会ったのが、志賀直哉の有名な『城の崎にて』であった。橋本氏によると、谷崎潤一郎は『文章読本』において、この志賀直哉の文章を「実に実用的、すなわち芸術的である」と絶賛しているという。城の崎に湯治にきていた主人公が、ある朝旅館の玄関の屋根に蜂が一匹死んでいるのを見つけ、その死骸や周りの蜂の動きなどを見つつ、感じている様が簡潔に的確に表現されているのである。橋本氏は志賀直哉の写生文のすごさに感銘し、「対象をきちんと書く」ことが作家の基本であることを改めて確認するのである。
橋本氏は、決して志賀直哉の文章を面白いと感じたわけではない。実に退屈な文章だと思っているのである。よって、今の時代に、志賀直哉の文章をまねて何を描いても、そのような亜流の写生文などこれっぽっちも面白くない。そのような判断をしているのにもかかわらず、志賀直哉を高く評価し、彼は亜流ではなく現在の志賀直哉たらんとするのである。写生文が重要なのは、人に説明することが重要だからだ。橋本氏は、「語るべきことを相手の理解に届くように語る」のが作家の基本であることに気づくのである。大正6年に志賀直哉は『城の崎にて』を書いた。そこで橋本氏は20世紀後半に『男の編み物』を書いたのである。共通するのはどちらも「退屈な説明の文章」ということである。『男の編み物』は、セーターの編み方を実にていねいに、初歩の初歩から具体的に描いたことで、従来のプロの編み手による「教本」とは質的に異なるものだった。そもそもの発想がまったく違うのである。橋本治が偉いのは、セーターの編み方を表現することと、温泉宿の玄関の屋根に蜂が死んでいるのを表現することとを、共に「すぐれた写生文」として等置した点にある。
セーターの編み方を「書く」というのは、人間の活動を記述することである。これも見方によれば「観察」に他ならない。その意味で、志賀直哉も橋本治も、「観察」の専門家なのだ。私は橋本氏の本を読んで、そのことに気づき、改めて「見たことを記述する」という「観察」の奥深さを感じたのである。「観察」は、電気器具のマニュアルを書くことにも、料理のレシピを書くことにも通じていると言えるだろう。もちろん、それらの記述よりも、目の前で刻々と生成変化していく現象世界を観察し記述することの方が、はるかに困難なことは言うまでもないが。
本書の読者に想定しているのは、まずは「フィールド観察」を学ぼうとしている学生諸君、現実に「フィールド観察」を行っている研究者や、大学で「フィールド観察」についての実習を担当している教員の方々である。専門は、心理学、社会学、文化人類学、看護学、教育学、保育学など分野は問わずに、共通する議論を行っているつもりである。ただ、私の専門が発達心理学であるので、用いられた事例などには少し偏りがあるかもしれない。また、「ことば」や「表現」について深く考えようとしている人たち、また「科学論」や「エピソード記憶」に関心のある方々にも、読んでいただければ幸いと思っている。
本書の第Ⅰ章は、ギリシア・ローマの哲学にルーツを発する「科学的観察」と、志賀直哉の写生文なども含む「現象的観察」との対比が論じられている。最初少し唐突に感じられるかも知れないが、この区別は日本人の私たちにとって重要なものである。私たち日本人が「観察」と思っていることの多くは、「科学的な観察」とは言えないのである。本書はその開き直りの「観察論」ととらえることもできる。また、読み方によっては、「科学的観察」とは何かを、逆説的によく描き出しているととらえてもらうことも可能だと思う。私もこの本を書くことで、「科学的観察」とは何か、改めて理解できるようになったと感じている。
第Ⅱ章(学務課の絵と文による描写)、第Ⅲ章(大学までの通学路の観察と描写)、第Ⅳ章(街中でコミュニケートしている人々の描写)、第Ⅴ章(園児たちの活動の描写)は、前述の「幼稚園観察実習」や「基礎演習」で学生たちが書いてくれたレポートを素材に、具体的な観察について論じている。第Ⅵ章では、ビデオを用いた観察と裸眼での観察について議論している。
第Ⅶ章は「エピソード記憶」と「観察」との切っても切れない関係について論じている。そこで依拠しているのは、タルヴィングによる「エピソード記憶」理論である。「エピソード記憶」との絡みで「観察論」がなされることは、従来なかったことのように思われる。
終章では、観察のプロセスを改めて整理してまとめている。鯨岡峻氏の『エピソード記述入門』、『両義性の発達心理学』の2冊における「観察論」との対比で、本書の「観察論」の特徴を明確にしている。比喩的に言えば、本書は「フィールド観察」の「入り口」について詳しく論じ、鯨岡氏はその「出口」について詳しく論じていると言えるだろう。
副題を「フィールド観察入門」ではなく「フィールド観察学入門」としたのは、この本がマニュアル本、スキル本ではないことを示したかったためである。一人でも多くの方が、この本を読んでくださり、「〝見た〟ことを〝書く〟」という、ありふれているようでとても困難な課題に改めてチャレンジし、このテーマについて深く考えてくださるようになればと願っている。それは、そこから、ギリシア・ローマに源を発する学問とは少し違った学問の在り方を探っていく可能性が見えてくるように思うからである。
この本を書くには、たくさんの方の力添えをいただいた。最後にその方々の名をあげて感謝の意を表したい。「幼稚園観察実習」に参加してくれた奈良女子大学附属中等教育学校の生徒さん、また2004年~2008年の「基礎演習I」を受講してくれた学生さん、とりわけ本書に観察レポートやスケッチを引用することを快く承諾してくれた、中等教育学校の中村君、中君、江口君、大西さん、世古さん、また奈良女子大学の岩生さん、清水さん、高松さん、西村さん、徳永さん、石川さん、大塚さん、竹中さん、土田さん、中室さん、藤本さん、牧原さん、北野さん、岡本さん、菊永さん、合田さん、小槻さん、刀袮さん、横尾さん、高田さん、飛田さん、奥野さん、粟屋さん、ありがとう。みなさんの素朴で真摯なまなざしがなければ、この本は書けなかった。また「基礎演習」のティーチングアシスタントをしてくれた院生の内池千佳さん、松永恵美さん、仲川宏美さん、そして「基礎演習」に教員として参加してくださった助教の東村知子さん(2007年度)、准教授の野村晴夫先生(2008年度)には、授業に際してたくさんの援助をいただいた。また、中等教育学校の荒木ユミ先生には卒業生への連絡などで労をとっていただいた。この本を出版することに関して新曜社の塩浦さんには多大なお世話になった。改めてたくさんの方に助けていただいたことを深く感謝している。妻の道子には、いつものことながら、最初の原稿を読んでもらい、誤字脱字のレベルから表現等の適切さに関しても、貴重な意見をもらった。赤ペン先生もいつしか老眼。感謝の意をこめていつまでも健康でいて欲しい。
2009年5月16日
麻生 武